第10話 追いつ追われつ
数えきれないほど通った朝の通学路。そばを歩くと必ず犬が吠えてくる家があって、今日もワンワンと元気がいい。
かけ足のスピードをあげた。
あと少しで手が届く。
と、残り数メートルのところで、
「シンちゃんには勝てないよ」
「……花梨?」
「ブスっとしてるの、バカバカしくなっちゃった」
笑ってくれた。
ニコニコマークみたいに口角が上がって、目がアーチ状に細くなる、おれが大好きな笑顔だ。
「じゃ、いっしょに行こっか?」
「ああ」
ちょうど、どこかの家からピアノがきこえてきた。
すかさず、
「おまえもピアノやってたよな?」
と話をふる。
「ちょっとだけね」
「演奏がむずかしい曲とかあるのか?」
「うーん……私はあれでつまずいたよ。ほら、トゥルルルルンって曲」
「トルコ行進曲?」
よくわかったねー、と花梨は微笑んだ。
ここまででも、おしゃべりの出来はそこそこ。だがさらにおれは攻める。
「知ってるか? おもちゃのピアノでその曲を
「へー、面白そう」
「ほかにも――」
こいつは気がついているだろうか。
〈流行ってる動画の話とかいいんじゃない?〉というのは、過去の
そして、どういう話題なら面白がってくれるかを、おれはすでに知っている。
「わっ。もう学校ついた? なんか……」
「あっという間だったか?」
「それもあるけど」恥ずかしそうに下を向く。「その、ね……シンちゃんが昔みたいに、たくさんお話ししてくれたことが、うれしかったかなーって」
「会話ぐらい、いつもしてるだろ」
ふるふると首をふって「朝はめったに顔を合わさなくなったし、たまに帰りにいっしょになっても、なんか無口で大人しかったよ?」
朝に登校時間をずらしたのは、おれなんかと登校じゃイヤだろうなと遠慮したからで、
帰りに口数が少ないのは、たんに緊張のせいだよ。
おまえも、好きな人の前だと、いつもどおりには話せないだろ?
「花梨は、カツとつきあうことになったんだよな」
「え? う、うん……」
「じゃ、もう気にしなくてもいいかと思って」
「なにを?」
「ほかの男子の目線とかだよ」
「そんなの最初から気にしなくていいじゃない。私たち、幼なじみなんだよ?」
「そうだよな……」
ほんとにそのとおりだ。
誰がどう思うかなんて考えずに、ただグイグイ押していれば、ちがった結果になっていたかもしれない。
いや――
ちがった結果に〈する〉んだよ。
そのためのループじゃないか。
放課後になって部活にでた。
おれは文芸部。
本当は帰宅部でよかったのに「部活やったほうがいいよ」と花梨に強くすすめられて入ったんだ。ちなみにあいつはガーデニング部。今ごろは、花壇で水やりでもしてるんだろうか。
「なあ」
「なんじゃい」
一つイスをはさんで左どなりにいる
おれもこいつもパソコンの画面をみながらしゃべる。これが部員の少ない文芸部のふだんの光景だ。
「略奪愛をやってるんだが」
画面をみていた顔が「むぅ」とおれのほうに向き、また自分のパソコンのほうに向きもどる。
「気でも狂ったか、
「めちゃ正気」
「それは小説の話だな? つまりフィクションだよな?」
「バカいえ。リアルだ。現実の話さ」
「なんだと。して、相手は?」
「幼なじみ」
「……聞き方がわるかったか。白取、おまえの
「幼なじみ」
おれはホワイトボードの前に移動した。
〈幼〉の字を丸で囲む。それを二つ書いて〈=〉でくっつけた。
その下に〈自分〉と書き、ひょうたんみたいな形で〈自分〉と〈幼〉の片方をぐるりと囲んだ。
「なっ?」
「『なっ』じゃねー。白取、その略奪愛は……勝算はあるんか」
「わからない」おれは書いた文字を消しながら、つぶやいた。「でも時間だけは、たくさんある」
どこまで理解してくれたかは不明だが、文芸部の友だちは静かにサムズアップしてくれた。
「できれば、おまえからも教えてもらいたいんだ」
サムズアップが、ぐにゃっと曲がった。
「は? なにを?」
「女子に好かれるテクニック。彼女いるだろ? シオリっていったっけ」
「バレとる」佐々原は自分のクセ毛をわしゃわしゃとさわった。「まあいいけどよ……白取、なんかフンイキ変わったよな。目がすわったというか、うまく言えんが
「はい長話厳禁」
部長に注意されて、佐々原との会話は強制終了した。
しかしまだ方法はある。
メッセージだ。
各自に与えられているノートパソコンはローカルでつながっていて、短い文字を送り合ってやりとりすることができる。
(さーて、とりあえず佐々原に、あの子とどうやって仲良くなったかを……)
ぽん、と画面の真ん中に封をされた手紙がでた。
さすが佐々原、お見通しかよとそれを開封すると――
「先輩ってそんな人だったんですね」
差し出し人は、後輩だ。同じ文芸部の。窓際の席で寒そうに肩をすくめている。あ、そういえばあの子は、冷房がニガテなんだったな。
「部長。設定温度あげてもいいですか」
「エコで大いにけっこう。が、30度以上にしたら処刑」
2度上げて28度にした。
女子の(男子もそうだが)夏服は、半袖だからな。長袖もあるけど、同調圧力のせいか着ている生徒はほぼいない。
「た、助かりました。お察しいただけて、うれしいです!」
「それより『そんな人』って? べつに怒ってるんじゃないよ」
「怒りません……? 先輩は、その、見るからに草食系っぽいので」
「はっきり言ったね。他人の彼女に手をだすタイプじゃなさそう?」
送信、をクリックしたあと、おれは彼女に視線を向けた。
カーテンをしめた窓を背にして、おれとは斜めに向かい合う形だ。
部屋に長机は二つあって手前側におれと佐々原が、奥のに彼女が、あと部長がどこかからもってきた教室の机を奥のスミに配置していて、仕切り板を立てて視線をカットしている。
後輩の女子、
はにかんだような、照れ笑いみたいな、そんな顔つきだ。
黒ぶちのメガネをかけていて、不ぞろいな長さのショートボブみたいな髪型。
一見、地味な印象だが、メガネの奥の二重まぶたのまなざしは可愛らしくて、イメチェンすれば一気に〈化ける〉ようなポテンシャルをもった子だ。
数秒後、
「私も協力します」
「いや大丈夫だよ、ほんとに」
「私も、役に立ちますよ? 先輩の恋愛スキルをあげる、お手伝いをしたいんです」
「どんな?」
「そ、そこはお察しを……い、言わせないでくださいぃぃぃ~~~」
なぞだ。
彼女が想像している〈お手伝い〉ってなんなのか。
もしかして、エッチなこと?
はは……まさかね。
その日の帰り道。
自転車通学の彼女が、駅前の道にいた。自転車をおりて、しゃがみこんでチェーンのあたりをチェックしている。
「二本松さん?」
「あ。先輩」
「どうしたの?」
聞くまでもなかった。だらりと垂れたチェーン。
「外れたのか……」
「はい……。気にしないで、いってください」
そう言われてもな。
じつは、こういう修理を前にもやったことがある。
花梨のチェーンを直したんだ。中学のときに。おれもあいつも、もちろんカツも自転車で
あのときに、おれはコツをつかんだ。まずチェーンの一部をギアにひっかけて、あとはペダルをくるくるって回すんだ。そうすれば自然にハマる。
「あーっ!」
「オーケー。直った」
でもほっといたらまた外れるから、早目に自転車屋さんに行ってね、と忠告しておれは駅に向かう。
両手はアブラで真っ黒。
まあ、洗えばとれるし。
「先輩!」
背後から走ってきた彼女が、その真っ黒な手を強引にとった。
彼女の手も、黒く染まる。
「あ、ありがとうございました……私、ほんとは困ってて、スマホの充電も切れてるし……どうしようかなって……」
「それも、察したんだよ」
とか言ってみた。
おれがカツだったら、この子はベタぼれだろうな。
照れるか笑うかだと思ったけど、二本松さんは意外な言葉を返してきた。
「もっと察してください」
「えっ」
「わかりませんか? 私の気持ち……」
一回目は11月3日。二回目は来年の2月14日。三回目は12月20日。
そして本日は7月15日。最速記録。
「先輩のことが好きなんです」
おれは彼女から〈四回目の告白〉をされた。
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