第4条 本契約に違反すれば婚姻は直ちに解除できる


坂城さかしろじゅん。彼は何て言うか、アメコミのヒーローみたいな奴だった。精悍な顔立ちにがっちりした体つき。性格は優しくて力持ち、正義感も強い。男女問わず人気があって、そんでもってちょっと暑苦しい。


そんな彼は、俺の高校時代の同級生だった。


「懐かしい。俺と新、二人繋がったままゴールテープを切ったこともあっただろう」

「あ、ああ。高校の体育祭の二人三脚な。俺殆どお前の小脇に抱えられてた記憶しかないけど」


坂城は懐かしそうに高校時代の思い出を口にした後で、転生したきっかけを語る。


「幼稚園児達を身を呈して助けたまではいいのだが、気付いたらここにいた!さすがに車には勝てなかったようだ!」

「マジでヒーローじゃん…」


言葉から察するに結構悲惨な出来事だと思われるのに、坂城は大きく口を開けて笑っている。そう、彼はこういう奴だった。強くて頼れる兄貴肌。そんな性質を生かして異世界で騎士となり、力をつけ皆の信頼を獲得、王道ルートを驀進していると。


「な、なんか楽しそうだな…」

「新はどうだ!?」


そこでやっと、坂城は俺を下ろした。地面に足をついたまではいいが、ザ・異世界転生を地で行く奴に聞かれ、言葉に詰まる。


「お、俺は…」

「妻に何か?」


その時、背中にどんと軽い衝撃が走った。振り向かなくても、声と状況で察する。


「え、エーヴァルト」


(来た…!)


父さんの部屋で直ぐ様踵を返す様子はこちらにも見えていたから、来るだろうとは思っていた。平静を装ってはいるが、僅かに呼吸が乱れている。


(ま、マズイ…!)


焦る俺とは裏腹に、坂城は呑気なものだ。エーヴァルトの突然の出現に、片方の眉毛を上げる。


「妻?ああ、そうか。新は結婚して…」

「そうそうそう!」


激しく首を上下に振りながら、俺は慌ててエーヴァルトの背中を押す。急ぎ足で手を振った。


「じゃあな坂城!」

「あ、ああ…」


俺の様子に戸惑いながらも、坂城も手を振り返す。


こうも問答無用で、二人を離すのには理由がある。言わずもがな今のエーヴァルトの機嫌は最悪。そして前述の通り、坂城は強くて頼れる兄貴肌。しかしどういうわけか、いやだからこそなのか、少々厄介な性質がある。今その才能を発揮させる訳にはいかない。


胸の内いっぱいに不機嫌協奏曲を奏でるエーヴァルトを連れて、俺は庭を後にした。






「あの男と、随分と深い仲のようですね。わざわざ俺から離してまで秘密を守ろうとして」


二人揃って屋敷の廊下を歩いていると、目の前の背中からは早速嫌味が飛んできた。俺は事実を口にする。


「地元が一緒なだけだよ…」

「は?貴女の出身はここでしょう。嘘をつくのも大概に」


真実はぴしゃりと両断された。


「他に男を作っても構いませんが、ああも公にイチャイチャされると体裁が悪いと言うものです。しかもここは貴女のご実家ですよ。表向きはおしどり夫婦を装うと定めた契約条項にも違反します」


俺に背を向けたまま、エーヴァルトはくどくど小言を垂れる。しかし口では冷静に説教をしているものの、心の中は相当荒れている。


〈アラタとかサカシロとか、俺には分からない隠語で会話して…!挙げ句の果てにはで、繋がったままゴール…!?一体どんな破廉恥な行いを…!〉

「隠語でも破廉恥でも何でもないんだけど…」


思わず心の声に突っ込んでしまうが、エーヴァルトは聞いちゃいない。一度振り向き、俺に軽蔑の目を向けてきた。


「貴女には若い男の知り合いなど殆どいない、恋愛経験も皆無だと聞いたから、そこだけは信用していました。こんな淫らな女だったとは計算外です」


そう言って、鼻を鳴らし顔を背ける。


「まあそもそも、俺は貴女に対し何ら特別な感情を抱いてはいませんがね」

〈それなのに…嫌いになれない自分が悔しい!〉


冷たい言葉を吐きながら、身の内では乙女みたいな葛藤を抱いている。忙しい奴だ。このまま放っておいてもいいが、俺としても冤罪は晴らしたい。坂城との何一つ淫らではない関係をどう説明しようか、悩みながら口を開く。

 

「エーヴァルト。さかし…いやディーンは…」

「止めろ!」


しかし俺の弁解は遮られた。そして強くて張りのあるこの声は、エーヴァルトじゃない。


「さ、坂城…」


振り向くと、彼は廊下の先からのしのしと歩いてくるところだった。姿勢は怒り肩、まるで一点を睨み付けるかのような表情で。そして近付いてきた彼は最後に、俺の肩に手を添える。エーヴァルトに向かって鋭く口を開いた。


「気になってあとをつけたが…なんてことを言うんだ!淫らな女だの愛はないだの、先程の暴言。神が許しても俺が許さない!」


目の前の悪から俺を守るように立つ。


彼は強くて頼れる兄貴肌。そして、ある欠点がある。坂城の長所から鑑みればあまりにも些細、しかし場合によってはたまらなく迷惑。そう。彼には物事を少々大ごとにする節が――


「新…いや、アルマは俺の特別な人だ!」


その性分に見合って、また随分、こじれそうな台詞が出たものだ。






「新。平気か?」

「んえ?あ。うん。全然」


半ば放心状態で頷くと、坂城は抱えていた俺をそっと下ろす。衝撃発言に唖然とするエーヴァルトを置いて、同じく唖然とする俺は殆ど拐かしのように連れ去られた。


「追いかけてもこないんだなあの男は」


再び庭先へと戻ってきた俺達だが、先程とは違う点があった。口でも心の中でも、坂城は憤慨している。


〈新がまさかこんなことになっていただなんて…〉


聞こえてきたエーヴァルト以外の心の声に、俺は戸惑いながらも彼を見上げる。


(こいつのも聞こえるんだ…)


しかし坂城は思考が漏れているなど露程に思わない。思い出したように怒りを口にする。


「新は妻なんだろう?それなのにあんなことを言うなんて…許せない!」

「…かわいそうな奴なんだよあいつは…」


自分の気持ちをほんの少しだって口にできない哀れな男なんだ。奴の心中を知る俺としては憐憫を向けたつもりだったのだが、坂城の目には健気な妻として映ったらしい。


〈新は優しいな。だが、旧友があんな酷い仕打ちを受けているだなんて俺の方が耐えられない。何か良い手は…〉


真剣な表情で悩み始めてしまった。俺も何て説明すべきなのか迷いながらも口を開く。


「さ、坂城。あいつとは契約結婚なんだ。だから、別に愛とか無くったって良いんだよ。ていうかそれが理想なんだけど…なんでこんなことに…」


事態の泥沼化を前にして思わず口から本音が溢れ出てしまう。本当に一体なんでこんなことに。


「…契約?」


俺の言葉を受けて、坂城は顔を上げた。俺は引き続き死んだ目をしながら先を続ける。


「ああ。ちょっと結婚はしなきゃいけない理由があって…」

「あの男と結婚したくてした訳じゃないと、そういうことだな?」

「それは、まあ…。過去に戻れるなら絶対にしなかったな」


それはもう天地神明に誓って絶対に。すると、坂城は何を思ったか、突拍子もない提案をしてきた。


「新。俺と結婚しないか?」

「へ?」


穏やかな昼下がりに落ちたのは、人生二度目のプロポーズであった。一瞬呆気に取られたところで、俺はあきれながら口を開く。


「お前…。そんな簡単に結婚とか言わない方が身のためだぞ」


既婚の先輩としてアドバイスしておく。結婚は簡単でも離婚は難しい。軽いノリで結婚すると地獄を見るんだ。


しかし坂城は肩を揺らし、気持ち良く笑う。


「俺とお前の仲だ。迷惑などとは思わないさ」


そう言って、とても優しい目を向けてくる。


〈俺ならそんなことは言わない。新をもっと大事にできる〉


「い、いや、大事にしてほしい訳じゃないんだけど…」


どちらかと言えば放っておいてくれるとありがたい。困惑する俺を前に、坂城は諭すように続ける。


「俺が証言すれば、領主夫妻も説得できる。離婚だって夢じゃないさ。俺としても、事情を知ってくれている人が隣に居てくれるのは心強い。いい考えだと思うんだが」

「……」


坂城はいい奴だ。少なくとも、久々に再開した同郷の人間が不遇な環境に置かれているのを放っておけない程度には。それに、転生したとは言え彼の価値観は現代日本で作り上げられている。こちらの世界の常識に縛られることはない。俺が仕事を続けたいと言えば、意志を尊重してくれるだろう。


何より、俺が元男であることも承知の上。好意を寄せられることもなければ、こちらが好きになる必要もない訳で。


「いい考えって言うか…」


思わず口からぽろりと溢れ出る。


「それ最高の思いつきだな」

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