第30話 大地の覇者8
セーフポイントは安住の地だった。
今の今まで、それは覆りようのない事実だった。
しかし、ニャトス達がセーフポイントを離れ、戦いが始まったであろう音がした時、セーフポイントは蹂躙された。
間違いなく、地竜であった。
何かを探すようにセーフポイントの瓦礫の匂いを嗅いでいた地竜。
ニーニャが見つかる前に、ターニャは飛び出し、自分が囮となることで地竜を谷底へと引き戻した。
崖の出っ張りを足場に、一目散に下へと飛び降り続ける。
上からは地竜が迫る。
一安心だ。
これでニーニャを襲うものはいない。
他の魔物が心配ではあるが、強者が現れた付近にはしばらく魔物は近寄らない。
それが自然界で生き残るための生物のルールだからだ。
そのルールを今は信じるしかなかった。
谷底はまだ見えない。
夜が明け、崖の上端には光が差し込んでいたが、崖下に光は一切届かない。
地竜も匂いで追ってこれるだろうとは思ったが、念のためターニャは光球を出した。
「さて、どこまで粘れるか」
少しでも時間を稼ぐため、地竜をギリギリまで引きつけては崖壁をジグザグに飛んで翻弄する。
落下の速度があるから出来る芸当であり、谷底についたら一瞬で距離を詰められて終わりだろう。
自身が喰われたらまた上に戻るかもしれない。
であれば少しでも時間を稼いで、ソル達がニーニャの元に戻ってくるくらいの時間を稼ぎたいところだ。
しかし、そんな想いも虚しく、地面が見え始めた。
「神獣フルーメンよ。その勇猛さを我に与えたまえ」
ターニャは神獣へ祈りを捧げると、地面に降り立つ。
上から地竜がターニャ目掛けて落ちてくるのを、バックステップで回避した。
舞い上がる砂煙がゆっくりと晴れていく。
谷底は思った以上に広かった。
そして魔鉱石が至るところにあり、明るくもあった。
互いが互いの存在を認識した時、咆哮が重なった。
地竜の咆哮、そしてターニャの咆哮だ。
死を覚悟したターニャの咆哮は、地竜に負けじと勇ましかった。
ターニャの決死の咆哮の直後、上から稲妻が落ちてきた――かのようにターニャには見えた。
その稲妻は地竜の頭を地面にめり込ませたのだ。
ターニャの決死の覚悟も吹き飛ばしたその光景はまるで――
「神獣……フルーメン……」
先祖代々語り継がれてきた獣族の信仰の対象である神獣フルーメンが降臨したかのようだった。
「ふぅ、間に合ったか」
しかし、再度巻き起こる砂煙から姿を現したのはソルだ。
落下の勢いを利用して地竜の頭を踏みつけたのだ。
「わわわわわわぁぁぁぁぁソルさぁぁぁぁぁん!!」
続いてルナの叫ぶ声が上から響く。
ルナはそのままソルに綺麗にキャッチされる。
「急に放り投げないでください……死ぬかと思いました」
「死なさないと言っただろ」
「ですけどもぉ」
「ターニャ! 無事か!?」
「ターニャ!!」
続けてニーニャを抱えたニャトスだ。
崖上で地竜と戦っていたであろう全員が、ターニャの前に姿を現す。
「ニャトス……貴様も息災で何よりだ」
ターニャはニャトスとニーニャを抱きしめる。
もう二度と会えないと覚悟していた。
しかし、全員無事だ。
ターニャはこれを神獣フルーメンの導きに他ならないと思った。
急に抱きしめられたニャトスは手をターニャの背中に回そうかどうしようかと狼狽えていたが、残念ながら今はそれどころではない。
「下がってろ。コイツが恐らくダンジョンマスターだ」
ソルがルナを下ろして警告を促す。
地面にめり込んだ地竜が、身体を震わせ今にも起き上がろうとしていた。
ルナがターニャとニャトス、ニーニャを連れて壁際まで避難する。
途端、勢いよく地竜が頭を持ち上げた。
その勢いを使ってソルが再び宙に飛ぶ。
地竜の目はソルを捉える。
振われた腕がソル目掛けて一直線に迫るが、ソルは身を捻り、その爪先を躱しながら剣を薙ぐ。
爪が指先から綺麗に飛んだ。
「これはいただきですね」
ルナがそばに降ってきた爪をそそくさとハコへと回収する。
そんなルナにソルは言った。
「容量空けとけよ! こいつ丸ごと、しまってもらうからな!」
「え? えぇぇぇぇ!?」
「当たり前だろ。武器にも防具にもなるし、食糧にもなって薬にも使える。しばらく金には困らんぞ」
「私の使い方がえげつないです。私のこと都合のいい女としか思ってないですよね?」
「あぁ、そうだな。俺にとって最高だよお前は」
「ぐっ……どっちの意味で受け止めればいいのやら……でゅふふ」
ルナが複雑そうな顔で笑っている。
この生死をかけた戦いの中で、この2人は何故こんなにも通常運転なのか。
ニャトスも助太刀に入ろうとタイミングを見計らっているが、入りあぐねている。
ターニャも同様だ。
どちらかと言えば、自分達が助太刀に入ることで邪魔になる気すらする。
「ニャトス、ターニャ! 周囲の警戒を任せる! ルナとニーニャを守ってくれ! コイツは任せろ!」
ニャトスとターニャの戸惑いを察したのか、ソルから指示が飛ぶ。
任せろと言われれば、任せるしかない。
ニャトスとターニャは目を合わせると、剣を抜きルナとニーニャを両方から挟む形で防御の陣を引いた。
周囲を見れば、膝丈程の背丈しかない砂蜥蜴の群れが迫っていた。
1匹の脅威は低いが、集団で襲われれば牛も数分で骨となる獰猛さを持っている。
1匹ずつ着実に屠ると小さな魔石に変わっていく。
ターニャも気持ちに余裕が出始め、ソルの戦いを横目で見る。
距離を取って水刃を放てば、岩壁で逸らされ、水弾は幾重にも重ねた岩壁にその勢いを殺されていた。
何度かの応酬の後、ソルは魔法を使うのをやめた。
「さすが、大地の覇者と言われていることだけはあるな」
しかし、魔法を捨て白兵戦へと切り替えたソルは尋常じゃない速度で地竜を翻弄している。
ソルが姿を見せれば、地竜の身体のどこかで血が噴く。
ただ、この地竜の身体を切断できる程ではない。
そもそも使っている剣が小剣であり、脚刃も脛の長さだ。
地竜の巨躯を切断できるだけの刃渡りがなかった。
切り刻まれる地竜も憤怒の咆哮をあげる。
どれくらいの時間が経ったか。
やがてその声も小さくなっていき、そして、倒れた。
「ニャトス、お前の剣なら何とか首を斬れるだろ。トドメを」
水刃を放てば本当は斬れる。
しかし、ソルは視界の端で頭を押さえるルナを見ていた。
流石に使いすぎたのだ。
常にかなりの魔力を帯びた斬撃に脚撃。
水刃や水弾も地竜の様子を見るために相当の数を撃った。
ルナの魔力も無尽蔵ではないのだ。
一方で、言われたニャトスは逡巡する。
このような形で自分が『竜喰らい』をしたという記憶を自分自身に残すのはよくないと思ったのだ。
するとニャトスは剣をソルに差し出した。
「ソル殿、トドメを刺されよ。この地竜を倒したのは貴殿だ」
ソルに他意はなかった。
ただ、ルナに負担をかけないためにニャトスに頼んだ。
しかし、それはニャトスの誇りを傷つけるものだった。
ソルは自身の浅慮を反省しながら、ルナを見る。
「……ルナ、あと一振りだ、すまん」
「いつもそれくらい優しいと私は嬉しいです。大丈夫です。あと千振りはいけます」
嘘つけ。
その言葉がルナなりのソルへと気遣いだとバレバレだ。
しかし、それを指摘するのは野暮だ。
差し出された剣を使わないのはニャトスにも申し訳ないと思い、ソルはニャトスから剣を受け取る。
そして可能な限り魔力を抑えながら、速やかに地竜の首へと振り下ろした。
絶命した地竜は魔石にはならなかった。
それはつまりダンジョンマスターであることの証明であり、こうして、大地の覇者との戦いは幕を閉じたのだった。
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