第42話
「それで、葵さんがここに来たって言うことは、私に何か相談事があるってことで、よろしいですね?」
彼女、月見秋葉がお気に入りだという、カップを口元に持ってきて、視線を向ける。
正直頷きたくはなかったけど、こくりと生唾を飲み込んで、首を縦に振る。正直、そんなことをしなくても読めてるくせに、なんて思っていたのは絶対に言わない。
「あぁ、ちなみに、私はコーヒーときのこの山がないと、心を読めないので、ご心配なく」
「——っ! ……絶対読めてますよね」
「はて、私にはさっぱり」
表情を変えずに、猫背でコーヒーを一口啜った。
「……と言うのは、まぁ嘘でして」
そう呟くと、テーブルの下の物置から、既にパッケージが開いているきのこの山の箱を取り出し、ひとつまみ口に放り込む。
「やっぱり読んでるじゃないですか」
思わずツッコミを入れてしまった。
「これは失敬、いや葵さんがあまりにも可愛かったので、ついからかいたくなってしまいました」
そんな、口元だけの笑みを見て、絶対にこの人、彼氏いないんだろうな。なんて、心の中で思っていたが、ワンテンポ置いて、はぁとため息を吐き出す。
この人の前で何を考えても無駄だ。
「秋葉さん、絶対にお付き合いしてる人いないですよね」
「おぉ、なんと。なんでわかるのですか? もしや葵さんも私と同じ」
「いや、分かりますよ。なんとなく」
きっと、この人の前で何を思っていても、全て読まれてしまう。なら、口に出しても変わらないだろう。
すると、珍しく秋葉さんがため息を吐く。
「今のは傷つきました」
「そうですか、それはごめんなさい」
「まぁ、良いですよ、彼氏いますし」
「へぇーやっぱり……え?」
「まぁ、良いですよ、彼氏いま」
「二回も繰り返さなくて良いです」
驚きのあまり、一度腰掛けていたソファから体が浮きそうになった。
秋葉はコーヒーを啜ると、語りを続けた」
「まぁ、私にとって恋愛なんてものは、攻略法を分かってしまっているエロゲのようなものでして、社長の息子だろうが、大きな病院のいわゆる若手のエースだろうが、簡単に体の関係は持ててしまうのです」
「……自慢ですか?」
「強いて言うなら、史実ですね、いずれもお付き合いしていた事があります。高校生の頃に」
その言葉に思わず息が詰まる。
話がそれました。そう一息ついて口を開いた。
「まぁ、そんな私ですが、実は一人だけ心の読めない方がいまして」
そこまで言うと、私だってなんとなく察する。
「聞こえてこないんですよね、彼の心の声が。それが実に興味深くて、そんな彼とは今、同棲ごっこという形でお付き合いしています」
聞きなれないフレーズに思わず聞き返す。
「同棲ごっこですか?」
「はい、実はお互いに作家をしてまして、そのための取材も兼ねて、お付き合いをしています」
そんなドラマのような関係ってあるんだ。
「ちなみに、その彼氏さんって、秋葉さんのこと好きなんですか?」
「どうなんでしょう、私には分かりません。でも、きっと彼が小説を書き終えたら、関係は終わると思います」
「え、なんで……」
「私は人の心を読めるし、彼は小説のために全てを捨ててしまうような人です。そうですね、いわゆる類友ってやつですよ。お互いに普通じゃない」
ちょっと、話し過ぎました。きのこの山を口に放り込むと、カップを一気に煽る。なぜかわからないけど、ちょっとだけ緊張した。
「さて、本題です……と言っても、あくまで私は、あなたの背中を押すことしかできませんが……」
「……それで十分です、私も、何かが変えたくてここに来た訳じゃないんで」
そう呟くと、私は視線を下げる。
「まぁ、あれですよ葵さん、きっと適当に頭に浮かんでいることを、口に出してみるといいのです」
「……やっぱり読めてるんですね」
「まぁ、でも百聞は一見にしかず。心の声よりも、口から出た声です」
そう、真っ直ぐこちらを見つめる秋葉さん。
別に彼女を信用しているわけでもないし、何か答えが出てくるとも思っていない。でも、今私がここにいるといると言うことは、本心が彼女に相談することを望んだのだろう。
「……昨日、なんですけど」
私は、そっと、口を開いた。
「なるほど、それで自分の本心がわからなくなってしまった、と」
コーヒーを一口飲むと、秋葉さんはそう息を吐く。
一方私は、話してしまってよかったのだろうか、と、どこかスッキリしたような、複雑な気持ちになっていた。
「私は、どうすればいいんでしょうか、お兄さんには幸せになって欲しい、でもやっぱり琴音先生といるとこを見るとモヤモヤするし……」
そう、私が歯切れ悪く言った瞬間だった。
「じゃあ、奪っちゃいましょうか」
スッと入ってきたそんなセリフに、え? と顔を上げる。
秋葉さんは、真顔のまま言葉を続けた。
「葵さんと、お兄さんの、二人の楽園に入ってきたのは琴音先生です。そして、琴音先生は葵さんのネバーランドからお兄さんを連れて行ってしまった。なら次は葵さんがお兄さんを奪う、いや、連れて帰って来ればいいんですよ」
「そ、そんなこと……でもそれじゃ、お兄さんが!」
「ではなんで今日はここにきたのですか? 暇つぶしですか? そう思っているならさっさと諦めればいいじゃないですか」
彼女のそんな言葉に、息を呑んだ。
正論だ。本当にお兄さんの幸せを願うのなら、私が諦めればきっと、全てが解決する。私の中にモヤモヤは残るかもしれないけど、お兄さんと、琴音先生は二人で暮らしていける。
なのに、私はそれが嫌だった。
「今日葵さんがここにきたのは……」変わらない表情のまま、秋葉さんはテーブルの上に膝を乗せる。
そして、そのまま体をこちらに寄せると、私の頬に触れた。ニヤリと、その口元が悪魔的に笑う。
「奪ってしまいたい。その欲求を、肯定してほしかったのですよね?」
黒い瞳に吸い込まれていく感覚と、まるで心がスッと軽くなる感覚。
「——っ! 帰ります!」
彼女の手を振り払うと、バッグを持ちソファから立ち上がる。
早足で事務所を出ると、駅の方へ歩いた。
電車に揺れている途中、秋葉さんの言葉を思い出して、無理やり誤魔化すようにイヤホンをつける。
最近流行りの、安い恋愛ソングを聴きながら、窓の外の夕日を眺めていた。
42話「ワタシノホンシン」
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