第5話 あいうち

 今でこそクラスでパッしないおれだけど、むかしはもっと明るかった。

 アニメのキャラのものまねをしたり、お笑い芸人のギャグをやったりして、よくまわりを笑わせていたんだ。

 とくに、幼なじみの花梨かりんを。

 彼女が笑うと、おれはいつだって幸せな気持ちになれた。


「ぶーーーっ‼」


 が、今はちょっと事情がちがう。幸せなんかどこにもない。

 たのむから、笑わないでくれ。

 まわりの人にもチラチラみられてるし……。


「あはは、あー……、おなか痛い」


 こいつは小さいときから天真爛漫だった。

 感情をかくさないというか、泣くときも笑うときも、つねに全力なんだ。 

 朝の通学路。ゆるく坂道になっていて、のぼりきったところに学校の校門がみえる。


「シンちゃんの口から『略奪愛』なんて言葉が! びっくりしちゃったよー」

「びっくりっていうか、思いっきり笑ってたよな?」

「笑った」


 おそらく、略奪愛っていうワードが強すぎたんだ。

 ソフトに言いかえて、おれは説明する。


「好き……ってほどじゃないけど、気になる子がいてさ」

「わお。それって恋愛相談? シンちゃんが私に? 気になる子って誰?」

「みえるか、あそこ」


 と、おれは前方を指さす。

 だいぶ距離がはなれたが、そこにはひかるとその彼氏が歩いていた。


「ばっちり。私、視力2.0だから」

「となりに彼氏もいるだろ」

「いるいる」

「どうにかして、あの子を彼氏から奪いたい」

「そうなんだ……っていうか、本気だったんだ。略奪愛も、恋愛相談も……」

「本気だ」


 ふーん、と花梨は少し目を伏せた。

 理由はわからないが、テンションが下がったみたいだ。

 コイバナなのに。

 こういうの、女子って好きなんじゃなかったのか?


「いや、その……なんか、やっぱりいいよ。忘れてくれ」

「ダメっ!」


 ぴっ、と花梨がおれの制服のズボンのベルトをとおすところに指を入れて、引っぱった。花梨はこれを、よくやるんだ。

 

「私、シンちゃんから相談されたのはじめてだから、絶対になんとかしてあげたいの」


 目に、ものすごく力がある。花梨は真剣だ。完全にスイッチが入ってしまったらしい。


「とりあえず――毎朝、私と登校しよっか」

「え」

「そんでね、おしゃべりで私を楽しませて? 会話を盛り上げるのが上手な男子を嫌いな女子はいないんだから。いいアイデアだと思わない?」

「いや……」


 おれは、周囲を見回した。

 前後左右、生徒、生徒、生徒。


「ちょっとな」

「なんで?」

「ウワサになったらどうするんだよ。こまるだろ、おまえが」

「それ小学生だよ~」言って、ひじでおれの体を押す。「男子と女子がならんで歩いてるイコールつきあってる……なんて思わないって、高校生にもなれば。みんな、もっとオトナだよ?」


 つまり、おれの恋愛レベルは小学生なみということか。

 となりに花梨がいなければ、最大級のため息をつきたいよ。

 セミがミンミンうるさいから、バレないかもしれないけど。

 目の前で、赤いリボンタイが上下にゆれた。白い半袖ブラウスの夏服の花梨が、おれのに回りこんで元気よく言う。


「今日も一日、がんばろーね!」


 ◆


 つかれた。

 今日は水曜日で文芸部の活動日で、とにかくつかれた。

 小説を書くって、信じられないほどエネルギーをつかうんだ。

 しかも、部長の林さんは文章にキビしいからなー……。


「おかえり。アニキ」

「おかえりじゃないだろ」


 我が部屋のごとく、ベッドの上で携帯ゲーム機で遊んでいる女の子。

 妹ではない。おれは一人っ子だ。


「相変わらず、この部屋居心地いいわー。もうしばらく、いてもいい」

「おい。語尾の音が上がってないぞ。いてもいい、じゃなくて、いてもいい? だろ」 

「言い直す。いてあげてもいい」


 と、ピンクのTシャツに白いスキニージーンズのこの生意気な女子。

 遠山とおやま智花ちか

 花梨の妹だ。現在、中学二年生。


「うち、ゲームやらせてもらえないからさー」と、智花。

「スマホもってるだろ。スマホでやれよ」

「いや~~それがさ~~、ゲーム時間を監視するアプリみたいなの入れられたんだよぉ~~」


 話しながら、おれは制服を着替えている。

 べつに下着をみられても恥ずかしくないし、恥ずかしがらせるだろうなとも思わない。

 こいつとはオシメを代えていたころからのつきあいだからな。もちろん、オシメだったのは智花のほうだが。


 着替え終わって、机の前のイスにすわる。

 待っていたかのように、智花が口火を切った。



「いくじなし」



 これはまた、手痛いスタートだ。

 しょっぱなから、おれの心を折りに来てる。

 携帯ゲーム機は裏返されて、ベッドの上におかれていた。


「きいたよ、お姉ちゃんから。マサにぃにコクられたって。つきあうことになったって」

「まあ……おれも告白のとき、近くにいたけどな」

「おい! じゃあ、どうして『ちょっと待った!』しなかったっ!」


 ぶん、とおれに何かを投げつける仕草をする。

 智花は体育座りの姿勢で、あごを自分のひざの上にのせて、つづける。


「…………いくじなし。お姉ちゃんにフラれるのが、こわかったんだ」

「智花。コクハラって言葉しってるか?」

「なにそれ」

「告白のコクと、セクハラとかパワハラのハラだよ。ようするに、相手に迷惑をかけるような告白のことだ。おれみたいなヤツが花梨に告白したってな――――」

「迷惑ぅ? でも、こんどは略奪愛とか言いだしちゃってるんでしょ? そっちのほうが100倍迷惑じゃんか」


 やっぱりな。

 遠山姉妹にかくしごとなんかないから、当然こいつも知ってるとは思っていた。

 おれは白々しく、掛け時計に視線を向ける。


「智花。もう遅いから、かえってくれ」

「帰らぁ!」


 やけに威勢のいい返事をして、智花は立ち上がった。ふわっ、と女の子のいいにおいが鼻をくすぐって、毛先をそろえたセミロングの髪に真っ白なキューティクルの線がななめに走った。


「またきてやるからな!」

「なら、おれの部活がないときにこい。月水金以外で」


 智花はうしろ姿を向けた。

 瞬間、視界に机の上の写真立てが目に入った。

 おれと花梨とカツで撮った写真。


「智花! ちょっと待て!」


 あいつの肩がびくっとした。

 そして、ゆっくりおれのほうに向く。


「お願いがある」

「わお。お願いだって? アニキが私に?」さすが姉妹。リアクションがそっくり。「なになに」

「見張ってくれないか。花梨とカツの仲を」 

「見張る?」

「その……うまくいってるか、どうかだよ。二人がうまくいってれば、それでいいんだ」


 姉に似てるようなそうでもないような、アーモンドの形をした大きな目が二回、パチパチとまばたきした。

 意外、と言っているようにみえる。


「たのむ」

「たのまれるけど……」智花は、なぜか心配そうな顔つきになっていた。「本当にアニキ、そう思ってる?」


 自分の本当の気持ちなんて自分自身でもわからないさ、とどこかの小説で読んだようなフレーズでケムに巻き、智花を自分の家にかえらせた。


 その次の日。

 朝から雨がふっている。

 おれが家から出ると、窓から見ていたのか、あいつも家から出てきた。

 電車通学なので、家から駅――駅から学校まで、ずっと花梨といっしょだった。


「うーん……シンちゃんね、もう少し女の子寄りの話題のほうがいいと思うなー。たとえばさ、マニアックな小説の話より、流行ってる動画の話とかのほうがいいんじゃない?」

「なるほどな」

「それとね、なるべく女の子に話をフッてあげるっていうか、相手の話を引き出すっていうスタンスがいいと思うの」


 雨だろうと、今日から開始したおれと花梨の略奪愛の朝練。

 こういう役目に向いているのか、けっこうこいつは的確なアドバイスをくれる。

 すべりだしは順調……かな。

 校門をこえて、すでに場所は学校の敷地内。


 こつん


 と、おれの傘が、誰かの傘にぶつかった。

 上にあげると――


「おはーっ!」


 タメ口の一年女子、ひかるがいた。

 ショートの髪が、すこし濡れている。

 笑顔全開で、雨の朝でも元気いっぱい。


「おはよう」


 横から、花梨がおれよりも先に挨拶をかえす。


「……あ、あれ? となりに誰かいたんだ……あ、まさかカリンさん? シンちゃんをビンタしてた人だ!」

「うん。そうだよ」


 そこでイライラしたような声が割って入った。


「バシ。さっさといくぞ。ったく、こんな雨ん中、待たせやがってよぉ」

「えーいいじゃん。シンちゃんに一目、会いたかったんだよ。昨日、会えなかったからさ」


 ち、と舌打ち。

 そんなイラつく彼氏とは正反対に、光はにこにこしていて上機嫌。

 しかし突然、光が雷に打たれたように「はっ!」と真顔になった。

 彼氏が、傘をもってないほうの手で、光の体を強引に抱き寄せたんだ。腰のあたりに手を回して。


「こいつ、オレの彼女だから」


 鋭い目つき。こっちとの身長差ゆえに文字どおりの上から目線で、そう言った。

 手を出すなよ、とまでは言っていないが、あきらかにそう匂わせている。


 ヘコみそうになった。

 背も高いし、見た目もいいし、ケンカも強そう。

 略奪愛なんかできっこない……そう思いかけたとき、


「こいつ!」


 と、花梨がおれの腕に、自分の腕をからめた。

 光に負けず、おれも「はっ⁉」という表情にならざるをえない。

 これも作戦なのか?

 なにか考えがあってのことなのか?


「私の彼氏だからっっっ!」


 半袖で、じかにふれあう肌と肌。おたがいの鼓動が伝わる。

 花梨のドキドキは、おれのドキドキより、はやい。

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