第4話
僕が目を覚ましたのは、いつもと同じく朝の六時だった。アラームをかけずとも、この時間に目が覚めるように身体が覚えてしまっているのはサラリーマンの性だろうか。大学卒業の際にアパートを引っ越さなかったがために、遠い勤務先の始業時間に間に合わせるのに、この生活リズムが体に染み付いてしまっていた。
「そうだ」
僕は昨晩のことを思い出して、扉の向こう側へと神経を向けた。聞き耳を立てたが、物音一つしない。
「夢だったんかな」
そっとリビングへの扉を開け、昨日女が寝ていたソファを見たが誰もいなかった。
「まあそうだよね」
夢にしてはやけにリアルな夢だったななんて思いながら、改めて安心感に包まれた。少し伸びをしてから脱ぎっぱなしになっていたスーツをハンガーにかけ、クローゼットを閉めると、隣のリビングへと戻った。
リビングに入りカーテンをさっと開けて、僕は電気ストーブをつけるべく振り向いた。
「!」
ソファの隣に女物の小さなバッグが置いてある。ソファには昨日女を縛ったはずのくしゃくしゃに鳴ったネクタイが転がっていた。
「夢じゃなかった?」
その時トイレから水が流れる音がしてきた。心臓が止まったかと思った。足音はこちらへ向かってくる。寝室に逃げようかとも思ったが、足が動かない。そんな葛藤をしていると、リビングのドアノブがかちゃりと回った。
やはりと言うべきか、落胆と言うべきか。なぜか嬉しいと言う気持ちも混じっていたような気がする。様々な思いで心臓がドクンと高鳴る僕の視線の先に、昨日見た女がそのまま立っていた。
「あの」
僕が固まっていると、彼女は言い出しづらそうに、申し訳なさそうに口を開いた。
「お水を一杯いただけますか?」
こんなに奇妙なことが僕の人生において一度だってあるなんて思わなかった。目の前に、空き巣の女。生かすも殺すも僕次第。
「何から聞いたらいいのやら」
女性に水を渡したあとに僕は切り出した。彼女は床に、僕はソファに座った。こんな時にレディファーストなんて言ってられない。彼女は今にも帰りたそうに、ただ縮こまって座っている。真っ青な顔をして。見た所僕と同年代か、少し年上だろうか。
「あなた誰なんですか」
至極まっとうなことを聞いたはずなのに、彼女はしばらく考え込んでから口を開いた。
「私はなんでこの部屋にいるんですか?」
「は?」
彼女の言葉を黙って待っていたけれど、最初に放った言葉がそれだった。
「あんたね、勝手に人の部屋に入って来て。本当になんなの?」
語気の荒い言葉に、女は少しビクッとしながらも、僕の目は見据えたまま、再び口を開いた。
「勝手に?じゃあ、このネクタイはなんだったんですか?」
女はソファの上に転がっている、自分の手に結び付けられていたネクタイをみながら言った。
「それは・・・。あんたが襲ってこないようにするために」
僕は少しあせりながら言った。傍目には襲ったのが僕でもおかしくない光景だったから。
「じゃ、本当に私は勝手にここにきちゃったんですか?」
その問いに僕が黙っていると、女は自分で納得したようだった。
「申し訳ありませんでした」
僕が答えると女は申し訳なさそうに帰ろうと立ち上がったが、ソレは僕が遮った。
「理由もわからず帰らすわけないでしょ」
女はなおも頭を下げながら帰ろうとしたけど、僕が「警察呼ぶよ?」という一言をポツリと漏らすとおとなしく元の位置に腰掛けた。
「状況を説明してもらえませんかね」
別に危害が加えられているわけでもないし、なによりこの状況が少し面白く感じてきていた僕は、努めて明るく振る舞って見た。刺激のない毎日にほとほと飽きていたというのもあるように思う。
「ですよね・・・」
女はそういうと渡した二杯目の水をぐっと飲んでため息をついた。ため息をつきたいのはむしろ僕の方だってのに。
「飲み物でも飲みますか」
重苦しい空気に耐えられなくなった僕は気を利かせてそう言った。
「あ、申し訳ないんで・・・」
「いや、いいから。緑茶かコーヒーしかないけどどっちがいい?どっちもインスタントなんだけど」
女は一瞬悩んだが、ではコーヒーをと言うと縮こまった。僕は立ち上がってキッチンへと向かい、電気ケトルに水を入れてスイッチを入れると、シンクに転がっている自分のマグカップと、最後に使ったのはいつだったか、来客用のマグカップをすすいでキッチンに並べて、インスタントコーヒーを入れた。
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