第5話
「さて」
僕は後ろを振り向いて、ソファ越しに見える彼女に向かって言葉を発した。彼女は僕の声に目線を上げた。改めて見ると、結構可愛い。
「まず、名前は?」
僕は目の前の不法侵入の女に何を聞いても怒られる筋合いはあるまい、と強気に聞いていこうと決めた。
「はい、吉田かなえです」
「吉田さんね。年齢は?」
「二十六に、なります」
同い年かそれ以上だと予想していた僕の予想は当たっていた。
「へえ。結婚はしてるんですか?」
この問いに彼女は一瞬たじろいだが、立場が立場だとわかっているのか、ちゃんと答えた。
「いえ、まだ」
「そうですか・・・」
かなえの表情が暗くなった。この質問はこの女性にとってナーバスなものだったのかもしれない。
「なんかすいません」
「いえ、私がいけないんですから。警察に突き出されたって文句は言えませんし」
言葉は弱々しかったが、かなえの眼差しは弱くはなかった。きっと覚悟はしているのだろう。
「そうですか・・・」
向こうが弱くなると気を使ってしまう癖を直したい。
「どうやってこの部屋へ?」
「それなんですけど・・・」
かなえは打って変わって困惑の表情を浮かべた。
「鍵、開いてました?」
そう僕が尋ねると「いえ、閉まっていたと思います」とかなえは小さな声で申し訳なさそうに言った。やはり。昨日の朝の出来事を思い返してそうだったろうと思いながら、僕はますますわからなくなっていった。
「なら、どうやって?」
昨晩鍵穴を確認したけど、こじ開けられた形跡はなかった。
「長くなりますけどいいですか?」
長くなるとはどういうことだろうと思ったけど、何か事情があるんだろうと思い、ただ「はい」とだけ答えた。その時、ちょうどコポコポと音を立てていた電気ケトルがカチッと音を立ててお湯が沸いたことを知らせた。
「ちょうどいいや。ちょっと待っててください」
僕はそう言うとケトルを手に取り、用意しておいたマグカップへとお湯を注いだ。インスタントコーヒーがお湯に溶けて渦を巻いて液面に茶色の泡を作っている。同時にコーヒーの香りが鼻をくすぐった。シンクの引き出しからスプーンを取り出してそれぞれのコーヒーをかき混ぜるとスプーンをシンクに置いて、マグカップを持ってかなえの元へと向かった。
「はい、どうぞ」
かなえの面前にコーヒーを置くと、かなえは頭を下げた。僕はそのまま、かなえが昨夜飲んだであろう地ビールの空き瓶と自分が飲んだ分の空き缶を持ってシンク脇の空き缶用のゴミ袋へと捨てに行く。空き瓶を見た時にはまた、少しばかり怒りが戻ってきた。大事にとっておいたのに。
「ありがとうございます」
かなえは差し出されたマグカップを両手で包み込んだ。手のひらから暖かさを吸収するかのように。
「寒いですか?」
僕の問いかけにかなえは答えなかったけど、僕は黙って電気ストーブの電源を最大にしてかなえの方へ向けた。
「ほんとすいません」
「ミルクと砂糖はないんですけど」
本当は来客用のものが戸棚に入っているのだが、出すのが面倒だった。
「いつもブラックなので大丈夫です」
「そうですか」
そう言いながら、自分のマグカップをテーブルに置いてから、ソファではなくカーペットの上にあぐらをかいた。
「優しいんですね」
「そんなんじゃないです」
僕はかなえの社交辞令にうまく応えられるほど褒められ慣れていない。
「それよりもどうやってこの部屋に入ったか、ですよ」
僕は話を元に戻すべく切り出した。
「はい、そうですよね」
かなえは差し出されたコーヒーをフーッと少し息で冷まして一口だけ飲むと、小さく深呼吸をした。
「私、前にここに住んでたんです」
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