脳髄


 都心から特急で約二十分。遠い昔に権力者の根城が築かれていたというのが「中城なかじょう市」の由来だが、本当のところは信憑性が薄い。いわば捏造された真実でしかないのだと、中学時代の社会教師が意気揚々と語っていた。

 ただ、東京二十三区外では有数の巨大都市であり、都心に繋ぐベットタウンとしても使い勝手が良い。教育機関としては、東京外語大学、我らが武蔵農工大学がキャンパスを置いている。市外であるが、国立ならば一橋大学、私立ならば中央大学、法政大学の両文系キャンパスにもほど近い。

 そんな活気あふれるこの街で、採掘事業が近年盛んになってきている。ムサノーだけを見ても、「採掘サークル」と名の付く集団がおびただしい数になっている。

 誤解されないようにいっておくと、一般的な意味で「採掘」という言葉は使われていない。腐っても東京都に属しているこの市に、自然の金銀が出てくるわけないのだ。日本全体の土地を考えたとしても、新たに掘り出される可能性はゼロに等しいだろう。

 では、なにがここ中城市の地面から取り出せるのか。

 一言でいおう。かつて盗まれた「三億円」の札束だ。

 

 


 三億円事件――。

 規格外の金額と芸術的な犯行から、事件発生から数十年経った現在でも憶測を呼び続けている。犯人は永久に判明しないと無意識的思考があるから、あちこちのメディアで語られ、創作物として描かれてきたのだろう。

 誰もが「終わっていた事件」と認識していた未解決事件は、三年前、急展開を迎えた。

 盗まれたはずの500円札が、事件発生現場である中城市内で相次いで発見されたのだ。

 ニュースを断続的にしか眺めない俺でも、事件の概略は覚えている。なんせ、自分の地元がスポットライトを浴びたのだ。嫌でも、ニュースの詳細が耳に入ってくる。

 最初に見つかったのが、築五年のマイホーム建てた土地からだった。教育熱心な親御さんであったのが、幸いしたのだろう。ブランコを作るためにと業者に木を切ってもらったところ、その根元から見事に発見された。

 偶然にも、その一か月後。次なる札束が発見されたのが、マンション建設予定地となっていた空き地であった。土地調査をしていた建築業者が見つけた。

 どちらも生身の500円札が束になって埋められて、使用された形跡がない。発見された合計金額は計40万円ほど。そして、盗まれた500円札うち判明している発券番号が、今回見つかった札の一部と合致した。

 俺も腐るほど見てきた会見の映像。警察のお偉いさん――おそらく、中城警察署の高官が――次のように発言した。

「この街には、盗難された残りの札束が埋まっている可能性が高い」と。

 その日から、中城市はゴールドラッシュの舞台と化したのだった。


 



 市内の北側、隣の市とほど近い地域に、小児医療総合センターは位置している。家から自転車で15分かかる場所であるが、面積いっぱいに広がる建物は周辺で最大の医療施設である。

 駐輪スペースに自転車を止め、小児科の病棟へと向かう。遠目から見れば、積み木を組み立てたようなかわいい構造をしている。建物に入ると、何ペアかの親子連れが多く見えた。俺はあまり深く考えないようにした。

 窓口で面会の申請をし、ほどなくして許可が下りた。エレベーターで六階に上り、病棟の廊下を進む。静かな場所だ。足を一歩一歩踏みしめるたびに音が気になってしまう。鉛筆一つでも落とさせないという緊迫感が溢れていた。

 やがて、いつもの病室に到着した。

 ちょうど窓側に、妹のあまねが寝っ転がっている。枕元の小さなタンスの上には、俺が図書館で借りてきた児童書がそのまま放置されてあった。

「来たぞ」

 身体が反転し、きょろりと周の目が動いた。今年、中三になる妹君は白いシャツに地味な薄いグレーのパーカーの出で立ちである。根っからの天真爛漫さのおかげか、不思議と地味さを感じない。むしろ映えて見えるのがなんとも奥ゆかしいところだった。

 周はゆっくりと上半身をベッドから起こすと、舐めまわすように首筋から俺の顔面を眺めた。

「楽しかった?」

「なにがだよ」

「入学式」

 はぁっ、と俺はため息をついて、足元の椅子に腰を下ろした。

「勉学への奮励努力を説かれる儀式になんの面白味もないぞ」

「ふうん……よく分かんないけど、楽しくなかったのね」

「そうだな」

 すまないな、妹。祭りを楽しめない兄貴で。 

「その本は読んだのか」

「ううん。まだ」

「返却期限が近いから、返さないとな。また同じ本を借りてくることもできるが」

「うーん。どうしよっか。本ちょっと難しいから、また読めないかも」

 そうか、と俺はタンスの本を手に取る。イラストがところどころ描かれている、文章の簡単な児童書である。阿呆な王様が暴れまわる話だ。俺もかつて慣れ親しんだシリーズだった。いつ人殺しがバンバカ起こるような一般小説にシフトしたのか、あまり覚えていない。

「それよりさあ、タクちゃん聞いて。あのね、こないだ先生に教わって、やっと数学の問題が解けたの。ほら、cmを三乗するやつ。あれ動画見ただけじゃよく理解できなくて」

「あーそう」

 所属が理系である俺の出る幕は、ないようだ。

「なつかしいな」

「えっとね――ほら、なんか決め台詞みたいなのがあってさぁ。待って、ノート見れば思い出すかも。えーっとね、タクちゃん分かる?」

「分かるよ、分かる」

 俺は興奮気味の妹の膝に、手を添えた。

「焦んなくていいから。ゆっくりと追いつこうな」

「うん。まあでも、勉強より学校に行ってお喋りしたいって感じかな。やっぱ」

「もう今年が最後の学年になるからな。高校選びもしなきゃいけないし」

「高校かあ………」

 周は、頭のなかで希望を膨らませる顔をする。ああ、実に心配だ。本能的に、男は年下の女を守るホルモンが働いているのかもしれない。血縁とか、関係なしに。俺は持ってきたビニール袋のなかで、ゴソゴソと手を動かす。

「腕動かせるか」

「動かせるよ」

 よいしよっと、布団から腕が伸びてくる。小刻みに揺れて、頼りないバランスだった。俺はジェンガを建てるかのごとく、慎重にミカンを周の手のひらに置いた。

「無理して動かすなよ」

「大丈夫。リハビリにもなるだろうし」

 そういいながらも、皮をむくのに悪戦苦闘している。実に健気だ。全部食べ切れるのに、下手したら一時間はかかるかもしれない。今日は選んだ食材が間違っていたかと反省したが、母親から家に大量に残っているミカンの処理を担わされている。季節は春で、そろそろ緑色に変色してもおかしくはない。

「ミカン。残りは置いておくけど、余ったらお医者さんにあげるといいさ」

 周は朗らかな顔で、「分かった」と返事した。




 駐輪場から自転車を引っ張り出すと、そのまま飛び乗った。肩掛けの鞄に入れた児童書が揺れ、それにまみれて音を出す。ペダルを漕ぐ足が、自然と速くなっていた。

 脳性麻痺。周が生まれながらにして、抱えている難病。手足の筋肉がこわばり、自由にうまく動かせない。幼いころから入退院を繰り返し、中学三年生の初っ端も学校には通えずじまいになってしまった。

 リハビリを繰り返しながら、なんとか手足を動かそうと努力している。身体的なものだけでなく、読み書きや計算力も、同学年の生徒たちよりかは劣ってしまっている。そのような状態で、ちゃんと高校に通えるのだろうか、気が気でならない。

 坂を下る。風を切って、下まで降りる。国分尼寺跡こくぶんにじあとの分かれるY字路で、スピードを落とした。

 気がかりなのは、金銭的な面でもそうだ。ウチの家は、諸々の事情でふところが寂しくなっている。さらにこの頃、俺の大学費用もかさみとても苦しい状況だ。

 そういうタイミングで、先輩の誘いは心に刺さるものがあった。

 だが、果たして俺の脳みそが役に立てるのか。おかしな構造をしているのは、周の脳性麻痺となにか関係しているのか。どうなのか。知る由もなかった。

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