第44話

「よし、とりあえずこれで仕事としては最後か」


 午後14時30分。炎天下の中開かれた体育祭も残すところ、あとは、クラス対抗のバスケの一種目となった。


 競技で使うゼッケンをTシャツの上から被ると、教室へ顔を向ける。


「みんな、今日はありがとう。俺、競技に出るから、あとは頼んだ!」


 そう声を上げると、教室に残った後輩が「頑張ってください!」と、返してくれた。きっとこの様子ならあとはもう、なんとか対応できるだろう。


 ふっと鼻を鳴らすと、教室を出る。誰かの情報だと、美咲率いるうちのクラスの女子バスケは、他のクラスを圧倒して優勝したらしい。


 このまま俺たちも続く! ……とはならないのだろう。やはりチームにいるバスケ経験者も数上、下から数えた方が早い順位にはなるかもしれない。それでも尽くせるベストと、全力は出し切りたいと思う。


 よし。と息を吐き、体育館へと足を進める。するとその途中、


「か・け・る・くん♪」


 ぴょんと跳ねるような声が、後ろから近づいてきて、そして次の瞬間、首筋に冷たい感覚が走り、思わず飛び跳ねた。


 振り返ると、コト姉がえへへ〜。とはにかむ。薄手の生地のTシャツであるせいか、いつも以上に胸が揺れて、思わず視線を上げる。


「なんだよ、いきなりビックリするじゃん」


「なんか、翔くんがいたから、悪戯したくなっちゃって。ごめんねビックリしたよね」


 そう彼女は、薄桃色の唇の端をそっと持ち上げる。そんな一つ一つの女性らしい仕草に、思わず見惚れていると、コト姉が口を開く。


「あ、そうだ、はいこれ。次翔くんの出るやつでしょ? 頑張ってね♪」


 そうコト姉は結露しまくって、水滴だらけのペットボトルを俺に渡すと。ふふっと鼻を鳴らす。やんわりと持ち上がった、薄桃色の頬に、心拍数が少し上がるのを感じた。


「ありがと、頑張ってくるわ」


「うん! 応援してるよ翔くん!」


 元気よくガッツポーズを見せると、ぴょんと飛び跳ねる。気温は32℃。きっとコト姉だって朝から働きずめで、汗だっていっぱいかいてるはずだ。それなのに、不思議と甘いフルーツのような、そんないい香りがするのは。なんでなんだろう。


「じゃあ、行ってくるわ」


 そう小さく手を振って踵を返す。


 1歩、2歩。足を進めた瞬間だった。


「ね、翔くん」


 艶やかな声と同時に、背中に柔らかさと熱を感じる。汗でしっとりとした腕が、俺の首元に這う。そして、彼女は俺の耳元に息を吹きかけるように、


「もし、翔くんのクラスが優勝したら、今日えっちしよっか」


 それだけ囁くと背中から熱が消える。


「それじゃ、頑張ってね♪」


 そんなセリフの後、コト姉の足音が遠ざかる。


 一方、魔性的な囁きと、高鳴る心拍数に俺は、気恥ずかしさを感じながらも、


「……勝つしかねえだろ、こんなの」


 そう口ずさむ。きっと闘志という言葉が具現化したのなら、きっとこんな感じなのだろう、今の俺は、燃えたいた。




「こっち! パス!」

 

 俺はそう声をあげて、味方のボールを受け取る。


 ゴール下、俺の持っているボールを叩き落とさんとばかりに伸びるいくつもの手。しかし、今の俺にはそんなものは、通学路に生えている雑草程度。詰まるところ、俺は止められない。


 大きくジャンプをして、リングにボールを叩きつける。


 その瞬間にブザーが鳴り、観客がわぁっー! と盛り上がった。


「なんだよあいつすげぇー!」


「経験者で固めてるチームに、一人で無双してるぞ!」


「あいつは、何部だ! はぁ!? 帰宅部だとぉ!?」


 そんな声を聞きながら、仲間と白線へ出る。


 普段は絡まないクラスメイトだが、本当にスポーツっていうのは素晴らしいと思う。真剣に作戦を考えたり、仲間同士で褒め合ったりと、なんだか俺も楽しかった。


 そして、その後も俺たちは順調に駒を進めていき、とうとう決勝まできた。


 もちろん相手はバスケ経験者や、現役バスケ部でメンバーを固めており、対してこちらは、まともなバスケ経験者は俺一人。


 どう見たって勝ち目がないことは明らかなのだが、それでも俺は立ち向かう。勝ってコト姉と……。


 なんて思いながら、始まった10分間の試合。


 しかし、さすがに相手も対策を考えてきたのだろう。試合開始早々、マークは全て俺につき、着々と点差を広げられる。


 そして、そのまま試合はずるずると進んでいき、残り1分。


「翔、パス!」


 味方が投げたボールを受け取り、相手のゴール目指して走り出す。


 一人躱して、三人位囲まれる。実質5対1の白線の中。ここにきて焦りからか、無理矢理な体勢だったが、シュートを放った。


 しかし、弧を描いたボールは、紙一重でリングの縁に当たり無情にも弾かれる。


 くそ……ダメか。


 そう舌打ちをし、ふと視線だけを体育館のステージに向ける。


 大勢の生徒があぁー……。と口を開ける中、一人だけ、両手をぎゅっと握り、口を閉じる女性の姿が目に止まった。


 スローモーションの世界。その女性と目が合うと、彼女は大きく口を開く。


「頑張れぇーっ! 翔くーんっ!」


 ハッとして、弾かれたボールへ視線を戻す。相手がゴール下でリバウンドを取る体勢を完成させ、勝ちを確信した表情を浮かべる。


 きっと、誰もが間に合わない。そう思っただろう。俺もそう思った、しかし、


「……まだいけるっ!」


  コト姉の声を聞いた瞬間、まるで足の中が爆発するように跳ねて、相手のゴール下へと潜り込む。そして、大きく屈み、上に向かってジャンプをすると。


「……はぁ?」


「嘘だろ!?」


 先にジャンプしていた二人よりも、遥に高く俺の手が伸びる。


 手のひらに、ボールのざらざらした感覚が伝わり、しっかりと両手で支える。俺はそのまま、リングの中にボールを叩きつけた。


 ガコン! と大きな音を立てて、ボールが床に叩きつけられる。


 数秒の沈黙ののち、ビィーっ! とブザーが鳴った。


 整わない呼吸と、わぁー! と盛り上がる歓声。


 顎を伝う汗、キュッと滑るバッシュの音。


 ぼーっとした意識で、スコアボードへ目を向ける。


「……はは。まぁ、そうだよな」


 25——57。


 俺たちは前者。文字通り手も足も出なかった。




「……」


 屋上で俺は一人、沈んでいく太陽を見ていた。


 例年以上に盛り上がった体育祭は無事に幕を閉じ、今頃、体育祭実行委員会は会議室で反省会と、お疲れ様でした会をしている頃なのだろう。


 だけど、俺は屋上で一人ため息を吐いている。


「勝てなかった……」


 分かってる。元から勝算なんて微塵もなかったし、美咲からもいろんな人からも言われたが、経験者が一人だけのチームが全体の2位に登れるだけでも、かなりすごいことをしていることは。でも、それでも。


「勝ちたかった」


 優勝してコト姉と……。なんて考えもあったが。純粋に、負けたことが何よりも悔しかった。


 スポーツドリンクを一口飲んで、ため息をつく。フェンスをぎゅっと握った。


 すると、その瞬間。扉が開く音が聞こえて、そちらへ振り向く。


 するとそこには、コト姉が暗い茶髪を揺らしながら、にこりとした笑顔を浮かべていた。


「お疲れ様、翔くん」


「あぁ、コト姉もお疲れ」


 ふふっと鼻を鳴らし俺の隣に立つと夕日を眺める。オレンジ色に染まるコト姉は、いつも通り綺麗だなって思った。


「すごかったね翔くん。かっこよかったよ」


「ありがと、でも悔しいわ」


「え〜、、あんなにすごかったのに。あの後職員室でも話題になってたよ? 海野っていう生徒がすごかったって。あ、そのうちバスケ部の顧問が翔くんのところに来るかも」


 そんな話を、まるで自分のことのように、嬉しそうに話すコト姉。でも……。と俺はコト姉から視線を逸らし、眼下のグラウンドへ目を向ける。きっと記念撮影か何かをしているのだろう。数人の女子生徒がこちらに背を向けてスマホをセットしていた。


「なんていうか、コト姉の期待に応えられなかったから……って、んぐ」


 言葉の途中、俺は思わず変な声をあげてしまった。その理由はもちろんコト姉。彼女は俺の顔を両手で持つと、顔をぎゅーっと潰される。


「私が褒めてるんだから、素直に受け取れぇ〜!」


 ん〜! と頬を膨らませながら、俺の頬をぐりぐりと潰す。


「わ、分かったから」


 そう、手のひらを見せると、ゆっくりとコト姉の手が離れる。そして彼女はふふっと鼻を鳴らした。


「確かに、優勝はできなかったかもしれない……でもね」


 するとコト姉は俺の手からペットボトルを奪い口をつける。そして、そのまま俺の首に腕を巻き付けると。


「……んっ」


 しっとりと濡れた唇を、俺の唇に押し付けてきた。


 ぬるりと、舌が入ってきて、その後にスポーツドリンクが俺の口に流れる。


 驚きと、興奮で心臓が爆発してしまいそうなぐらい、早くなっていた。


 小さな水音の後に、そっとコト姉が顔を離す。魔性的に、唇をぺろりと舐めると、


「私の中で、翔くんは一番輝いてたよ」


 そう、頬を赤く染めてふふっと笑う。


 沈む夕日。登り始めた一等星。


 彼女の綺麗な髪が夏風に揺れる。


 そして俺は、忘れていたように鼻から息を抜く。刹那、スポーツドリンクの甘酸っぱい香りが鼻から抜けて、どきりと心臓が跳ねた。


 第44話  そのキスは、スポドリの味がした。








 


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