お見合い結婚の真実
木谷日向子
お見合い結婚の真実
私は百合子。
新卒から大手の金融機関に勤めて、6年が経過した。
その間に、同期入社した子たちの中で、何人かが結婚を機に寿退社していった。
ある日のお昼、同期の千鶴がため息をつきながら私に向かって話しかけてくる。
「ねえ、私たちっていつ結婚できるのかな……。百合子はいい人誰かいるの?」
私はそれを聞いて驚いて目を瞠ってしまった。だって、私は千鶴のように、結婚を焦る気持ちも、相手を探す気持ちもほとんどなかったからだ。
千鶴の話をなんとなく別の話題へとはぐらかし、笑って誤魔化しながら、そうか、私ももう、そういうことを考えなければならない歳になってしまったのか……、と思って、不思議と落ち込んでいた。
帰宅すると、両親がリビングの革のソファの上で神妙な顔をして座っている。
なんだろう? 私は不思議に思って、二人に声をかけた。
「いつもお父さん、この時間帯はお風呂に入ってるのに、今日は一体どうしたっていうの?」
私はわざと微笑んだ。それは、気難しい顔をして私をじっと見つめてくる両親の表情をほぐすためでもあった。
しかし、私の微笑みでも両親は固い顔を崩さなかった。
父が一歩前に出て、私に話しかける。
「百合子。実は、お前に会ってもらいたい人がいるんだ」
私は驚いて体を一瞬震えわせた。
「え? 誰、それ……。男の人?」
母も、私へ体を向けて、真剣な顔で頷く。
「そう。あなたに、お見合いをしてほしいの」
お見合い!? なにそれ……。どういうこと?
動揺する私に対して、両親は顔を見合わせると、頷き、お前も結婚適齢期。もういい歳の大人だ。だが、一向に男の気配がない。なので、こちらから良縁を探してきた。という。
余計なお世話だよ……。私はそう思って青ざめたが、この気配では、どうやら断ることは出来なさそうだった。
後日、渋々両親が定めた料亭に、一人で足を運んだ。そこにお見合いの相手が来ているという。
私はどんな人がやってくるかも知らされず、怖がって身を固めていた。恐い人だったら、喋らずに一目散に逃げよう……。そう決意した。
だが、案内された和室で、赤い座布団の上に正座していたのは、眼鏡をかけた優しそうな青年だった。
口につけていた湯飲みから顔をあげ、私を見ると「あなたが百合子さんですか?」と優しく微笑んでくれた。
私はその笑顔を見て、何故だか胸がホッとする感じになった。
そして、私も座布団に正座し、彼と向かい合った。
他愛無い世間話から、両者の趣味について、いつの間にか時間も忘れて、楽しく話していた。
ああ、この人、気が合うなぁ。
私はふとそう思った。そう思えたことに、じんわりと感動した。そして、話題は結婚について移った。
会話の中で明かされたが、彼の名「明石家正さん」と言う。私よりひとつ上の二十八歳だ。
私が、その話題か……、と思い、ためらっていると、彼は「いきなり結婚なんて言われても、どうすればいいのかわからないですよね。やめましょう」と言ってくれた。
私は瞳を潤ませて顔を上げた。
なんて優しい人なんだろう……。
その後、彼と別れたが、初めは友人として連絡先を交換し、数回楽しくお茶をした。
四回目に会ったときに、この人とだったら付き合ってもいいかもしれない。と思い、カップルになった。そしてその一年後、私たちは夫婦になった。
まさか両親の思惑通り夫婦になるなんてびっくりだ。そんなつもり全然なかったのに、人の縁って不思議。
彼との生活は、とても穏やかだった。
休日に遅く起きてきても絶対に私のことを責めない。バターたっぷりの温かいフレンチトーストを作ってくれる。「ありがと」と言ってそれを食べながら、彼と他愛ない話をすることが幸せだった。土曜の夜はいつも一緒に映画を見て、楽しく過ごした。
私たちのこんな日常は途切れないで永遠に続いていくものだと信じていた。
ある日、湖のある公園を彼と並んでゆったり散歩していた時のこと。
急に彼が立ち止まった。
私は先に進んでいたので、後ろを振り返る。
濃い緑の木々の葉が擦れ合う音とと、小鳥の鳴き声、湖の漣だけが、沈黙した私たちの間を流れる。
「あのさ」
正さんは俯いて言った。いつもの明るい声と違い、くぐもった声に、私は驚く。
「何?」
私は不安気に彼に問う。
彼は顔を上げた。その表情は、今まで見たこともないほどかしこまっていた。
「俺たち、別れよう」
そう彼が告げたとき、時が止まったかと思った。目の前が暗転し、視界が一瞬真っ黒になる。
「え、なんで?」震え声で問う私に、彼は何も言わない。
その後、何が起きたのかわからないまま、私たちは離婚届けを書いた。
そして短く幸せに満ちていたはずの夫婦生活に、ピリオドを打ったのだ。
その後の私は、まるで骸のようだった。彼との幸せな日々を、走馬灯のように思いだしては、涙を流すだけの孤独な日々。実家で引きこもって、衰弱していく私を見かねた母は、ある日、森林公園へと私を誘い出してくれた。
木々の重なりから漏れる日の光は金色で暖かく、私は手のひらの上でゆらゆらと揺れるその光をただじっと見ていた。
母は私が立ち止まると、自分も立ち止まってくれて、私が歩き出すと、自分も歩き出してくれる。私のペースに合わせてくれ、いつも以上に優しかった。
それなのに、割れ物に触るように避けていた話題を、自分から口にしてしまった。
「あのさ、正さん。なんで私のこと嫌いになっちゃったんだろうね。私、彼に何か傷つけるようなこと言ったかな。何かしちゃったかな」
母は顎に指を当て、何かを考え込むような仕草をしたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「あのね。正さん。百合子のことを嫌って別れたんじゃないのよ。百合子のことが大好きだから、守る為に別れたのよ」
母の衝撃の発言に、私は目を見開いた。
一体、どういうことだ?
「お母さん、それ、どういうこと?」
私は息せききって彼女の方へ身を乗り出した。
母は切なく微笑むと、続けた。
「正さんの親戚がね。借金をして、人のいい正さんは、連帯保証人になってしまったのよ。多額の借金を背負い込むことになってしまった彼は、このままだと、百合子にも被害が及ぶと思ったんでしょうね。夫婦関係を解消して、自分一人になった方が、あなたを救えると考えたの。そのために、大切なあなたと別れたのよ」
私はそれを聞いて、膝から崩れ落ちた。いつの間には両目から大粒の涙が幾重もこぼれ落ちていく。
母はそんな私を抱きしめてくれた。
暖かな昼の公園に私と母の泣き声が響いていた。
正さん、ありがとう。
あなたと出会えて、私は幸せでした。もっと、もっと一緒にいたかったのに……。
それから、私は彼の思いを感じながら、懸命に毎日を生きた。
よく働き、よく食べ、よく寝て……。
土曜日の夜は、一人で映画を楽しむ。この習慣だけはやめなかった。彼との大切な思い出だったからだ。
そして月日は経ち、数年経った頃。
会社の同僚が、私に告白してきて、付き合うことになった。
同僚の名前は佐藤隆さん。
いつも一人で仕事に打ち込む私を気遣って、サポートしてくれていた人だった。
仕事に一生懸命な私の姿を見ていて、いつの間にか私を好きになっていたという。
真摯な彼に、私は仕事の憩いを感じていた。付き合うと、孤独だった日々が潤っていくように感じた。正さんのことを想って傷ついた夜も、温かく眠れるようになっていった。
そして、私たちは結婚した。
ある日の休日、隆さんが私を公園に誘ってくれた。
それは、いつの日か、正さんと共に歩いた公園だった。
穏やかで温かい木漏れ日も、湖の静かな漣も、美しい小鳥の鳴き声も、全部同じ。
綺麗だった。
隆さんが、私に向かって「どうして泣いてるの?」と尋ねる。
私はそれで自分の頬に指先で触る。いつの間にか、一筋の熱い涙が流れていた。
空を見上げると雲ひとつない紺碧。
正さん、路は分かれてしまったけれど、あなたには、幸せになってほしい。
この空のどこかで、頑張っているあなたの健康を、祈っています。
お見合い結婚の真実 木谷日向子 @komobota705
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