第3条 両者は互いの私生活に口を出さないこと


『お互いのどこが好きなんだ?』

『え』


これは、俺とエーヴァルトが契約結婚をする直前の話である。この二人で結婚したいと両親に伝えた後、俺達は突然呼び出されたのだ。腕を組みこちらに真剣な眼差しを向けてくる父に、横から慌てて母さんがフォローを入れる。


『急に二人が結婚したいって言い出したから、お父さんがね、びっくりしちゃったみたいで。安心したいのよ』


そう言って、母さんが俺達の顔を注意深く見比べる。


『普通ならお互いの好きなところぐらいあるでしょう?』


今思えば、二人とも俺達の結婚が偽装ではないかと疑っていたのだと思う。恋愛結婚の両親にとって、娘には運命の人と出会ってほしかったんだろう。


『え、ええと…』


しかし俺にとってはあまりにも手強く、そして痛いところを突かれた質問であった。


(エーヴァルトの好きなところ…?)


突然の難題に、俺は頭を抱え考え込む。うんうん唸ってさんざん悩んだ後に、口を開く。


『し、尻が二つに割れてるところ…?』

『見たことないですよね』


何とか絞り出したが、隣のエーヴァルトにすぱんと両断された。


(尻って…。貴女馬鹿じゃないですか…)

(仕方ないだろ。お前の好きなところなんて浮かばねえよ!)

(……)


両親から聞こえないよう、ヒソヒソと小声で話す。


『本当に好きなの?お尻なら私だって二つよ!』


俺の悪手により、母さんまで謎の張り合いを見せてきた。反対されれば俺達の偽装結婚は一巻の終わりだ。焦る心とは裏腹に、奴の好きなところなど微塵も出てこない。不穏な空気になりかけているのが肌で分かる。


(マズイ…!)


『まさか、私達に嘘をついて愛のない結婚をしようとしてるんじゃ…』

『結婚したくない』


両親の鋭い見解を、ふとエーヴァルトが遮った。横目で俺を見て、先を続ける。


『――と、彼女が言うものですから』


(お、おま…!バラす気か…!?)


隣で聞いていた俺は焦る。しかし、エーヴァルトが続けた言葉は、俺の予想とは違った。


『それを聞いて、俺が言ったんです。そんなに結婚したくないなら修道女にでもなればいいって。ちょうど、働いていることですし』


彼は当時を思い出したように笑う。


『そうしたら…叱られました』


突然の思い出話に、両親は呆気に取られている。俺と言えば、エーヴァルトの隣でぱちりと瞬きをした。


その時のことは覚えている。父さんと母さんが見合い話を勧め始めた時のことだから、だいぶ前の話だ。


エーヴァルトは部屋の空気など意に介さず、先を続ける。


『アルマは…「彼女達は誰かの為に人生を捧げたいと強い意思であの道を選んでる。妥協でなれるものじゃない」って』


当時の情景を思い返すように、彼は伏し目で瞬く。


『最後に、一人言のように「すごいよなあ」と。俺はこういう性格ですから、素直に人を尊敬するアルマの姿が、とても…』

『…そこから好きになったの?』


母さんが聞くと、エーヴァルトは顔を上げる。頬をゆるませて微笑んだ。


『ええ、本当。憎たらしいぐらいに』


本当に、彼にしては珍しい表情だった。眩しさにくらむ瞳、思わず溢れてしまったと言う表現がピッタリな自然な笑顔、ささやかに色付いた頬。その顔からは、確かで深い愛情を感じたのだ。少なくとも、あれほど疑っていた両親が黙るぐらいには。


(嘘うまいなこいつ…)


そしてその隣で俺は呑気に、こいつだけは信用しないようにしようなんて思っていた。






「だってまさか本当のことだとは思わないだろ…」


時は現在。あの時話し合いが行われた実家の応接室で、俺はため息を吐く。


「アルマ!やっぱり似合うじゃない!ね、お父さん」

「ああ。お姫様みたいだぞ」


そんでもって目の前にいるのはちょっとばかり久しぶりの両親。彼らに向かって、俺は力なく聞く。


「なにこれ…」


お姫様ならぬ俺は、とても可愛らしい格好をしていた。裾が広がった、柔らかい色合いのドレス。細やかな作りのレースといい、動きにくいだけで何も趣味じゃないのだが、美少女の中の美少女であるアルマには似合ってしまうのがほんの少しもありがたくない話である。母さんはキャッキャとはしゃぎながら、俺の手を取る。


「仕立屋さんがいい生地が入ったって言うから見てみたら、アルマにすごく合いそうなんだもの。作ってもらったから、すぐに着て欲しくて」

「エーヴァルトと一緒に俺を呼び出した理由それ?」


仕事でエーヴァルトを呼び出すまでは分かる。その際にアルマも来てね、絶対、絶対にねと念押しされて来たらこれである。


「とっても似合うわ~!普段着にしてね」

「しない」


どうやらこれが呼び出された本命の理由らしい。全く本当親馬鹿にも程がある。

しかし、このタイミングでの呼び出しはちょうど良かった。俺も話したいことがある。


「父さん、母さん…」


俺の声は低くなり、顔には影が落ちる。注目が集まったところで、俺は小さな声を絞り出した。


「俺…離婚したい…」


沈黙が支配する。一拍置いて、二人は大慌てでソファから立ち上がった。


「ど、どうしたんだアルマ!」

「何があったの!?ま、まさか…!」


母さんがごくりと息を呑む。父さんと二人、青い顔を見合わせた。


「エーヴァルトがお隣の奥さんと不倫して…!?」

「それを知って傷付いたアルマが、知人に相談する内に心を許してしまい、その男と関係を持った上に…」

「そしてまさか子供を…!?」


俺はぷるぷると首を振る。


「ち、違う…。ていうか男の知人なんていねえよ…」


夫婦揃って古いタイプの昼ドラに嵌まりやがって。そして深窓のお嬢様である俺には、男の知り合いなど数える限り。とんだ濡れ衣だが、今の俺には怒鳴るような元気もないのだ。 


「はあ…」


すっかりしおらしい俺の様子に、父さんと母さんは顔を見合わせる。そっと俺の手を取った。


「いいのよ。アルマ。いつでも帰ってきなさい。ね!貴方」

「ああ。前にお見合いしようとした騎士の彼も、うちの領に配属になったしな」

「とっても素敵な青年なのよね!彼でもいいんじゃない?」

「まだ見合いさせる気か」


とんでもない提案に思わず口を挟んでしまう。鬼か。しかし二人の娘を想う気持ちは本物だ。娘の不安をどうにか解決せんと、優しく語りかける。


「どうしたんだアルマ。言いなさい」

「エーヴァルトと何かあった?」


意を決して、俺は口を開く。


「実は…」


今までの人生で一番と言える悩みを、俺は語る。順風満帆な新婚生活が一転、離婚まで考えることになった最たる問題。


「エーヴァルトが俺のこと好きすぎて…めちゃめちゃ大事にしてくるから、離婚したい…」


悲痛な叫びが、静かな部屋に落ちる。


昨夜の声によれば、エーヴァルトは触れられなくても良いから、ただ俺と一緒に居たいらしい。いや純愛か。冷静に突っ込んだ後、俺は思った。


逃げたい。超逃げたい。ここまできて、もう聞かなかったことにはできない。これほど重量級の愛を抱えた奴と一緒には居られない。


しかし痛ましい俺の主張は、両親には伝わらなかった。


「あ、アルマ…!のろけが上手なんだから!」


母さんが俺の肩をばしんと叩く。真剣な雰囲気が一転、場は温かな空気に包まれた。父さんもほっこり髭を綻ばせて、後頭部を掻く。


「いやあ、昔は父上と結婚する!って言ってたアルマがなあ。参った参った」


言ってないし。母さんはいよいよ涙ぐみながら、呟く。


「本当は好き合っていないんじゃないかって疑ったこともあったけれど…アルマは愛に溢れた素敵な結婚をしたのね」

「いやそうなんだけどそうじゃなくて」


本当は好き合っていない偽装結婚の筈なのに、何故か愛に溢れているのが問題なんだ。思わず全てを暴露しかける俺を前に、感極まった父さんと母さんは寄り添い合い目尻を拭う。


「嬉しいわ。あなた達、幸せなのね」


目線が急に俺の後ろへと行く。視線と声かけにつられて背後を振り返れば、部屋に入ってきたばかりの新しい人影があった。


「え、エーヴァルト…」


俺が呆然と呼ぶと、彼はにっこり微笑んだ。


「ええ、とても」






「で、何を言ったんです?」


感動で咽ぶ両親が部屋から出ていき、二人きりになった後。ふとエーヴァルトは事の経緯を聞いてきた。俺は半ばやけくそで答える。


「いや…。お前が俺のこと好きすぎるから離婚したいって…」

「…へえ」


彼の冷静さは変わらない。表情を崩さず、口の端だけで笑う。


「貴女も大概嘘が得意ですね」

〈はわわわわわわわわわわわわわわわわ〉


嫌味でキメたところ悪いが、先程から聴こえる声はだいぶ愉快なことになっている。


〈かっ…かわいいじゃないですか…。義両親に今流行りの仕立て屋をそれとなく紹介した甲斐がありました〉


どうやら、新しいドレスを着た俺の姿がお気に召したらしい。そして諸悪の根源はお前か。


〈俺から直接贈ったところで絶対に着てくれませんからね。アルマに抜群に似合いそうな服を作れる腕のいい仕立て屋を見つけたまではいいですが、そこは潰れかけの極小企業…。まずは地上げ屋の不当な買収から救い出し顧問となり、顧客を斡旋、情勢を見極めつつ事業を拡大させ、多くの職人を雇用。一流の仕立て屋へと成長させたところでやっとアルマの両親に紹介できました。店主の妻の百に渡る不貞行為を記者に嗅ぎ付けられた際にはもうダメかと思いましたが…〉


どうやら俺の与り知らぬところで、とんだドラマがあったらしい。そして店主は気付け。


そんな努力と熱意をエーヴァルトはおくびにも出さず、こほんと咳払いをしつつ皮肉を口にする。


「仲良く見せることは契約の条項通りではあるんですが、俺にもプライドと言うものがありますから、程々にしてください」

〈ア~~~~~~カワイイ~~~~~!俺もびっくり!神もびっくり!本当にもう!一生推そう…!〉

「当然ご承知おきかとは思いますが、俺は別に貴女じゃなくたって良いんですから。いいですね?」


最後に強く念を押される。顔を上げると、厳しい表情のエーヴァルトと目が合った。


「え?ごめん。何も聞こえなかった…」

「は!?」






「契約結婚なんてするんじゃなかった…!」


今日は雲一つない晴天。視線を上に向ければ、抜けるような青空が広がっている。しかし、俺の心は晴れない。


「俺は一体、どうしたら…!」


父さんと仕事の軽い打ち合わせがあるらしく、エーヴァルトは一度屋敷に戻っていった。待っているように言われた庭先で、俺は頭を抱えうんうん呻く。


(父さんと母さんは話が通じないし、エーヴァルトは一人で企業成長物語やる程度には俺のことが、すっ…きみたいだし…)


契約書には、絶対に好きにならない事と条項を記してある。これを行使すれば離婚も可能だろう。


(けど、直接言われた訳じゃないから当然証拠はない。何より、俺のことをあんなに、すっ…なエーヴァルトが、そう簡単に離婚に応じるとは…!)


必死で解決策を模索する俺の耳に、石畳を踏む音が届いた。


「取り込み中のところすまない。領主様の…いや。結婚されたのか。アルマご令嬢か?」


声をかけられ、顔を上げる。


「あ、ああ」


見ない顔だ。着ている鎧や身に付けている装飾品、なにより体格の良さからして騎士だろう。新顔の騎士をドラモンド領で見るにはいくつか理由はある。たとえば、研修や派遣されてこの地に来ているだとか、新しく配属になったとか。


(そういえば、父さんと母さんがそんなこと言って…)


「こっちでの俺の名前はディーン・クライトン。領主様のご令嬢が来ていると聞いたのでな。ご挨拶に…」


彼は言いかけて、口をぴたりとつぐむ。


「……」

「……?」


そのまま、彼は止まってしまった。首を傾げる俺をよそに、顎に手を当て考え込む。


「いや、まさか。そんな筈は…」


その口からはぶつぶつと何か漏れている。やがて意を決したように、彼は顔を上げた。


「勘違いだったらすまない。その…あらたか?」


その衝撃的な一言に固まる。それは俺の転生前。両親でさえ知り得る筈のない名前だからだ。


「な、なんでその名…」

「俺だよ俺!」

「へ?」


両方の肩を掴まれる。そう言われてまじまじと彼の顔を見つめ返すが、燃えるような赤髪にすらりと通った鼻筋。ほんの少しだって面影はない。でも、分かる。たぶん異世界出身者の、独特の直感のようなもの。考えるより先に、思わず口からこぼれ出る。


「…坂城さかしろ?」

「久しぶりだな!」


俺の直感は、どうやら合っていたらしい。その瞬間、彼の表情はぱあっと輝く。両手を広げて迫ってきた。


「まさか会えると思わなかった!」

「ぐえ」


そのまま彼は大喜びで俺を抱き締める。身に付けている鎧と胸筋のせいで、俺の口からは潰れた蛙みたいな声が出た。ディーン改め坂城は嬉しそうに俺の顔を覗き込む。


「高校以来だな!」

「あ、ああ。そうだね。あの、下ろしてくれる?」


気もそぞろに頷く。それとなく打診したのだが、興奮した彼は俺を持ち上げたまま離さない。


「会えたことにもびっくりだが…こんなに可愛らしくなっているとは…まさか思ってもみなかった!」

「それは俺も予想外だったよ…」


まさか性別が変わるなんて。しかも良家のご令嬢て。しかし坂城はそれを馬鹿にするような男ではなかった。ハッハッと気持ちよく笑いながら、彼はまるで子供を相手にするが如くぐるぐるとその場で俺を回す。


「新!こうして出会えたのも何かの縁だ!仲良くやろう!」

「そ、そうだな…」


せっかく同郷の古い友人に会えたのに、俺がこんなに素っ気ないのには理由がある。どうもアメリカンなノリの彼が苦手とか、俺の心が疲れているとかそういうことではなく、もっと単純で相当面倒臭そうな要因が。


〈………………………………………………は?〉


ちょうど庭先が見渡せる父さんの執務室。その窓から、すごい形相のエーヴァルトが、こっちを見ていたからである。

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