第4話 ともに戦えば

 もってる、と言っていいのか?

 突然やってきたぞ、むこうから。略奪愛が。その可能性が。


「なに? ヘンな顔して」


 朝っぱらからやかましいセミの声も気にならない。

 おれの頭は、この子のことでいっぱいになってる。

 校門と校舎をバックに片手を腰にあてた、この女の子。赤いリボンタイと白の半そでブラウスの夏服で、下はライトグレーのスカート。ツヤっとしたキューティクルがまぶしい、すっきり耳を出すタイプのショートヘア。

 大きくてまるい形のネコみたいな目が、キュッと細くなった。


「あ~、私に彼氏がいるっていうの、疑ってんだろ?」

「疑いたくないよ!」

「お……どした、急に」

「いやごめん」つい、語気ごきが強まってしまった。ムリもない。だってこれは、おれに垂れてきた一筋のクモの糸なんだから。「えーと……彼氏のことで相談したいって言ったっけ?」


 いつになく頭がフル回転。

 この子に彼氏がいる ――→ 一番略奪愛できそうなパターンはどれだ?


A.あまりモテない かつ 浮気しない

B.あまりモテない かつ 浮気する

C.かなりモテる かつ 浮気しない

D.かなりモテる かつ 浮気する


 断然「D」‼

 なんと、この願いが通じた。


「聞いてよ。私の彼氏がさ、めっちゃ浮気性でさー」

「その人……もしかして、モテたりします?」

「どうだろう。でもね、バレンタインデーは、いつも両手で持ちきれないぐらいはもらってるかな~」

「まじかっ!」

「そんなにおどろく?」おかしそうに、おれの顔をみつめる。「キミって、やっぱり変わってるよ」


 彼女は「ひかる」と名乗った。

 おれが今からやることは一つ。

 なんとしても、光に好かれなければならない。とりあえず、前髪をサッとととのえた。見た目で勝負できるほど、かっこいい顔じゃないんだけど。

 見た目か……。

 おれはバカだった。

 なにを有頂天うちょうてんになっているんだ。ムズかしいのは、ここからじゃないか。


「…………」

「考えごと? いきなり静かになっちゃったけど」


 ええい、マゴマゴしたってしょうがない。

 千里の道も一歩からだ。


「なんでもない。……それで、相談っていうのは? 具体的にどういうこと?」

「私の彼氏になってよ」


 ぱちっ、と光はまるい目の片方をつむって、おれにウィンクしてみせた。


 ◆


 ちょうどその日の日本史の授業で「徳川慶喜よしのぶ」の話になった。

 雑談で先生が、この人は一橋ひとつばし慶喜とも言うんだぞ、って教えてくれた。


「おれが彼氏に……?」

「そっ。とりあえず放課後に私の教室にきてよ」

「いいけど、クラスは?」


 出会った直後からのなれなれしい態度からして、おれはひかるのことを同学年だと思っていた。


「1年2組」

「え」


 まさかの下級生。

 人なつっこいにもホドがあるだろ。


「私の名前は『ひとばし』だから、『一ツ橋さんいませんか~』って廊下から聞こえるように声をかけてよ。いいね?」

「いや、教室に入って直接――」

「ダ~メ。キミが私をさがしてることをアピールするのがポイントなの」とん、と彼女は肩をうごかして、おれの肩を押した。「作戦はもう、はじまっているのだ」


 それは、こっちだって同じさ。

 おれは、光を略奪するぞ。その戦いの火蓋ひぶたが、今日の放課後に切られるんだ。


(……あっ)


 本日最後の授業が終了する5分前。

 花梨かりんからラインがきた。


「このあと、会えないかな?」

「昨日のことで、謝りたくて」

「お願い」


 絵文字や顔文字が一つもない、あいつにしてはめずらしいメッセージだ。

 それだけ真剣なんだろうと思う。

 さすがに無視はできない。


「謝らなくていいよ。昨日は、おれがわるかった」

「ごめんな」

「それで花梨、今日の放課後なんだけど、ちょっとムリっぽいんだ」

「友だちと遊ぶ約束があって」


 そうなんだ、じゃあまた夜にラインするね、と送られてきて、やりとりは終わった。

 おれはウソまでついて、花梨と会うのを避けてしまった。

 その理由は――光のことだけじゃなく、カツとの仲を邪魔しないためだ。


 決めたんだ。

 おれは花梨は奪わない。


(よし)


 帰宅や部活に行く生徒でバタバタしてる、一年の教室がならぶ廊下。

 おれは息を大きく吸い込んで、



「一ツ橋さんいませんか~~~っ‼‼‼」



 大声をだした。

 恥ずかしい。

 しかし、どうせループすればこの恥も〈なかったこと〉になるんだ。ループの恥はかき捨てだ。


「はーい」


 細い手をほとんど垂直にあげた女の子。光だ。まわりを友だちらしき女子に囲まれて、教室の真ん中にいる。

 ピリッとした緊張感が走った。

 クラスのどこからかわからないけど、にらまれている感覚がある。


「じゃ、行こっか」


 と、おれの右腕と脇腹のわずかなスペースに手をさしいれて、


「ねっ?」


 腕を組む。

 その瞬間「おお」というなぞのどよめきが起こった。

 そのまま押されるように、廊下を歩いて移動。


「うふふ、来てる来てる」


 面白そうに、肩ごしにうしろを見ながら言う光。

 たしかに、すらっと背の高い男子が、かくれる気もなく一定の距離をとって尾行している。

 おれは言った。


「あの男にヤキモチをやかせる作戦なのか?」

「まー、今のとこはね」

くかなぁ……」

「やくやく。あいつったら、モテるくせにやけにシットぶかいんだから。ふつうに男友だちとおしゃべりしてるだけでも、ソッコーでラインがくるんだから」スマホを、おれのほうにみせた。「ほら」


――バシ。そいつ誰だよ


 というメッセージがきている。ちなみにアイコンは真っ正面から撮った自撮り。そうとうルックスに自信があると思われる。


「バシってキミのこと?」

「うん。こいつさ、出会ったときから、ずっとこう呼んでるんだよね」


 そこから自然に、彼といつ出会ったのかという話題になった。

 中学一年生のときらしい。

 そして三年間ずっと、奇跡的に彼と同じクラスになったという。さらに同じ高校にすすんで、またクラスメイトになった。

 光は、


「これがくさえんってやつ?」


 と苦笑しながら言ったが、彼女が本気でそう思っているかどうかはわからない。


「そっちのカリンさんのことも教えてよ」

「ノーコメント」


 おれはひかりの速さでことわった。


「ずるっ。この秘密主義め」と、ひかるはほっぺをふくらます。

「なんとでも言ってくれ。あいつのことは、人に話したくないんだ」

「なんで?」

「忘れたいから」


 気取った言い方をするつもりはないが、おれは未来を知っている。

 その未来では、幼なじみの花梨と、親友のカツは、結ばれているんだ。


「どうして忘れたいの?」

「ほかのヤツの、彼女になったから」

「かわいそう」

「えっ」


 かわいそう、と彼女はもう一回、ささやくように言った。

 おれの頭を胸にうずめて。

 両手を後頭部に回されて無理やり、光の体に向かって引っぱられた。一瞬で。おれと彼女の身長差は数センチだから、そんなに難しいことじゃない。

 おれは「かわいそう」という言葉が、きらいだ。

 自分が絶対的な安全圏にいないと言えない、冷たいセリフな気がするから。

 だがこのときは、スポーツのあとのスポドリみたいに、なんだかスーッと体に入ってきた。


(ああ、おれって、かわいそうなんだ……)


 幼なじみの異性を、幼なじみの同性にとられたんだから、それもそうだよな。

 しかも『略奪愛しないと進級できません』というこのヘビーな状況。

 それがこの密着で、ちょっとだけいやされた。

 ソフトなれ心地。

 意外と〈ない〉とか言ったら、怒られるだろうか。


「…………シンちゃん、いま、こいつ胸小さくね? とか思ってない?」

「思った」と、おれは素直に言――えるか、そんなこと!

 光の手の力がゆるくなって、おれの頭は彼女の胸からはなれた。すこし名残りおしい。

「あのさ、あのね」


 時刻は夕方。

 校舎と運動場の間みたいな場所で、おれたちは向かい合っている。


「私とキミって……、けっこう相性よくない?」

「いいね」と、即答で言――い返しても、よかったのに。

 何も言えなかった。

 ちょっと言葉を待っていたようなそぶりはあったが、数秒後、光は「このへんにしよっか」と手をふって行ってしまった。

 また明日ねーという声が、ずいぶん遠くのほうから聞こえてきた。

 おれとしてはなんの手応えもないまま、今日は部活もないので帰宅することにする。



「電話してもいい?」



 夜の9時すぎに、そんなメッセージが花梨からきた。いいよ、と返す。


「シンちゃん」

「ああ」

「ほんと、昨日はごめんね。痛かった……よね?」

「もういいよ。おれも、花梨にたれるようなことを言ったわけだし」

「ほんとだよ」花梨の声が、すこし笑っている。「シンちゃんってば、ひどいんだから」

「うん」

「……変わらないよね、私たちの関係」


 変わるよ、とおれは言いたい。

 言いたいけど、ぐっと飲みこんだ。

 またビンタされたら、かなわないからな。


 いつのまにか電話は切れていた。


 机の上に、中学の卒業式に三人でとった写真をフォトフレームに入れて飾ってある。

 その写真、おれだけが笑ってない。

 まるで今の状況を、あらかじめ知ってたみたいだよ。はは……。

 

 翌日。水曜日。

 駅から学校に向かうルートに、光がいた。

 彼氏と歩いている。

 そんなつもりはないのに、おれがあいつらを尾行している形だった。


 あははっ


 と斜め上を見上げる、笑顔の光の横顔。

 リア充で、いかにもクラスの一軍カップルって感じだな。


「同じ電車だったんだ」


 とうしろから声がかかる。

 ふりかえると、ニコニコした幼なじみがいた。


「花梨」

「……ん?」


 そこで、おれは天才的なアイデアをひらめいた。

 花梨と仲良くしつつ、その上、ループ脱出も狙えるあざやかなはなわざだ。


「おれの略奪愛に協力してくれないか?」

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