略奪愛しないと進級できません

嵯峨野広秋

第1話 その手があった

 おれはため息をついた。

 もう一回、ついた。

 今日は水曜日。

 週三回、月・水・金の文芸部の部活を終えて、あたりはとっくに日が暮れている。どこかの家からカレーのにおいがする。だが、おれはカレーなんか食いたくない。なにも食べたくない。


(とうとう、この日がきたか……)


 家の前に仁王立ちするおれ。

 おれの家が左で、あいつの家が真ん中、あいつの家は右。

 三つ、そっくりな家が並んでるんだ。そっくりっていうか、たぶん同じだと思う。デザインも面積も。

 横幅がなくて、ちょっと窮屈にみえる家だ。

 でもせますぎるってわけじゃないし、けっこう住みやすい家。

 もっと〈豪邸〉が良かったなんて、ぜいたくは言わない。


 願うのは――家の立地だ。

 どこか、べつの場所に建ってれば良かったのに。

 そしたら、おれは〈あいつ〉とも〈あいつ〉とも、幼なじみにならずにすんだんだ。


 同じような三つの家に、たまたま、同い年の子どもが三人。

 それも〈男・男・男〉とか〈男(つまり、おれ)・女・女〉とかだったら、まだ救われた。


 くっ……〈男・女・男〉って……。


 おれはまたため息を――いや、歯をくいしばって、どうにかふんばる。

 思えば、よろこぶべきことじゃないか。

 幼なじみ同士の恋愛が成就して、今、あいつらは同じ部屋にいるんだ。


 よろこぼう。


「あっ」


 窓があいて、花梨かりんが声をあげた。

 そのまま窓から上半身をのりだして、


「おーーーい! シンちゃーーーん!」


 おれに手をふる。

 季節は3月。まだ寒い日も多いのに、あいつは白T一枚で薄着うすぎ。きっと部屋に暖房をカンカンにたいているんだろう。

 笑顔だ。

 おれの気も知らずに笑顔。

 めっちゃ笑顔。

 目が弓なりに細くなって、エンピツの線一本で書けるぐらいの笑顔。ハロウィンのかぼちゃの口みたいに、口角上げまくりで全開の笑顔。ほかの女の子みたいに口元をかくそうとしない、堂々とした笑顔。


 おれが大好きな笑顔。


「おーー……。あれ、シンちゃん?」


 背中を向けて走り出した。

 あいつから逃げるように。

 花梨と、同じ部屋にいるおれの親友から、すこしでも距離をとりたくて。


(はぁ、はぁ……)


 息が切れる。

 持久走みたく、かなりの長さを走ってしまった。

 気づけば、手に何も持っていない。スクバをあそこに置いてきてしまったようだ。まあ、家の前だから、誰かに持っていかれるなんてことはないだろう。


(なにやってんだ)


 初恋の幼なじみと親友の幼なじみに背を向けて。

 こうやって逃げたって、なんにもならないのに。


(……汗かいて、のどがかわいたな)


 目の前にコンビニがある。

 中には誰もいない。夜中みたいな雰囲気だ。まだせいぜい、七時を過ぎたぐらいなのに。

 とにかく、そこに入った。

 ドリンクのコーナーにいって、ペットボトルのスポーツ飲料に手をかけたそのとき、


「ねーねー」


 横から声をかけられた。


「どうしてキミ、泣いてるの?」

「……」

「無視しないでよぉ」

「泣いてません」


 ドリンクのコーナーは、奥が鏡になっていた。

 おれは自分の顔をたしかめたが、涙はこぼれていない。目がうるんでさえない。一見、ふつうの顔だ。どこにでもいそうな、ありきたりな高校生の男子の顔。


「じゃあ、この鏡みてみ?」


 女性が、丸い形のコンパクトをひらいて、おれにつきつける。

 紺色のスーツを着た若い女の人だ。

 こっちを面白がってるような表情で、口のはしっこが上がってアヒルぐちになっていた。


「ね?」

「あ…………」


 泣いている。

 おれが。

 大号泣。鼻の穴の中がみえるほど天をあおいで、くちびるをふるわせて、何度も何度も何かを叫んでいる。


「どうせ泣くなら、うれし泣きしてミン?」

「え?」

「やってみよーよ、略奪愛!」


 ばん、と背中をたたかれた。

 体がよろけて、ととと、とそのまま前に数歩すすむ。



「あ、あれ?」

「どうした、シラケン?」



 青い浴衣を着た男が、目の前にいる。

 背が高くてイケメン。おれの親友の勝正かつまさだ。

 とおい祭囃子まつりばやし。ムンとした空気。うるさいセミの声。


「え――――」


 夢か? いや夢じゃない。夢だとしても、リアルすぎる。

 こんなに、相手の毛穴まではっきり見える夢なんか、あるわけない。


「おい。そんなジロジロみんなよ。おれの鼻毛でもさがしてんのか?」


 ははっ、とカツはさわやかに笑う。

 あたりを見わたした。

 ここは神社の境内だ。階段をのぼった少し高いところにあって、鳥居の向こうを見下ろすと両サイドに露店がたくさん出ている。


「カツ。おれのほっぺ、つねってくれ」

「は? なにいってんの?」

「いいから!」


 手をとって、強引にほっぺに持ってきた。

 しかし、つねってもらうまでもない。

 こいつの、わずかに汗をかいてしっとりした腕に、あったかい体温。これが現実じゃないわけがないんだ。


「カツ、いま何年? 何月何日?」


 と質問したら、親友はスッとおれのおでこに手をあてた。

 バカ! とおれはその手を思いっきりふりはらう。


「もういいよ……」

「よくねーよ。シラケン、今のボケなん? 記憶喪失とかタイムトラベラーみたいな演技だった?」


 なぁ? なぁ? と右から左から、しつこくきいてくるカツ。

 おれはめんどくさくなって、言う。


「そうだよ」

 

 ははっ、と白い歯をみせて笑う親友。そして、おれと肩を組む。


「さすがシラケンだぜ」

「……なにが」

「おれをリラックスさせようと思って、ボケてくれたんだろ?」

「リラックス?」

「今日は、おれにとって勝負の日だからな」


 思い出した。

 いや、ほんとは、とっくにわかってたんだ。

 ――年の、7月14日。

 この夏祭りに、あいつはあいつに告白した。

 おれたち三人はある意味、この日から幼なじみじゃなくなったんだ。

 もともとちがう高校のカツとはあまり会わなくなったし、花梨とは同じ高校だけど、おれから彼女を避けるようになった。


「じゃー、おれ行ってくる!」


 今から約30分後、女子の友だちといっしょに来てた花梨を誘い出して、カツは告白して成功する。

 記念すべき日なんだ。あいつらにとっては。


 真っ赤な夕焼けの空を見上げた。


 おれは……。

 だからおれは、この日に飛ばされたのか。

 この日に、おれの後悔のすべてがあるから。

 この日さえ、変われば――――――――っ!


「カツ」


 おれは立ち去ろうとする親友の手を、うしろからつかんだ。

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