第7話 風の強い日

 返しづらい。

 誰か教えてくれ。どうやって返すのが、正解なんだ?

 そもそも正解なんてあるのか?


(また、ふってきたな)


 電車がとまるたびに、外から雨のにおいが入ってくる。夏場なのでちょっと〈むわっ〉とした感じ。天気予報では、週末に台風が近づくとかいっていた。


ひかる……このメッセージはストレートに受け取っていいのか?)


 10分ぐらい前にきた、略奪愛を狙う相手からの「彼氏と別れようかな」。

 本気でも冗談でも、どっちにもとれる。そこが問題なんだ。

 既読をつけた状態で、あんまり返事がおくれるのも良くないだろう。

 おれは決断した。


「そんなこと言うなよ」


 と、光を思いとどまらせるような内容にした。

 別れろ、とすすめたり、おれが彼氏になるよ、とかいって茶化すのはやめた。

 幼なじみのアドバイスにもあったからな。


花梨かりんメモその三 …… まずは〈味方〉だと思ってもらおう! じっくり時間をかけてでも。


 これに従って、おれは光の味方に徹することにしたんだ。

 光はたぶん、本音では今の彼と別れたくないんだと思う。じゃなきゃ、おれにニセの彼氏をやらせてヤキモチをやかせるなんてこと、するわけがない。


 家の最寄り駅についたタイミングで、光から返事がきた。

 文字はなくてニコニコマークひとつだけ。

 この様子だと、どうやらマジじゃなかったっぽいな。

 ……マジじゃないと、ダメなんだが。

 あの子を略奪できなければ、また最初からやりなおしになる。


 そして翌日の金曜日。天気はくもり。

 朝からマズいことになった。


「あれ、シラケン?」


 先に家を出て花梨かりんを待っていたら、となりの家から幼なじみで親友のカツがでてきた。

 頭のうしろに、すこし寝癖ねぐせをつけて。


「いやー、寝過ごしてさー」


 ははっ、と笑顔のカツ。 

 こいつは家から遠い高校に通っていて、しかも部活の朝練をほぼ毎日しているから、登校の時間帯に顔を合わせることはない。

 だから、だ。

 だからおれは安心して、家の前で花梨を待っていたんだが……


「ところで、なにやってんだ?」


 一瞬、葛藤かっとうがあった。

 どうにかごまかせないかな、と。

 しかし、カツは親友だ。ウソはつきたくない。ストレートでいこう。



「花梨を待ってる」



 それは、おれなりに勇気をだした一言だった。

 ある意味、宣戦布告ともとれる言葉。

 だがカツは、いつものカツだった。


「そっか。じゃ、おれ行くから」


 さわやかに手をふって、あいつは駅のほうへダッシュしていった。

 数秒後、ドアをあけて出てきた花梨。

 なぜか花梨にも、頭のうしろに小さな寝癖がついていた。

 これは、ただの偶然の一致だよな……。よからぬ想像をするのはやめよう。


「あー、いい風」


 台風の影響か、いつもよりも風が強い。

 花梨の前髪が巻き上がって、ツルッとしたおでこが全開になっている。おれがじっとそこを見ていたら、恥ずかしそうに片手でかくした。そして、指でサッサッと前髪をととのえはじめる。


(気にしなくていいだろ。好きな男子の前じゃあるまいし)


 おれのほうこそ、もっと見た目を気にしないとな。

 髪型をかえてイメチェンしてみるか?


「なあ花梨」

「ん?」

「おれのこの髪型、どう思う?」

「わお。そんなこと、はじめてきかれたかも」

「カツみたいに短くしてみようかな」

「それってもしかして、例の略奪愛のため?」


 と言うと、前を歩いていたサラリーマンがふしぎそうな顔でふりかえった。

 目が合ったおれは、へらへら笑ってごまかす。

 ……人前ではひかえないとな。「略奪愛」という単語は。

 定期券を自動改札機にとおして、駅のホームに入った。


「さっ。今日もレッスンレッスン♪」


 花梨は楽しそうだ。

 こいつといっしょに登校するのは、べつにデートでもなんでもない。

 光を奪うための、修行の一環なんだ。


「えーと……そうだな、なにを話そうか……」

「ダメ。なんか、いきなりテンションひくい」花梨は、おれのズボンのベルトループに指をつっこんで引いた。「もっと明るくしないと。大声とかそういうんじゃなくてさ、ハッピーな雰囲気が大事よ?」

「出てなかったか?」


 ハッピーが。

 おまえといっしょにいられるんだから、出てないわけがないんだけどな。


「なにか言った?」

「いや、なんでもない」


 おれは目をそらした。

 電車がきたので、花梨と乗る。車内はまあまあ混んでる。

 会話できなくもないけど、〈お静かに〉の空気があるから、おれたちはだまっていた。


 学校の最寄り駅についた。

 前を歩いている女子の集団の、全員のスカートがおりからの強風で舞う。

 ジト目でひじでついてくる花梨。苦笑いしてみせるおれ。

 朝からツイてると思った。

 でも実際は、まったく逆だったんだ。


「風やばっ」


 会話が、うしろから聞こえてくる。


「やばいと言えばさ、あいつヤバくない?」

「なにが?」

「昨日さ、カラオケボックスに二人で行ったんだって」


 たちまち、おれの注意はそっちに向いた。

 まさか……おれと光のことじゃないと思うけど。


「けっこうさー、思わせぶりなトコあるからねー。それで何人か、本気になっちゃった男子もいるみたいだし」

「昨日のヤツもその一人じゃね?」


 くすくす笑い合う声。三人ぐらいいるようだ。


「あわれだよね。彼氏いるのに。それとも自分が勝てると思ってるのかなー」

「ってか、ワンチャンあればやろうって感じ?」

ひかるが愛想つかすのも、わかるんだけどね。あそこまで彼氏がモテだと」

「キープくんがほしいとか」

「にしてももっと、いい男がいるでしょ~」


 あはは、とみんなで大笑いになった。


「……」


 花梨は、むずかしい横顔のまま、無言だ。

 近距離だから、こいつにも彼女たちの会話が耳に入っていることはまちがいない。

 やばい。

 おれよりも、こいつのほうが一触即発になってる。顔つきでわかる。


「花梨。ちょっと早歩きしようぜ」

「……」

「花梨?」

「いや。そんな逃げるようなこと、したくない」


 笑いがおちつき、さらにおしゃべりはつづく。


「ケッサクだったじゃん。この前の『ひとばしさんいませんか~~~っ』って」

「『いませんよー』」

「『男とラブラブだよー』って」


 びゅう、と風が吹いた。

 同時に、花梨の体が180度ターンする。


「ねえっ!」

「やめろ花梨」


 強引に腕をとって、歩道のわきに移動させた。

 ちょうどタイミングがよかったのか、彼女たちがおれたちに気づいた様子はない。


「どうして⁉ あの子たち、シンちゃんをバカにしてた!」

「いいんだ」

「よくないよ。私の大切な幼なじみを――」

「おれは……他人の彼女に手を出そうとしてるんだ。わるく言われることだってあるさ」


 それでも花梨は納得していない表情だった。

 放課後になった。


「おつかれさまでーす」


 部室に入ると、


「…………あ」


 入ってすぐそばのところに立っていた部員の佐々原ささはらが、女の子の後頭部ごしに顔をだす。


「ほらシオリ。もう部活すっから」

「うん」


 ふりかえって、おれと目が合った。

 くっきりした二重まぶたの、きれいな目。

 かるく会釈して部室を出ていく。


「……いまの子、おまえの妹か? ぜんぜん似てないけど」

「バカいえ白取しらとり。ラバーだよラバー」


 ――っ!

 こいつ、彼女がいたのか!

 ループして三回目の高校二年生で、はじめて知った衝撃の事実。


「かくしたかったけどなー。ま、しょうがねぇか」

「……つきあいは長いのか?」

「ふっ。ドーテーではないとだけ、言っておこう」


 その瞬間から、ガラッと見え方が変わってしまった。

 イケてないと思っていたこいつのクリクリしたクセ毛さえ、なぜかかっこよくうつる。

 恋愛の経験値って、こんなに男の魅力に影響するのか?


「白取もあの幼なじみちゃんと、いい仲なんだろ?」

「ふつうだよ」

「またまた。ふつうの仲の女の子がわざわざ部室まで――」佐々原がおれのうしろをのぞきこむ仕草をした。「ほれ。ウワサをすれば、だ」

「花梨……」


 あけたままのドアの向こうに、あいつが立っていた。

 部長がきたらおれがいない理由を説明しておいてくれ、と佐々原にたのんで廊下にでる。


「私」


 笑っていることの多い花梨が、いつになくシリアスな顔になっている。

 階段の踊り場で、もうガマンできないという感じで、あいつから言葉がこぼれ出た。


「私……女の子にふり回されて、わるく言われてるシンちゃんなんか、見たくないよ……」


 ぎゅっ、とおれの手をとる。

 窓から入った突風で、花梨の髪が横に流れた。


「もうやめよ?」


 おれは――自分でも意外な行動をとった。

 にぎられた手を、そっとはずして。

 スマホで電話をかけたんだ。光に。

 おれはもうこれ以上、大切な幼なじみを心配させたくなかったから。


「…………なーにぃ? シンちゃん。どうしたのぉー?」

「光」


 おれは目の前の花梨をしっかり見つめながら、言った。


「好きだ。おれとつきあってくれ」

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