第2話 三人の三回目

 思っていたよりも太く、たくましい手だった。

 おれや花梨かりんとべつの高校に進んだ、親友のカツ。

 剣道部の強豪校らしい。

 こいつはそこで、2年生で主将をやっている。


「どうした?」

「いや……」


 おれはカツから手をはなした。

 スポーツができて、顔が良くて、背が高くて、

 清潔感のある短髪で、気さくで、誰とでも仲良くなれて、


 勝正かつまさは完璧なんだ。


「なあ、シラケン」と、おれにマジな目を向ける。「もしかして今のが、おまえの正直な気持ちなんじゃないのか?」

「えっ」

「おれを止めようとしたんだろ? おれが花梨に告白するのを」


 体をなでる生暖かい風と、セミの声がとまった。


「……おまえはかっこいいから、きっと成功するよ」

「そういうことじゃなくてさ!」


 カツの言葉から逃げるように、おれは目をつむった。


――このあと、花梨はこいつの告白をオーケーして、二人はつきあうことになる。

――そのあとに、おれたち幼なじみ三人の――いや、二人とおれの間に亀裂きれつが入るんだ。


 ふたたび目をあけると、眉毛を八の字にして困ったような親友の顔がすぐそばにあった。

 おれの肩を乱暴につかんで、あいつの浴衣のそでがゆれた。白と青の浴衣。カツに良く似合っている。


「だまってないで、なんか言ってくれよ!」

「おれは、ほかに好きな子がいるから」

「シラケン!」

「ほら、花梨を見失うぞ。はやく行けって」


 おれは告白の結果も、その先も、すでに知っている。

 とめるなら……二人がくっつくのを避けるなら、今しかない。

 たとえば、仮病けびょうをつかえば、カツをこの場に引きとめることもできるかもしれない。

 でも、


(いってくれ)


 心から、そう思った。

 わかったんだ。

 おれはカツの告白を邪魔できない。

 ずっと後悔はしてた。もしも、おれのほうがはやく彼女に告白してれば、って。だから……神サマ? か知らないけど、あの女の人が現れて、おれを〈この日〉まで戻してくれたんだと思う。

 30分後。

 神社の境内に全速力で走ってきた親友を、おれはぎこちない笑顔で迎えてやった。



「シラケン! やった! 花梨と……つきあえることになった!」

「よかったな」



 おれは何も変えないことにした。

 二人のために……とか、オトナぶるつもりはない。

 もっと単純な話で、平凡なおれがモテモテのカツと花梨をとりあっても、どこにも勝ち目なんかないからだ。

 せっかくの〈やりなおし〉のチャンスだったんだが。

 まあ、しょうがない。

 おれはこういうヤツなんだ。

 そして季節はめぐって、二回目の高二の3月がやってきた。


(とうとう、この日がきたか……)


 おれと、あいつら二人の家の前。

 日は沈んでいて暗い空。

 何時間か前、「今日、マサちゃんが部屋にくるの」「今日、花梨の部屋に上がる」と、二人からラインがきている。だからおれはいつもより長めに部活をして、できるだけ帰宅時間を遅らせたんだ。


 その現場を、見たくないから。


 立ちつくしていると、花梨の部屋の窓があいた。

 あーいい空気、というような気持ちよさそうな横顔だ。

 それを追いかけるように、もう一つ、端整な顔立ちの横顔が出てきた。

 花梨もカツも、白いTシャツだけで薄着だ。

 ぼとっ、と近くで物音。


「……ん? あれ、シンちゃんじゃない?」

「えっ、まじか」


 それは、おれがスクールバッグから手をはなしたからだった。はなした、っていうか、はなれた。


(おれ……)


 二人に背中を向けて走った。

 孤独な全力疾走。

 まるで一回目の〈今日〉を、再現するみたいに。


(全然、成長してねぇじゃん‼‼)


 むしろ一回目よりもツラい。

 胸がぎゅーーーっと締めつけられる。

 とっくに二人のことを、花梨のことを、あきらめられたと思ってたのに。――思ってたのに。


(あ……また、このコンビニが)


 光に寄っていくムシのように、おれの足はそっちに向いた。 

 予想どおり、あの女の人がいた。紺色のスーツ姿の女性。

 腕を組んで、すこし怒っている。


「もう! また泣いてる!」

「え……いや、泣いてはいませんけど……」


 まるいコンパクトの鏡面をこっちに向ける。

 そこには、地面に寝転んで何度も何度もこぶしで地面をなぐっている、大号泣の自分が映っていた。

 ぷぅ、とほっぺを少しふくらませていた彼女が、くちびるをトガらせたままで言った。

 

「わるくなってる。私、こんなつもりでキミをリトライさせたわけじゃないのに」


 そんなこと言われてもな……。

 コンビニの雑誌のコーナーで、おれは制服のそでで顔の汗をふいた。

 女の人は、アヒル口で言う。


「じつはね、キミを〈あの日〉にもどしたのに、ふかい意味はないのですよ」


 たぶん、この人は普通じゃない。

「リトライ」とか「もどした」とか言ってるし。

 まさか、ほんとに神サマ?


「それよか、そこからの話。告白オッケー、か・ら・の、キミが花梨ちゃんを略奪するというところが主目的しゅもくてきなのでネ」

「はあ……」

「それで、申し訳ないんだけど」

「はい?」

「キミは今、すでに時間のループの中にいるわけ。略奪愛を絶対に成功させるには、そうする必要があったからネ。トライアル&エラーってやつですよ」

「え? 時間のループ?」

「そういう想定でキミに接触したわけだから」


 わからない。わからないすぎる。

 女の人が、にっこりと笑った。


「ようするに~~~わかりやすく言うと~~~」


 言いながらスタスタとおれの背後に回って、


「略奪愛しないと進級できませーん!!」


 どん、と背中をたたかれた。

 前のめりになると同時に、変化する世界。

 また夏祭りの〈あの日〉にもどった。

 時差ボケみたいに頭がボーッとしてるうちに、カツは何かをおれに言い、笑顔で手をふる。


 花梨に告白しようとダッシュで階段を下りてゆく親友の背中。

 一人、神社の境内に残されるおれ。

 また、一から幼なじみを失うおれ。


 こんな理不尽な話があるか。


 略奪愛だって?

 時間のループ?

 それを……成功させないと、このループから出られないっていうのか?


 今までモテたこともなく、女子に注目されるほどかっこよくない、いたってフツーの男子高校生のおれが……誰かから彼女を奪わないといけないなんて。


 終わった。


(せめて……ちがう行動をとってみるか)


 おれはおぼつかない足取りで階段をおりて、お祭りの中を歩く。

 カツと、花梨に会いたい。スマホで連絡すれば、それはできるだろうけど。

 会いたくない気もする。

 とにかく、会えればいいかぐらいで、そのへんを歩き回った。


(!)


 みおぼえがある浴衣。

 中三のときにみた記憶がある。白い下地にひまわりの花がいっぱい入ったデザイン。 

 花梨だ。

 金魚すくいのお店の向こうの、暗がりにいる。大きな木の下に。

 おれは気配を消してそっちに近寄った。


「花梨……」

「マサちゃん、ははっ、ありがとね」

「いますぐ返事がほしいんだ。たのむ」

「うん……」


 ドキッとした。あいつの顔がこっちに向いたからだ。気づかれたのかと思ったけど、そうじゃなかった。ただ、空を見上げているだけだった。


「ひとつ、聞いていい?」

「なんだ?」


 急にぼそぼそ声になって、うまく聞き取れない。

 おれはもっと、あいつらに近づいた。でも、この草むらがギリギリだ。蚊がいる。あまり長い時間、いたくはないな。


「そっか」


 花梨が、微妙な表情になった。

 うれしいようにも悲しいようにも見える顔だ。

 カツと花梨はなにを――話していたんだ?


「うん。いいよ」

「え……いいのか? おれで?」


 こく、と小さなあごをひいて、うなずいた。

 やった、と口が動いて、無言でよろこぶカツ。

 そのまま、ねるように走っていく。神社の境内にまだおれがいると思って、急いで報告しようとしているんだ。



「花梨」



 おれは、かくれていた草むらから姿を出した。

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