第43話

「それでは、体育祭実行委員長、お願いします」


 一層暑さと日差しが強くなった体育祭当日。委員長が体育館のステージに立つと、開会の辞を始める。


 明後日から始まる夏休み、その前哨戦としての体育祭は毎年、大盛り上がりを見せるイベントだ。


 今回俺はその実行側、もちろん自分のクラスの競技には参加するが、実行委員として疲労を原因にして、そちらを疎かにはできない。


「気ぃ、引き締めないとな」


 そうボソリと呟く。俺の独り言のつもりだったのだが、それは隣にいる美咲にも聞こえていたのだろう。


 すると彼女は肩をカツンとぶつけ、ステージの方に顔を向けたまま、


「だね、やり切って最高の夏にしよ」


 そう、嬉しそうに小声で言う。


「だな、よろしく美咲」


「うん」


 そう小声で言い合って、拳を合わせた。



 

 俺と美咲の仕事として振られたのは、体育祭のバックヤード。救護班だった。


 俺を救護班の長として、クラスの保険委員と協力し、傷病者や体調不良者の救護にあたる。他にもスポーツドリンクをクラスに配りに行ったりと、なんだかんだで大忙しだ。


 ひとまず、捌き終えたスポーツドリンクの箱の山を前に一息行くと、俺は指示を送る。


「そしたら、ここの箱を1年生の1組、それでこれが2組に」


 すると突然、女子生徒に「海野せんぱ〜い〜」と弱々しい声で呼ばれる。そちらに顔を向けると、なんだか困った様子でペットボトルを数えていた。


「どうした? なにかあったのか?」


「そ、それがぁ〜、本数足りなくてぇ〜」


「何本ぐらい足りないんだ?」


「え、え〜っとぉ〜……1、2……いっぱいですぅ〜!」


 指折り数えていた手をパッと開き、諦めたように手のひらをコチラに見せる。


 何本足りないか分からないが、とりあえず1、2本足りないレベルじゃないことは理解した。


「そしたら、そこの予備のって、あれ? 予備のやつは? 」


「さっき先生が持って行きましたぁ〜」


 そんな泣き言みたいな声でドアの方を指差す女子生徒。予備の段ボールがあった場所に、まるでアニメのような点々が見え始めた。


 あぁ、嘘だろ、思った以上にやばいぞ。


 すると、悪いことっていうのは本当に続くもので、次々と怪我人や熱中症の生徒が出ており、そしてその度に、海野先輩! と名前を呼ばれることに、ストレスを感じ始めていた。


 と、そんな合間にも、またスポーツドリンクの要請があったようだ。


「もう午前中分のスポーツドリンクの残りが……」


 どこかの生徒が、『午後、予備』と書かれた段ボールを見ながら息をこぼす。


 俺の思考は半ば停止状態だった。


「ちょっと待った、考えるから、ちょっと時間くれ」


 と、言ったものの、スポーツドリンクは基本熱中症患者優先で、これ以上配ってしまえば、不測の事態があった時は対応できない。それに、今買い出しに行けそうな頭数もいない。


 どうすれば……。


 するとその時だった。


「あぁーもう! しっかりして翔! そんな馬鹿正直に配ってたら、もつわけないでしょ!」


 強い力で背中をパチンと叩かれる、その方向に顔を向ける。


 美咲は、両腕を小さい体の腰に当てると、ふん、と息を吐く。そのまま言葉を続けた。


「て言うか、全部一気に手ぇ付けすぎ! 一つ一つ優先順位の高い奴から潰さないと終わらないじゃん!」


「いや、でもなぁ……」


 すると、イライラした様子の美咲が、「あぁー! ちょっとどいて」と俺を押し退ける。


 ポニーテールを揺らしながら、


「もう数がないからそのまま配るの禁止! たぶん全員が全員飲まなくちゃいけない状況じゃないと思うから、何人かでジャグを借りてきて、その中に氷とアクエリ入れて!」


「美咲先輩」


「なに!」


「氷はどれくらい入れますか?」


「えーっと、いっぱい! 冷たくて頭痛くなるぐらい入れて!」


 その指示を聞いた生徒が足速に教室を出て行く。


 その後も、こんな風に指示を飛ばす美咲によって、着々と問題が解決していき、気がつけば昼休みになっていた。


 ひと段落ついたことで、忙しかった救護班も、各々ペットボトルを開ける。


「ふぅ、忙しかった……」


 そう、顎を伝う汗を拭いながら、美咲はペットボトルに口をつける。


 上を向いた時の、白い喉が汗で光っていた。


「ありがとう、助かった。すごいな、美咲は」


「これくらい捌けて当たり前、こう見えてもバスケ部の司令塔だしね」


 てかさ、と、こちらに顔を向けて頬をプクリと膨らませる。そして小さくジャンプをし、俺の頭にチョップを振り下ろすと。


「さっきも言ったけど、しっかりしろ!」


 と喝を入れられた。そのまま美咲は続ける。


「救護班任せられてるんでしょ? それなら多少間違っていたって、胸張って前向く。じゃないと、みんな何して良いか、分からなくなるから」


 そんな美咲の、ピンと伸びた背筋に思わず息を呑む。リーダーシップというのだろうか。そんなかっこいいと思わせる立ち振る舞いと、ガラスに映った俺の背の曲がった立ち方を比べた時、自分自身がかっこ悪く見えた。


 確かに俺は、美咲の言う通り、全部が全部完璧にこなそうとしていた。その結果、一つも手がつかなくなって、美咲に助けてもらって……。


なんていうか。


「俺、カッコ悪いな」


 そんな、俺の口から出てきた言葉に、美咲は「はぁ?」と声を出す。


「だからそういう!」


「わかってる。だから、午後からは、しっかり優先順位を意識して、やってみるわ、美咲みたいに」


 そう、彼女の方へ顔を向けると、驚いたように息を呑んで、すぐにふふっと笑みを見せる。


 くるりと俺に背中を向けると、


「午後からは多分、私来れないから、後は頼んだよ救護班長」


「あぁ、任せろ。美咲もバスケ頑張れよな」

 

「翔もでしょ? まぁ、私は楽勝だけどね〜♪」


 そんな軽口の後、美咲は教室を出ていく。小さいはずのその背中が、なんだかいつもよりも大きく見えた気がした。



 第43話  小さな巨人


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