第3話 さらば初恋と朝は挨拶をしよう

 友だちに「幼なじみがいる」って言っても、だいたい、ノーリアクション。

 それが「女子」って言うと、めっちゃリアクションする。「おお!」とか「いいなー」とか。

 さらに「あの子」って、たまたま近くを通りかかった幼なじみを指さしたら――その場には三人いたんだけど――「えっ⁉」とおどろく、にやにやする、ひじで小突いてくる、それぞれそういう反応だった。


 遠山とおやま花梨かりん


 物心のつく前に出会った、はじめての女の子だ。


 今日は夏祭り。

 花梨は白地にひまわりがたくさんえがかれた浴衣姿で、手には巾着袋きんちゃくぶくろみたいなピンクのポーチをげている。


「もー」


 それは、意外なリアクションだった。


「そういうことだったの?」

「え……」 


 カツの告白のあと、そばの草むらから姿をあらわしたおれに、ちょっとふてくされたように言う花梨。

 状況が飲み込めない。

 でも次のあいつの一言で、すべてがわかった。


「ずっと見てたんでしょ~? で、くすくす笑ってたんだ? ほんと、男子ってそういう悪ふざけが好きなんだから」

「いや、その」

「マサちゃんにウソの告白させて、女心をもてあそびやがったなー!」


 このー、とおれの肩をかるく押した。

 満面の笑みで。

 おれは笑えない。花梨が笑えば笑うほど、おれの心は沈んでゆく。


「まじだよ」

「なにが?」花梨が小首を傾げる。「まじって何?」

「あいつは……カツは、本気で花梨に告白したんだ」


 まともに目を合わせられず、おれの目は地面の土をみていた。

 やっぱそっか、と小さくつぶやく声。


「私たち、幼なじみだもんね。ウソか演技かぐらい…………」


 言葉がとまった。

 中途半端な、言いかけで。

 そのつづきが、いくら待っても出てこなくて、おれは思い切って顔を上げる。


「……」


 花梨は背中を向けていた。

 とても、声をかけづらい背中だ。

 おれはその場から逃げた。そうするしか、できなかった。


 そして――翌日の登校日。

 週はじめの月曜。

 おれは文芸部の部活に出ている。


「なあ」

「なんじゃい」


 おれもこいつも、自分用のノートパソコンの画面を見ながら会話していた。

 おれの「なあ」に対して言い返したこの男は、文芸部の友だちだ。同じ長机をつかっていて、左のほうにいる。


「略奪愛って、どうやったらできるんだ?」


 秒で、画面をみていた顔がぐりんとおれのほうに向いて、またパソコンのほうに向きをもどした。


「気でも狂ったか、白取しらとり

「バリ正気」

「いつから人妻フェチになったん?」

「人妻限定じゃないけど……でもループから出られるのなら、ごのみはしない」

「ループ?」

「だから、略奪愛しないと永久にループから出られないんだよ――」おれは話し相手に視線を向けた。「――っていう設定。どう思う、佐々原ささはら


 レンズが極太ごくぶとの銀フレームのメガネに、毛先がくるくる回った長めの髪。とくにうしろ髪のえりのところなんかは、毛先が真上を向くぐらい強くハネている。

 くいっ、と手のひらでメガネのずれを直して、佐々原は言う。


「ケツまで書けたら読んじゃる」


 と、あっというまにおれから興味を失ってしまった。創作の話かよ、と思ったのだろう。

 おれだって「創作かよ」と思いたい。

 なあ佐々原よ、おれ今、3回目の高二やってるんだぜ?


 エアコンがきいて快適な部室。

 ここには現在、文芸部員が4人いる。おれと佐々原と、後輩が一人と三年の部長。


「林さんはどう思います?」

「ほぇ?」

「だから……略奪愛しないとループがつづくっていう内容なんですけど」

「それ読後感いい?」

「いや、まだ書き出してなくて」

「私、あんま好きじゃないんだよね、NTRものは」


 しっしっ、と野良犬を追っ払うような手つきをされて、おれは苦笑い。

 林さんは文芸部の部長。三年の女子だ。

 視線を極端に嫌う人で、部屋の奥の一角を陣取って衝立ついたてを立てているから、彼女の声しか聞こえない。入室・退室のときも、顔をササッとそむけるぐらいの人だ。

 衝立の向こうに、林さんの細い手がスーッとひっこんでいった。


「リアルでは、ほぼ聞かんね」

「えっ」

「だから略奪愛だよ、白取クン。高校生の身の上で彼氏彼女をとったとられたっていうのは、まだ私は知らない」

「はあ……」


 そんな小説やめとけってことだよ、と佐々原が小声で補足をくれた。キーボードで軽快な音を鳴らしながら。



「し、失礼します……」



 がらっ、とドアが横に引かれた。

 まずい。

 花梨がきた。

 おれは林さんみたく、急に視線がこわくなった。思わず顔を壁のほうにそむけた。


「シンちゃん、ちょっといい?」

「いいスよ」と、佐々原が代返だいへんする。「ほれほれ、お呼びだぞ」

「林さん」おれは部長に助けを求めた。「部活中は、ここをはなれたらダメですよね……?」

「離席は10分まで。こえたら、今日は欠席あつかい。というわけで白取クン――『さっさと行け』だ」


 おれはため息をついた。

 廊下に出て、あいつの数メートルうしろをついていく。

 しばらく歩いたところで、花梨がふりかえった。


「……わるかった、かな?」

「べつに」


 教室がある校舎と、部活動の部室が入った校舎をつなぐ連絡通路。一階、二階、三階とあって、その三階。

 あつい。

 ここは西日がガンガンに射しこんでいる。

 3月の肌寒い日からループで戻ってまだ一日しかたっていないから、この急激な温度変化が地味につらい。


「ラインみてる?」

「あー、ちょっと忙しくて」

「ウソ」ずい、と花梨は顔を近づけてくる。「ウソウソ! ねぇ、どうしてそんなウソつくの? 私とシンちゃんの仲じゃない」

「もうおれと仲良くしなくていいよ。ラインもやめる」おれは花梨に横顔を向けた。「そのぶん、カツと――」



 ぱしん



 じんとするほっぺ。

 ビンタを打ち終えたモーションでとまって、涙ぐんでいる幼なじみ。

 こんな……ことは一度もなかったな。

 一回目や二回目の今日は、花梨にたたかれていない。そもそも彼女に本気でたたかれたのは、はじめてだ。

 昨日、おれがあの告白の現場に行ったことで〈なにか〉が変わったのか?

 そんなことを考えるより――


「花梨。ごめんな」


 あやまるのが先だった。

 もうこの場所に、あいつはいないけど。

 ん?

 何か聞こえる。


「くっくっ……」女の子が、おなかをおさえている。「あっはははははは!」


 誰だ。

 耳をだしたショートカットで、夏服の半袖の制服を着た女子。


「おもしろ。キミ、いいねー」


 ぐっ、と親指をたてる。

 おれは、それと真逆の向きに親指をたてた。


「お?」

「ふざけるな。おれはともかく、花梨のことを笑ってるなら許さない」

「カリン……ああ、あのかわいい女の子ね」


 彼女はおれの手を両手でにぎった。

 そして、上下反転させる。


「だーいじょーぶだってー。私が笑ってるのは」つかんだ手がさらに動く。おれの親指の先がおれに向いた。「キ・ミ・だ・け・よ」

「はなしてください」

「はなすはなす」


 指と指の間を大きく広げた手のひらを二つ、おれに向ける。


「あっ待って」


 立ち去ろうとしたら、たたっ、と彼女がおれの前に回りこんだ。


「つれないなぁ。名前ぐらい、教えてよ」

「田中太郎」

「ウソ。キミ、『シンちゃん』って呼ばれてたじゃん」


 そこから知ってるのかよ。

 ちょっとはなれたところに、窓の外をみて黄昏たそがれてる女子がいるなとは思ったけど、まさか盗み聞きしてたとは。

 仕方なく、おれは名前を教えた。名字だけ。


「じゃあお返しに……って、待ってよ。行かないでってば」

「もどらないと。おれ、部活中だから」

「名前ぐらいきけーーー!」


 そこまでいうなら、とおれは立ち止まる。

 その瞬間、ホコリをすいこんだのか、ほっぺのダメージの時間差か、別の原因か、鼻がツーンとなった。

 頭には花梨のことが浮かんでいる。おれの初恋が。


「ねぇ、さっきのってさ、フラれたの?」

「……」

「どんぐらい、つきあってた?」

「……」

「やった?」


 なんてことをきくんだ。

 おれはハラがたって、無言で走った。けっして逃げたわけではない。


 翌日。


 校門で、あのショートカットの子が、おれを待ち伏せしていた。


「シンちゃーん! おはーっ!」


 ぶんぶんと手をふってくる。

 まさかおれを待ってたのか?

 それより、彼女が「シンちゃん」と口にしたことに、かるくショックだった。

 おれを、花梨と同じ呼び方で呼ぶなんて。

 これは抗議しなければ。


「シンちゃんはやめてくれ。まじで」

「はい挨拶できてないー!」と彼女は陽気にいう。「挨拶できないのは、わるい子ー!」

「……おはようございます」


 よろしい、と彼女は口角をあげて笑う。

 その笑顔が、ぜんぜん似てないのに、なぜか花梨と重なった。

 はは……。

 おれって案外、ホれやすいのかもな……。

 でも、もしこの子を好きになって、告白してうまくいっても、それは略奪愛にならない。心は満たされても、ループから出られないんだ。


「じゃあ、おれ行くから」

「もう! せめて自己紹介ぐらいさせてって。ずっと待ってたんだぞ?」

「どうぞ」


 彼女は両手を腰にあてて、胸をはった。


「ヒカル。日光にっこうこうひかるね。漢字一文字。名字も知りたい?」

「いいです」

「あ、待って。私……、私の」


 おれはみた。

 たしかにみた。

 それは一筋の光明。光りかがやくルート。

 おれにこの道を、行けというのか?



「彼氏のことでね、すこし相談にのってもらえない?」


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