第6話 暴落とかやめてよね
08:07,10,27,A.C.2028
フィリップス・ファンド社
本社運用本部の最高運用責任者のジョアンはニューヘブンポリス支社と本社のファンドマネージャー達、そして投資戦略部の面々と朝早くから遠隔会議をしていた。
会議の議題は昨日のガデス公国製兵器暴走に関する一件で、この事件が市場及びファンドの資産運用に対してどのくらいの影響が出るか、そしてそれに対してどのように対処していくかがメインとなっていた。
投資戦略部の人間の報告では昨日の主要指標の終値は最大でも1.4%の下げで、短期的な市場への影響と投資家心理に対する影響は大きいものの、長期的な資産運用に対する影響は限定的かつ6月期決算の予測に対する不安の方が影響は大としていた。
先物市場では金や銀などの貴金属が上昇し、かつタングステンや銅などの戦略資源が高値を付けているがこれも事件の影響は限定的で、基本的には需要の逼迫から生ずるものと報告してきた。
だが向こうのマネージャーが気になる一件を報告してきた。
「ニューヘブンポリス市にあるガデス大駐屯地に通ずる道を他国の駐留軍が封鎖し、なおかつ複数の輸送機や空中護衛艦がガデス大公国の駐屯地に向かった」
「そして輸送機や輸送船が往復している」
という情報だった。
ジョアンは机にスニーカーを履いた足を乗せ、パーカーの縁を節の太いごつい指で弄りながらこの件について長考していた。
そして暫くの沈黙の後口を開き、若い女性の報告を遮ってこう言った。
「市場が開いたらすぐ全ての金融商品で買いのポジションを解除して空売りを仕掛ける」
「そして追加で戦略物資に関する先物を含めた金融商品に買いを仕掛けていく」
「商品の引き渡し時間を考慮すれば今日動かないと手遅れだ。無論AIでの取引も同様だから技術部にも声を掛けろ」
投資戦略部のマネージャーは驚いて反応を返す。
「あり得ませんよ! 長期的に考えれば移動平均線の一部に生じた誤差でしかありませんし、事件の調査が進めば投資家心理も落ち着いて 売りの動きから戻します。この事件で金融ショックが起きる可能性は少ないと思われます」
「何よりウチのファンドに金を預けている金持ち連中が納得しませんよ……」
マネージャーは強く反論した。
一見するともっともな話である。しかし、ジョアンは一連の報告とデータに関する指摘を始めた。
「昨日の市場開始12分後、つまり9:12から事件が起きるまでの1分足を手元の端末で確認したが複数の箇所で大きな売りによって市場の平均が 僅かに下がっている。そしてその下げの後には不規則だが小刻みにグラフが変動している」
「そして必ず空売り比率が大きく伸びている。誰かが意図的に空売りを仕掛けている」
マネージャーは口を挟んだ。
「そこまでは分かっています。しかしその空売りはどこかの証券会社かファンドが仕掛けたものではないのでしょうか?」
「精査すればすぐに判明すると思います」
突然ジョアンは机から足を下ろし、そのラフな格好で会議室の中をうろつき始めた。
複数のファンドマネージャーがザワつく。「うろつきジョアン」だ! 噂には聞いていたが入社して初めて見る光景に新米マネージャー達は興奮を隠せなかった。
ジョアンが口を開く。
「そうだ。
「だがこの事件のすぐ前に仕掛けたという所が引っかかる。ここまで利益を出している連中が事件直前に空売りを仕掛けるという 疑われるような愚を犯すとは考えにくいし、偶然とも思えない」
「ここからは推測の領域になるが、敢えて自分達が『関与』していると分かる人間にアピールして仕掛けているそんな動きだ」
投資戦略部のマネージャーはジョアンの言う事に真剣に耳を傾けている。
「そしてニューヘブンポリス市の各国駐留軍の動きだ。事件発生からの対応が早すぎる。メディアでは迅速な対応だとぬかしていたが、道路の封鎖や駐屯地の戦略的包囲までやるのはいくらなんでもやり過ぎだ」
「確実に『機構』が絡んでいる」
中堅マネージャーの一人が質問する。
「だとするとこの件は巨額の利益を狙って『機構』内部の一勢力によって仕掛けられたと考えられるという事でしょうか?」
ジョアンは質問に答える。
「正確には『機構の一部』が絡んでいる、とすべきだな。利益が目的かと思ったが純粋な金の匂いがしない」
「ガデスの慌て様からすると相当な事態だろう。混乱しているのか傭兵部隊や駐屯軍司令官に対する処分も決定していない」
「そして対抗するかのように増援が送り込まれ、往復で輸送作戦が行われいる」
「恐らく本国ではなく近場の植民地から送り込まれた連中と思われるがコイツらが大人しく要塞に籠もっているとは思えない」
新米のマネージャーが質問をジョアンに投げかける。
「どうして彼らが大人しくしないと思うのでしょうか?」
ジョアンはピタリと止まり、新米マネージャーに対して鋭い視線を向ける。
新米マネージャーは緊張して手汗が止まらなくなった。
そしてジョアンは答える。
「いい着眼点だ。まさに今の市場が動揺している本質はそこだ。こう言う事件が起きた所でテクニカルな分析では長期的に影響は出ないし、 アノマリーからしても何ら問題はない。確かに空売りが仕掛けられているがそれは大多数の投資家にとって日常茶飯事だ」
「多くの投資家はあくまでも市場と自己の認識に基づいてあらゆる分析ツールを用い判断を下す。我々もそうだ」
「だが、日増しに増え続けるガデスの増援はそれを死角や土台からひっくり返す可能性がある」
「!!」
複数のベテランファンドマネージャー達の目が光る。
「この案件は元からソフトランディングが不可能なんだ。公的資金を注入して倒産を防ぐと言った類いの話じゃ無い」
「そして彼らは絶対に『やり返す』。そしてそれが空売りを仕掛けた連中の目的でもある。つまり挑発に対する対抗行動を誘った訳だな」
「増援はその挑発に気付いた奴が送った物だろう。喧嘩は売られたら言い値の倍で買う! しかしあくまでもギリギリまで駆け引きは行う」
「そしていざとなったら武力……いや暴力でカタをつける。その怜悧さと攻撃性は恐ろしいがいつか市場で手合わせしてみたいものだ」
「午後のWebメディアからの取材は全部キャンセルしろ。そして一連の業務が終わったらニューヘブンポリス支社の人間は全員本社に避難してこい」
「これからは本社で直接俺が指揮を執る」
中堅マネージャーが困ったように呟く。
「しかし……経理部や広報部や人事部がなんというか……」
ジョアンは目をギラつかせながら声を張り上げた。
「一世一代の大勝負だ! バックオフィスの連中は後でねじ伏せてやる。『お前らのせいでこのファンドは将来大損こくぞ!!』と脅してやれば一発だ」
「そしてこの案件に関する責任は全て俺が取る!」
「今日中にもCEOやCFO・CMO・COOを初めとした役員連中にもこの事を伝えるつもりだ」
遠隔の支社も含めたマネージャー達の表情が一気に熱を帯びる。
「では解散! 各自の業務に取りかかれ!」
「「「はい!!!」」」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます