高夜根神社の夏休み
長崎ちゃらんぽらん
前編
八岐市の東にある小山の中腹。そこに居を構える高夜根神社に、盛大なあくびが響き渡る。
「ふわぁああ~、何も、こんな日に限って掃除なんて」
夏の日差しを受け、高夜洋介は、ぐっと体を伸ばすと、寝癖の付いたままの頭をワシャワシャと掻いて顔をしかめる。
「あいてて」
人っ子一人居ない境内は、鳥とセミの鳴き声しか聞こえてこず、木々も青々と茂り、ゴミなどほとんど落ちていない。
十五分ほど前まではラジオ体操会が行われており、参加者たちが丁寧に後片付けをしてくれたおかげだ。
だと言うのに、彼がわざわざ竹箒を携えて掃除している理由は他でもない。
「大事な客人が来るから、しっかり掃除しろ」と言う、 母親の、高夜涼子の鶴の一声だった。
せっかくの夏休み。意地でも起きないつもりであったが、布団にもぐりこまれたかと思えば、そのままタイガースープレックスを決められて、危うく永眠させられかけてはどうしようもない。
「ったく、息子を何だとおもってやがるんだ」
ぼやきながらも丁寧に掃除を行うが、掃けば掃くほど、枯山水に模様を描いている様な錯覚に囚われる。
手を抜いてしまえとも思うのだが、その結果など火を見るよりも明らかだ。
早世した父親に代わり、神社の跡取りとして修行してきた彼の体には、パブロフの犬ではないが、やると決めたらきっちりやる事が染み付いてしまっていた。
「客、ねぇ」
とりあえず気が済む所まで掃いた彼は、額を拭いながら空を見上げた。
この高夜根神社は涼子の占いの評判もあって、有名人や著名人がこっそりやってくる事もしょっちゅうだ。
ちょうど反抗期だった数年前に一度、占いが思い込みじゃないと言うなら証明してくれと食ってかかったら、見事に翌日、抜き打ちの漢字テストで全問正解させられた程にはよく当たる。
翌月の小遣いは占い代として全額没収された事で、洋介の反抗期は比較的短い期間にて終了した。
そんな訳で、飛び込みや急な客には慣れっこの洋介だったが、それにしても妙な話だ、と今回ばかりは首を捻る。
涼子はかなりの面倒くさがりやである。それこそ、人目が無ければいつまでもダラダラと縁側に寝そべっているほどに。
そんな調子だからなのか、予約外の客が来る時でも、占っているかのように、前日までには大抵感づいて準備を行っているものだ。当然洋介も手伝わされる。
だが、今日は違う。朝一番で突然と言うのは、珍しいどころではない。正式に検証した方がいいレベルの確率だった。
「ま、考えても仕方ないか」
占い能力を微塵も受け継いでいない彼が首を捻った所でわかる事など何も無い。
最後に一回りしてさっさとこの夏の陽射しから離れようと竹箒を肩に担いで境内を巡る。
十分綺麗になった。問題はない。
「よし、完璧だ」
瞬間、爽やかな吹き抜けに木々がざわめき、砂が舞った。ああ無情とはこのことか。
「終わった終わった」
もう知らん。洋介はそうそうに匙を投げ出すが、箒だけは何とか片付けた。
朝とは言えやはり夏。すっかり汗をかいてしまったので、一風呂浴びるべく、家へ引き返す。
高夜根神社には、山の麓と言う立地はさることながら、とある理由により温泉が引いてあるのだ。
母親が朝風呂でもしたのだろう。お湯は炊き直されていた。
さっさと服を脱いで、こだわりの岩風呂へ。浴場のドアを開けると、突如湯船が爆発。間欠泉の如く湯柱が立ち上がる。
「げえっ!?」
踏まれた蛙のような声も、降り注ぐ温泉のシャワーにかき消された。
「ぷはっ、げほっ!」
柱が消えると、風呂の中から一人の女性が姿を現す。
激しく咳き込みながら、彼女はぐるりと周囲を見回して、目を白黒させる洋介に気付いた。
「はあい、お久しぶり」
実に呑気に、それでいてはっきりした口調で、彼女は手を上げて挨拶する。
流れる川のように美しい銀髪と宝石のような碧眼、そして人懐こい笑顔。
その全てを、洋介は知っていた。忘れるはずがない、忘れることなどできはしない。
「エミリア、か?」
「ちょっとちょっと、反応が鈍いわね。ニブチンよニブチンって、いやんっ」
突然頬を染め、彼女は顔を覆う。洋介は自分がどんな格好をしているのか、ようやく思い出した。
咄嗟に両手で前を隠すが、状況は好転していない。
エミリアは仕草とは裏腹に、指の隙間からじっとこちらを見ている。
「いやんはこっちのセリフだよ!」
「あ、洋介。後ろ」
彼女が告げるのと、肩を叩かれたのはほぼ同時だった。
振り向けば、般若も真っ青な、とても素敵な笑顔の母親の姿があった。
「何だい、この状況は?」
真夏の蒸し暑さも極寒に突き落とす冷めたい声に、洋介の思考も凍り付く。
判決は既に下されているようだ。
「朝から騒がしいと思えば」
「えっと、一応弁解を」
「伯母様、お久しぶりです。助かります」
「ば、ちょ、ええ~っ?」
釈明を試みるが背後からの一撃で台無しである。
「ああ、久しぶり。大きくなったね」
水を滴らせて上がって来たエミリアに、彼女は朗らかな笑顔を向けて挨拶する。
「それで、洋介。何か言ったかい」
二十面相もびっくりのスイッチングで、再び凍える吹雪が放たれる。
もうダメだ。こうなれば最終手段しかない。洋介は躊躇う事なく五体を地に投げた。
「すいません、勘弁してください」
「じゃあ、どっちがいい」
まるで泉の女神のように、彼女は罰を選べと黄色と木の二つの桶を差し出した。
「あ~、洋介」
気まずそうな声に、僅かな希望を託して見上げるとエミリアはあからさまにつり上がる口元を隠し、親指を立てる。
「頑張って」
「チクショー!」
咆哮と同時に、彼の視界はケロヨンの字に覆われて星が舞う。カラーンと心地よい音が鳴り響いた。
魔法使いの一族が収める王国ウィズランド。
国の繁栄に対しては決して豪華でないながらもどっしりと構えた石造りの城は、とても厳かな雰囲気を漂わせていた。城内も、素朴ながらも落ち着いた調度品が配され、修道院か教会のようだ。
そんな厳粛と言うベールを纏ったウィズランド王城にあって、謁見の間に足を急がせる人影があった。
第二王女エミリアである。
全くもって突然の呼び出しだった。国王である父に呼び出される事は少なくないが、謁見の間となると話は別だ。
父である国王の呼び出し。
彼女はもう十九。今更それが何を意味するのかわからぬ歳ではない。問題は、何故かだ。
(一体何の件かしら)
彼女には思い当たる節が多すぎた。あれかこれかと考えている内に謁見の間についてしまう。
「ああ、待って待って」
さっさとドアを開けようとした衛兵を制止する。息が上がったまま臨む訳にはいかない。
深呼吸して落ち着いた所で、老執事をまたもおいてけぼりして来た事に気付く。
いつもの事なのだが、何故だか今日はちょっとばかり寂しくなって、彼女は振り返る。だが、姿は見えなかった。
「姫様?」
扉の取っ手を握ったままの衛兵が、申し訳なさそうに声をかける。
「ごめんなさい。うん、いいわ。開けて」
ギギッと歴史の籠った音を立てて、謁見の間が開かれる。
エミリアは背筋を正してゆっくりと、部屋の中へ踏み入れた。
作法はダンスだ。一度覚えれば多少心に余裕がなくても、違える事はない。
彼女が形式通りに礼を行うと、第十五代ウィズランド国王は鷹揚に頷いた。
「顔を上げよ」
野太くも威厳のある声が降ってくる。エミリアはゆっくりと国王を見上げた。
齢四十ながら衰え知らずの筋骨隆々な肉体が、相変わらず窮屈そうに玉座に収まっている。たっぷりのあごひげが相まって、巷では獅子と呼ばれる国王が、その異名にふさわしい力強い視線でこちらを見下ろしていた。
「今日呼び出したのは他でもな、いかがした?」
「あ、申し訳ございません」
周囲が気になってちょっと目を動かしただけなのだが、見逃してもらえなかった。
エミリアは慌てて頭を下げるが、その心はざわめきに包まれていた。
(大臣勢ぞろいって、どういう事!?)
彼女は第二王女と言う立場上比較的政治に関わる機会は少なかった。
早逝した母、すなわち王妃の仕事も第一王女たる姉に任されていた事もあり、国王以下全大臣が顔を並べるような場面には数える程しか居合わせた事がない。それも大抵は祝祭事に関わるものくらいだ。
背中に嫌な汗がにじみ出す。
「お前が健やかに成長してくれた事は嬉しい」
「あ、はい。ありがとうございます」
不意に国王の声が聞こえ、頷いて返すが、何の話だか全く聞いていなかった。
いくら不穏でも今は話に集中しなければ。エミリアは全ての意識を耳に傾ける。
「だが、最近、自由が過ぎたかと思うようになった。そこで、お前には今一度外遊を申し付ける」
「はい」
エミリアは静かに頷き、同時に大臣が揃っている事に合点が行く。
それだけ、行き先または内容が重要なのだ。
外遊なら何度も行って来たし、慣れたものだが、ここ一年ばかりは姉に比べて気ままに過ごして来たのも事実。
久しぶりの仕事を考えると気が重くなる。
王はゆっくりと椅子から立ち上がり、謁見の間全体に響く声で告げる。
「エミリア=イスト=ウィズランド。そなたに、地球の情勢視察を命ずる。なお、その際、そなたは高夜家預かりとする」
「え?」
「帰国の時期などは追って沙汰する。出立は、明日早朝。以上だ」
想像の斜め上の内容に、聞き間違いか、と目を白黒させるエミリアの元へ、太政大臣がやって来て、うやうやしく礼をし、書類を差し出す。
もはや礼儀を気にする余裕がなくなっていた彼女は、ひったくるようにしてそれを受け取ると、中を確認。
たった今父親が宣言した通りの内容だ。相違があるとしたら、期限の項目。書面には、紛れもなく【無期限】と記載されていた。
「うはえ!?」
素っ頓狂な声を上げるエミリアだったが、国王直筆のサインと王家の印璽まで押してあっては、反論の余地などない。
仮にその余地があったとしても、混乱の境地に陥っていた彼女は、叫びを上げる事しかできなかった。
その後はどうやって間を退室したかは覚えていない。
ショックが落ち着いたのは、メイド達がまとめた荷物を持たされての、見送りの真っ最中だった。
それは、高夜根神社に到着するほんの数分前の出来事だった。
「と、言うわけなのよね」
「待て待て待て」
あっけらかんとした調子でやってきたいきさつを述べたエミリアに、洋介は頭を抱える。
大臣総出の謁見の場で、国王から命令されたのは無期限の地球視察。そこから導き出される答えは一つしかない。
「放逐されてんじゃねーか!」
「違うわよ。それなら監獄島に送られちゃってるもの」
「はっはっは、ここも似たようなもんだぶっ」
背後から後頭部に一撃。舌を噛みながら振り向くと拳骨を握った涼子の姿があった。
彼女は固い笑顔を浮べたまま、首の後ろでまとめた、腰まである髪をなびかせて腰を下ろす。
「まったく、あんたも口が減らないね」
「主の胸先三寸で桶をぶつけられる屋敷が監獄でなければなんと言えと?」
「そりゃ、アンタが粗末なモノを見せ付けた罰だろうに」
ぶふっ、とエミリアが吹き出す。
「粗末言うなっ」
「だいじょーぶ。まあ、粗末ではなかったと思うわよ」
腹を抱え、肩を震わせながらでエミリアはフォローする。洋介はジロリとにらみ返した。
「お前、後で覚えてろよ」
「あらあら、忘れた方が良くない?」
ぐりぐりと頬を抉られる。
ガマンだ、自分。こいつはいつもこんな感じだったろう。
そう言い聞かせながら、洋介は彼女の手をあしらう。
「そうして見ると昔と変わらないね」
頬をついて寝転がった涼子は、口元を優しくゆるめて呟いた。
「五年ぶりくらいかい」
「そうですね。ご無沙汰してました」
「あっちはそんなに忙しかったのかい?」
「ほどほどに、ですね」
同盟強化の名目で四年間、隣国の魔法アカデミーに在籍していた事や、その後は一年余り警邏隊に所属して城下町の治安維持を行なって来た、と言う。
「なるほど。それはまた、こっちに顔を出してる暇はなかったか」
「ええ。海の向こうが騒がしかったようで、父達もここ数年はピリピリしてましたから」
彼女が隣国に身を預ける形になったのもそれが要因らしい。
エミリアはすぐに背筋を正すと、涼子に膝を向けて頭を下げた。
「そんなわけで、この度は突然の事で申し訳ありません」
「あ~、いいよいいよ。堅苦しいのは。まあ、突然だったのは確かだけど」
手をひらひら振り、彼女はこそばゆそうに耳をほじると、いたずらな笑みを浮かべた。
「で、何をやらかしたんだい」
「さあ、どれが原因なのやら」
「お前最低だぞそれ」
ペロリと舌を出すエミリアに、洋介は額に手をやる。まだ思い当たる所がない方が同情できたと言うものだ。
真っ先に思いつく内容が、警邏隊時代には所属した班に酒場組合や中央市場商店連盟等から、例年の倍の苦情申し立てや賠償嘆願が寄せられた事と言うから、後は推して知るべしである。
「まあ、おいたが過ぎたのは事実のようだね」
「みたいですね」
バツが悪そうに、エミリアは頬を掻いた。
「くぁ。あ~、ダメだ。やっぱり眠い」
大あくびをして、涼子は体を起こす。
「部屋に戻るよ。起きてしまった事は仕方ない。あんたも思うところはあるみたいだし、早めに戻れるように私から言っとくよ」
「あ、ありがとうございます」
「なあに、いいって事さ。それに、紙一枚で娘を放り出しといて私に断り無しなんていい度胸だよ。あいつにはちょいとお灸が必要だからね」
瞬間、涼子は瞳に炎を宿し、薄らぐらい笑みを浮かべ、居間を後にする。
不穏な空気を察したのか、庭で動物達が我先にと逃げ出していく。
と、ふらっと彼女は戻ってきて、今度は柔和な笑みを浮かべた。
「エミリア。とりあえずはゆっくりしていきな。ここは元々、その為の場所なんだからね」
「はい。しばらくお世話になります」
挨拶を終え、涼子が今度こそ完全に去って行ったのを確認して、彼女は固い笑みを浮かべたまま洋介の腕をつつく。
「洋介、伯母様を止めて」
「何でだよ」
「伯母様の雷落ちたら、父さん心労で倒れちゃうと思うんだけど」
洋介は指を二本立てて尋ねる。
「一つ、原因は?」
「私よね」
「二つ、俺に出来ると思うか」
「無理よね~」
「なら答えは一つで、そこから先も一本道だな」
彼女は手をぶんぶん振ってその結論を笑い飛ばした。
「洋介に出来ないのに私にできるわけないじゃない。あいたっ!?」
突然のショックに目をバツにして倒れ込む。
洋介は中指にふっと息を吹きかけながら、よくがんばった自分、と己を誉める。デコピンで済ませられたのだから、耐えた方だ。
エミリアはしばらくバタバタと足を動かしていたが、突然ピタリと動きを止める。
「疲れた」
「そうか。俺もだよ」
むしろ、どうしてせっかくの夏休みだってのに、朝からこんな目にあわなきゃならんのだ。
そんなぼやきは飲み込んだ。彼女だって、事情はどうあれ突然放り出されたのだ。無理もない。
(まあ、一番疲れてるのは叔父さんだな)
淡々とした反応に、エミリアは頬を膨らませる。
「むむ、何よその反応。もう少し労ってもいいのよ」
「……とりあえずグーでいいか?」
せっかくの気持ちも吹っ飛んでしまい、握った拳を掲げる。
エミリアはさっとうつ伏せになって頭を押さえる。
「暴力はんた~い。エミリアさんも時差ぼけなのでもう寝ま~す」
「ったく」
向こうとこっちで時差はないだろうに。
毒気を抜かれて洋介は拳を下ろす。決して、一瞬見えた目尻の涙のせいではない。間違いなくデコピンの名残だ。
「寝るなら部屋行けよな。特に触ってないからさ」
座布団を枕がわりにしたエミリアに注意しながら腰を上げる。自分も寝たい所だが、朝食の準備や礼拝も済ませなければ。
「むむぅ。連れてって~」
よし、殴ろう。一発ゴチンとやれば眠気も吹っ飛ぶさ。
甘える猫のような声を背に受けて、今一度洋介は拳を握りしめる。足音を忍ばせて近づいた彼は、振り上げた拳をゆっくり下ろす。
エミリアはすやすやと安らかな寝息を立てていた。わずか数秒の早業には感心するしかない。
「ズルい奴だよ」
無防備な寝顔を覗かせるエミリアに、洋介はふっと笑顔をこぼして抱き起こす。ちょっと甘いが仕方ない。母親も言っていたが、ここはそう言う場所なのだ。
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