第2話

 外の冷気にいささか酔いは醒めてきていたけれど、足取りは相変わらずふらついていた。少し高台にあるアパートの階段をだらだらと上がる。今夜のように誰かといる夜も、一人でいる夜もこうして近所に何軒かある安酒を飲める店に入り浸っては、酔っ払って自分の部屋で泥のように眠るのが僕にとって生きにくい現代を生き抜くのに必要な息抜きだった。    

かんかん、という自分の足音が冬も近づいてきた乾燥した夜空に寂しげに響く。僕の部屋は二階の角部屋にある。アパートの外階段を上って部屋の前でタバコを咥えて火をつけた。喫煙者にとって肩身の狭い世の中になったけど、僕は禁煙はしたことがない。別にポリシーがあるわけじゃないけど、特に辞める理由もない。煙を深く吸い込んでゆっくりと吐き出した。酔いがさらに回っていくのを揺れる視界に感じながら、周囲の街並みを見回した。狭い土地にぎっしりと、まるでパズルのように上手に建物を敷き詰めた、どこにでもある住宅街。ヒデは帰り際に空き巣やらで物騒だなんて言ってたけど、本当なのだろうか。かれこれ四年も住んでいるが、まるでそんな実感はなかった。

「単純に気に入ってんだよなあ」

 僕はボソッと誰に言うでもなく言った。家賃も街も、今の自分に釣り合っている。僕は気に入っているポイントの一つである、鉄製の重いドアを押し開けた。

「今主人が帰ったぞォ」

 随分と磨いていない革靴を脱ぎ捨てながらそう呟いた。誰もいるはずのない空間に虚しい声が響いた。返事なんてあるはずがないことはわかってはいるのだけど、なぜか続いている妙な習慣だった。緩んでいたネクタイを外しながら、おぼつかない足取りで廊下と呼べない廊下を進む。

「あー」

 リビングへと続くドアの下からチカチカとした光が漏れ出ている。

「電気代・・・」

 テレビを消し忘れた朝の自分を呪いながらドアノブを回してリビングへと入っていく。

「これがカノジョの笑い声ならなあ」

 テレビからは大きな笑い声が流れていた。僕はため息を漏らしながら、その明かりを頼りに、キッチン脇の飲み物しか入っていない冷蔵庫を開けた。

「うん?」

 僕は売り場で一番安かった発泡酒を一本手にした。残り二本。おかしなことにとっておきの地ビールの瓶がなくなっている。

「飲んだっけかな」

 飲んだ覚えはなかったけど、飲んでしまったことは仕方ない。冷蔵庫の扉を閉めながら片手でプルタブを起こすと、ソファーへと向かった。指先に発泡酒の泡がつく。缶を持ち直して指先をぺろりと舐めると、ネット通販で買ったソファーに座った。

「?」

 何かがある。尻の下に。大きい。適度に固く、適度に柔らかい。生暖かい感触。僕は独身男だ。クッションやらぬいぐるみなんか買った覚えはない。じゃあなんだろう。不自然な温もりに寒気を感じる。そっと立ち上がる。・・・まさかな。

 僕は恐る恐る自分の尻の下にあった物体を見た。ソレはテレビの明かりに照らされた。そこには、伝わってきた感触通り、人のようなフォルムのものが横たわっている。あれだけ回っていた酔いが一気に醒めていく。

 男?女?

 そもそも生きているのか?

 僕は何らかの事件に勝手に巻き込まれたのか?

 事件といえばふと、さっきまで一緒にいたヒデの言葉を思い出された。

『まだあそこに住んでんの?最近物騒らしいけどほんと?』

『空き巣が多いらしいじゃん』

『引っ越せよ、いい加減』

 まさか。自分に限ってそんな目に会うなんて。いろんな考えが頭の中でぐるぐるしながら、僕は下にある物体を刺激しないよう、息さえも殺してその物体の前に立ち尽くした。ゴクリ、と生唾を飲み込みながら、本当に生唾ってあるんだな、なんてマヌケなことを考えながら、暗い視界の中警戒心が高まる。

 暗がりの中、目を凝らしてソレを見つめる。安定しないテレビの明かりに照らされたのは、やはり人だった。だがやはり暗くてよく見えない。その時、テレビ画面が白く光った。光量が増えた。そこにいたのは女だった。まあまあ可愛い、けれどどこにでもいそうな女だった。

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