第6話

「ここって。このアパートに?」

「いえ、この部屋に」

 どういうこと?と僕の口から出かかったが、かなえが話を続けそうだったから口をつぐんだ。

「それで、どうしてこの部屋にいるのかってことですよね」

「そうです、それが知りたいんです」

「あの」

 かなえが申し訳なさそうに、こちらを見ている。

「いつからここにお住まいですか?」

 なぜそんなことを聞きたがるのだろう。回りくどいなと訝しく思いながらも僕は答えた。

「大学三年から今ですから・・・もう四年になりますね」

「やっぱり。じゃあ今二十四歳ですか?」

「そうです。それが何か?」

 なかなか核心までたどり着かないかなえの質問責めに、僕は少しだけイラついていた。

「ごめんなさい、どうやってこの部屋に入ったか、ですよね。実は私はこの部屋に住む前の住人なんです」

「それはさっき聞きました」

 とはいえ、気にかかっていた。目の前に座っているこのかなえとか言う女性が前の住人だったとして、どうやって入ったのだろうか。住んでいる人間にしかわからない、抜け穴でもあるのだろうか。いやここは二階だ。それに玄関に靴が揃えられていたし、窓も完全に施錠されている。

「それで」

 僕の思考を読み取ったのか、かなえは続けた。

「入居のときに鍵は交換されてないですよね?」

 え。どうだったっけ。かなえからの思いがけない質問に、僕の記憶は四年前の不動産屋へと飛んだ。

 

 あの時の僕は、とにかくお金がなかった。アルバイトはしていたけど、服やお酒にサークルにと使いどころが多すぎて、貯めると言うことが一切できなかった。

 それでも、大学入学の際に住み始めた七畳一間のワンルームのアパートからは一刻も早く出たかった。ちょうど二年目の更新が控えていて、タイミングは今しかない、とヒデに借金をして今のアパートへと引っ越した。もちろん、初期費用を抑えるためにはできる限りのオプションはパスさせてもらった。鍵交換もするかどうか聞かれたけど、どうせ男一人だからと断ったことを思い出した。

「そういえば・・・。してないっすね」

 そう言うと、かなえは、ですよねと言い、ゆっくりと頷いた。そしておもむろにカバンから革製の可愛らしいキーケースを取り出した。

 なぜ?と言う思いと、まさかなという思いとが入り混じりながら、そのキーケースを見つめていると、かなえはキーケースを開いた。

「これ・・・」

 かなえはおずおずと、何本かある鍵の中から一本を外して取り出した。かなえが差し出したそれは、僕の持っているこの部屋の鍵とあまりにもよく似た一本だった。「私、この部屋に大学一年の時から四年間住んでいて。とても愛着のある部屋だったから、記念にお守り代わりとしてこっそり一本だけ残しておいたんです。どうせ、次にこの部屋を借りる人が鍵交換をするだろうって思って」

「ああ、それで」

 ようやく合点がいった。僕が黙って頷いていると二人の間を再び嫌な沈黙が流れた。

「私、帰りますね」

 そんな空気にいたたまれなくなったのか、説明を果たしたからなのか。かなえは再びカバンを手に取り、立ち上がった。そして僕の正面に立ちしっかりと一礼をして、玄関の方へと向かった。

「あの!」

 リビングのドアノブに手をかけたかなえが、驚いてこちらを振り向いた。しかし、かなえ以上に驚いていたのは僕自身だった。これ以上何を話す必要があるのだろうか。それでも、僕の口は勝手に続けた。

「もう少し、話せませんか?」

 僕はかなえの方へ振り返りながらいった。驚いた顔をしている。困惑しているようにも見える。

「せっかく、コーヒーも入れましたし・・・」

 僕は再び前を向き、テーブルの上にあるコーヒーが入ったそろいのマグカップに視線を移した。一口しか飲んでいないコーヒーからはまだほんのりと湯気が立っている。呼び止めるには流石に苦しい言い訳だったと思う。

「・・・はい」

 そう言うと、かなえは踵を返して再び僕の前へと戻ってきた。

「隣座ってもいい?」

「あ、はい」

 思ってもいない発言に素っ頓狂な声が出てしまった。かなえは腹をくくったのだろうか。僕は戸惑いながらも、かなえのマグカップを近くに手繰り寄せると、かなえは僕の右隣に腰掛けた。

「どうして?」

 引き留めた理由が聞きたいのだろう。かなえはそう尋ねてきた。でも、僕にもわからなかった。多分、寂しかったのかもしれない。久しぶりに女の人と話せる嬉しさもあったのかもしれない。間違い無く言えるのは、もうかなえに対して怒りはないということだけだ。

「僕にもわかんないんですけど」

 僕は前置きを置きつつ答えた。

「久しぶりに、誰かと話がしたいんだと思います」

「そう、なんだ」

 そう言うとかなえはにっこりと微笑んだ。

「不法侵入のお詫びじゃないけど、私でよければ」

 そう言ってかなえはクスクスと笑った。不思議な女性だな、と思った。窓からは、昇り始めた太陽の温かな日差しが差し込んできていた。

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