一・ 極秘公的採掘サークル
再会
ロックを知らずして、人は生きてゆけない。
歴史と伝統を司る校歌に続くのは、激しくギターをたなびかせるロックンロールであった。テンションの高低差に、うまく心臓が追い付いていけない。ギター二人とベースにドラムという基本的な四人組バンドの構成だったが、ホールいっぱいに野太い音が鳴り響いた。
ギターの一人はボーカルで、茶色に染めた長い髪である。甘い声と相反するような、腹からこみ上げる力強い声量は凄まじいものがあった。俺は音楽をさして知ってるわけではないが、歌い終わりと同時に自然と拍手をしてしまうほどには楽しめた。
ステージ上の女は満足気な表情で、「ありがとう!」と我々新入生に向けて手を振った。入学式という神聖な儀式に適していたかどうかはともかく、彼女らの曲は大盛況だったといえよう。
桜の舞う、四月の時候。
俺を含め、周りは真新しきスーツに身をこなした学生共がずらりと並んでいる。中身は子どもの延長線上でしかないのに、外見だけが立派な
そんな愚論を隣の誰かに抗弁垂れるわけでもなく、入学式はフィナーレを迎える。
成長の実感を知らずして、俺は大人としてのレッテルを貼られていくのだろうか。
新入生の退席が求められた。腰を上げ、歩く列に合わせて会場を後にする。ここは大学の敷地内ではなく、徒歩数分の文化会館だ。周囲は緑に囲まれ、自然と一体化しているような場所である。
出口にたどり着いて、列がバラバラと自然解散した。もうすでに前後左右同士で会話が成立している者たちが多く、俺は一人取り残された気分であった。そのまま会館の外に出て空の光に当たる。親とともに参加した学生は晴れ舞台を写真に収めている者も多いが、俺は残る理由がないのですぐに帰路を辿ろうとした。他の人の邪魔になっても悪いと思ったからだ。
足が止まった。
数メートル先、見知った顔が俺に目線を預けていた。俺は、一瞬スルーをしかけた。高校時代とは様相が変わっていたので、別人か――はたまた俺ではない誰かを――待ち合わせしているのかと思った。
しかし、「
女だった。黒髪のショートカットと真面目そうな丸顔が覗いている。服装はベージュのロングコートに、黒いインナー、デニムのズボン。成人女性にふさわしい格好で、俺は気付くのに遅れてしまった。十秒経って、あっと口を開いていた。
「久しぶり」
そして俺は、自然と目を細めていた。
高校の一年先輩である倉知先輩の進学先はうっすらと耳をこすっていたが、狙って選んでわけではない。ここ武蔵農工大学――通称「ムサノー」は俺の地元で、大学のすぐ近くにある公立高校に俺と倉知先輩は通っていた。つまり、俺は単純に地元密着型の進学選択を取っただけだ。友達が――のような、非建設的な理由を取ったわけでもない。
建物の出口からアーチのように、チラシを持った先輩方が並んでいる。ああ、なんか見たことある。そう、アニメとかで。そういうところで。サークルや部活の選択を間違えて、破滅の大学生活を送る話とか。
倉知先輩のあとに続いて進む。高校の比ではない運動系文化系の様々なサークルが存在するなか、ひときわ多い「採掘サークル」の文字。「一攫千金」「一緒に探そう! 掘り当てよう!」「お前たちは歩だ 成金になれ」「岩倉具視が君を呼んでいる」「日本のカリフォルニア」「日本のニュージーランド」「日本のアイヌ」――もう、ごっちゃごちゃだ。すでに新入生の体験会も決まっているサークルもるそうで、ビラの端っこには日時と場所が明朝体のフォントで印刷されてあった。
俺は一枚も取らずじまいだった。先輩の歩く速さに遅れを取らずにいることが精一杯で、ビラを受け取る暇もタイミングもない。どうせ入らないのは自分でも分かっているが、せいぜいビラぐらいは欲しかったのだ。
上級生が作った勧誘アーチを抜けると、噴水が目の前にある。倉知先輩が腰を下ろした円の
「広津留君は文系大学に行くものだと思ってた」
抑揚が欠如した声。横顔を覗くと、俺が見慣れた不愛想な顔に戻っていた。
「僕に文系のイメージがおありで?」
「雰囲気がね」
「はあ」
「近いから、でしょ?」
まったくもってのご名答だ。俺はコクリと頷く。家からの通学時間が大学選びの最優先事項であった。
「学部は?」
「工学部です。知能情報システム工学科」
「そう」
先輩は、明後日の方向へと目を向ける。
「倉知先輩は、何学部でしたっけ」
「農学部よ。だからまあ、履修のこととか相談できないかもね。知り合いに工学部の人は多いから。なにかあったら取り次いであげる」
「それは、ありがたいです」
答えながら、どうも微妙な居心地の悪さを感じる。なんだ、なんのための質問だ? 尋問を受けているのか? 先輩の冷徹な横顔からは、意図を読み取れない。
「大学にはもう行った?」
と、続けざまに訊かれる。
「はあ……いちおう。手続きのために」
「校内は、特に荒れてるわけじゃなかったでしょ?」
「そうですが……あのサークルの面々はずいぶんと張り切っていましたね」
「人の数が大事だから。採掘サークルは」
俺は、曖昧に頷いた。噂には聞いていたが、勧誘の苛烈さは他のサークルと比べても段違いだった。それだけ部員集めに必死なのか、一部の人間だけが金欲しさに扇動しているのか、分からずじまいだ。
「街の喧騒にもずいぶん慣れたんじゃない?」
先輩は、どこか他人事のようにいう。
「治安の悪化は継続してますよ」
「でも、以前よりかは無法者も減っていった」
「そりゃ、まあ三年も経てば。諦める人も続出するのは目に見えていましたし」
「そうね」
先輩は同意一つで話を終わらせると、すっと少しだけ俺のほうに身体を向けた。なにか嫌な予感がした。
「アルバイトはもう決めた?」
「いえ、まだです」
「労働意欲は?」
「あります――たぶん」
「じゃあさ」
倉知先輩の丸い黒目が、俺を鋭く見据えた。
「私と同じバイトしない?」
すぐに答えられなかった。俺は言葉に詰まる。
「……職種によりますが」
「バイトというかサークルなんだけどね、サークル活動をするんだけどバイトとしての給料も配布されるの。しかも、金払いもいい」
あ、まずい。俺は腰を一歩引いた。そうだ、警戒するべきなのを失念していた。息子を語る電話が来たら疑うのと同じで、倉知
「疑ってる?」
「それは、そうですが。ええと」
「闇バイトとかじゃないから、ね。いちおう。安心して」
安心できるわけもない。
「ちなみに、なんていうサークルの名前というかバイトの名前なんですか?」
先輩は一瞬目を斜め下にやると、まっすぐ位置を戻した。
「ハチクの会」
「ハチ――」
「漢字の破竹じゃないわよ。八十九の89」
89の会。掴みどころのない、実に不可解なサークル兼アルバイトだ。いや、いくら馴染みのある先輩の誘いだからといって、あまりにも不確定要素が多すぎる。非常に危険をそこには
俺の渋面を見て察したのか、倉知先輩は先に口を開いた。
「ところで、妹さんは元気?」
俺は閉口した。いつから、先輩は任侠の世界に行ってしまったのだろうか。
「……ぼちぼちです」
「そう。大変よね。リハビリ代もかさむだろうし」
脅しだ。脅迫だ。やっぱりダメだ。俺は過去を反芻する。笑ってる先輩を捉えた時点で、さっとその場を離れるのが正解だったんだ。
逃げ腰になりかけてる俺に、先輩は距離を縮めてきた。
「広津留君」
「……なんですか」
「ごめん。警戒させちゃって。でも、そんな難しい話じゃない」
先輩は、息を小さく吸って、俺との間の空気に吐き出した。
「広津留君が必要なの」
「……は」
「君の優秀な頭を、ちょっとだけ貸してほしいの」
倉知先輩は真剣だ。それは無表情な顔からも、ひしひしと伝わってきた。
「『
「いつからそんな二つ名が付かれていたんですか」
「それだけ有名だってことよ。一部の人間の中ではそう囁かれているわ」
「買いかぶりすぎです。脳の障がいですよ、ただの」
「少なくとも、私はそうは思っていない」
分からない。俺は先輩から目を逸らし、コンクリートに視線を落とした。
サークルとバイト。人間関係が命の大学生にとっては、まず参加しておくべきコミュニティを一度に居座れるのは魅力的といっていい。これまで怠惰で人との関わりを避けてきた俺にとっては、なおさらだ。
しかしこうも腰が重くなってしまうのは、「脳を使わなければ」ということだ。出し惜しみだとか、隠した方が格好がつくとかそういうのではなく、単純に身体への疲弊が大きいのだ。それに見合うほど脳を働かせる価値が、果たしてその仕事にあるのか?
「ちなみに先輩、俺がその業務をするにあたっては、普通に頭を使うってことは無理なんですか?」
「当然よ」
倉知先輩は、間髪入れずに答える。「もしそれだったら、君以外の人に頼んでるわ」
それもそうか。俺は薄く笑った。これはもう、逃れられないところまできていると。
殴られる蹴られるは冗談として、俺が断れば倉知先輩も深追いはしてこないだろうし、諦めてくれるだろう。しかし、そうなった時の自分を想像すると、なんとなく胸に穴が空くような感覚が起きる。喪失感、といえばいいのか。
ロクに社会とも結びつきのない俺は、数少ない倉知先輩からの視線を強く意識してしまう。これまで特に重要視したことはなかったが、会ってしまった以上逃れられない感情になってしまった。いやはや、俺も集団に生きる人間なんだな。古来、集団で生きることを習性として植え付けた類人猿よ。あなたたちが育てたDNAは、しかと広津留拓のなかに備わっていたぞ、と。
「いちおういっておくけど、89の給料は他のそこらのバイトより格段に良いから。広津留君にも、妹さんにとっても十分のお金が手に入ると思う」
「そんな不健全な理由で働いていいんですかね」
「べつに人の中身なんて気にする人はいないわ。仕事さえこなしてくれればね」
先輩はポケットからメモ帳のようなものを取り出す。ボールペンを持つ手が動いた。
「明日の夜八時。大学に来て。メモ通りに建物を辿れば私たちの会室にたどり着ける。くれぐれも他の人に見せたり、落としたりしないように」
メモされたページが破かれ、俺に手渡しされる。達筆ともいえないが、分かりやすい文字でキャンパス内の行き方が書かれていた。
「あ、あと」
腰を浮かしかけた先輩が、思い出したようにいう。なんとなく神妙な顔つきで、しゃべる言葉を選んでいるようだった。
「
真顔でそんなこというんだから、冗談かどうか分かりやしない。俺は後ろ髪のあたりを掻く。
「他の方の悪口をいうのは、よしたほうがいいですよ」
「あら」
ベージュのコートを翻して、先輩は答えた。
「まさか、自分を棚に上げるほど私は傲慢じゃないわ」
「少なくとも、先輩は社会性のある人間だと思いますが」
「過大評価もいいところよ」
言い残して、去っていった。
風に持っていかれそうになったメモを、俺は指で掴み続けた。
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