第41話

 6日前。


 放課後。1人。


 7月が深まるほどに、一層夏が増していくことを感じながら、住宅街を歩いた。


 普段は行かない方向の電車に乗り、見た事のない街並みと、匂いに頭がくらっとする。


 絶対に頼らないし、行くもんかと心に誓ってから、約3週間。


 その気持ちは、つい昨日。美咲先輩の話を聞いて揺らいでしまった。

 

 そんな自分の弱さと、今にも、ぐちゃぐちゃになってしまいそうな気持ちに、ため息を吐く。


「もう、どうすれば良いか分からないよ……」


 名刺と、表札を交互に見て、インターホンを鳴らす。


 ガチャリとドアが開くと、女性がひょっこりと顔を出し。


「待っていましたよ、恋瀬川葵さん」


 まるで、これが分かっていたかのように秋葉さんは、ニヤリと口元を歪めた。





 昨日。


「とりあえず、買い出しはこれでおっけーかなぁ」


 ビニール袋入った大根や、牛乳を見て息を吐く。


 クラスの、体育祭の練習に参加していたら、結構遅くなってしまった。7月の最後にある体育祭に向けて、最近はどこの学年クラスも練習に力が入ってきている。


 うちのクラスも例外ではなく、特にバスケとサッカーの熱がすごかった。


 ちなみに私は麻耶ちゃんと同じバスケを選択した。


「……それにしても、なんか身体中が痛い」


 普段使わない筋肉を動かしたせいか、なんだか体もだるい感じがするし、おそらく、明日になれば筋肉痛が私を待っているのだろう。


 今日は寄り道をせずに、さっさと帰って足を休めた方がいい。


 よし。と喝を入れて、少し早歩きをした。

 

 そして、しばらくして。駅前の公園を突っ切ろうとした時。


「ん、あれは……」


 ぼんやりと、街灯が照らしたベンチに座る女性が目に止まった。私と同じ制服を着用しており、リボンの色からして、一つ上の先輩であることは間違い無いだろう。


 でも、こんな時間に女子高生が1人なんて、絶対危ないよね。


 時刻は19時20分。袋を握る手に力を入れる。


 そして、その女性に近づくと。


「あの、大丈夫ですか?」


 そう声をかけた。


 びくりとして、こちらに顔を向ける。


 私はその顔に、思わずハッとした。


「美咲、先輩?」


 この、パチリとした元気そうな瞳と、小柄な体。それに背中で揺れるポニーテールは、美咲先輩で間違い無い。


 でも、そのいつも明るくて元気な美咲先輩は、目元を赤く晴らして泣いていた。


「あぁ。葵ちゃんか……ごめん今は1人にしてもらっていい?」


 そう目元を擦ると、やんわりとはにかむ。苦しそうに持ち上げた唇の端っこは、ピクピクと痙攣していた。


「いやでも、こんな時間に女の子1人は危ないですよ」


「大丈夫、私足は早いからさ」


「でも……」


 美咲先輩の活躍は知っている。中学生の頃から頭ひとつ飛び抜けた身体能力と、バスケのセンスを持ち、噂程度ではあるが、既にプロからの声もかかっているとの話を聞いたことがある。


 それでも、こうやって目元を赤く腫らして泣いている姿は、どこからどう見ても、か弱い女の子だった。


 きっと先輩なら、ある程度の男性からは逃げ切れるのだろう。でも、心配してるのはそう言うことじゃない。


 なんていうか、このまま1人にしていたら、どこかに消えてしまいそうな、そんな危うさがあったから。


「それにさ、私キック力にも自信があって、この前なんて」


「美咲先輩」そう、言葉を遮って、華奢な腕を掴む。無理矢理引っ張ると、駅の改札に向かって歩き出す。


 ほんと、この華奢な体のどこから、あの身体能力を発揮しているのだろうか。


「ちょ、葵ちゃん、離して」


「ダメです、今日は私にお持ち帰りされてもらいます」


 やや強引に電車に乗りこむと、私の家まで彼女が逃げないよう、腕を掴んでいた。


 その間、美咲先輩は一言も喋らなかった。




「葵ちゃん……何から何までありがと」


「気にしないでください。……でも、あれですね美咲先輩、食べる時可愛いですね」


 落ち込んでいる美咲先輩には、的外れな声かけだったかもしれない。それでも、美味しそうにものを食べるその表情は、同性であっても思わずキュンとしてしまう。


 すると、恥ずかしそうに顔を伏せる。


「なんか、嬉しくない」


 髪を下ろした先輩は、いつもの元気な印象とは違ってなんだか、しおらしくて可愛かった。


 時計に目を向ける、時刻は20時半。もう今から家に帰るのは危険だろう。


「今日は泊まっていってください」


「いや、でも流石に悪いよ」


「大丈夫ですよ、私一人暮らしなんです」


 それに。と、部屋着一式を渡す。


「美咲先輩は今日、私にお持ち帰りされてしまったんです、拒否権はないですよ」


 そう言うと、少しだけ驚いたような表情を見せる。そんな美咲先輩に小さく笑いかけた。


「ふふっ。 さ、着替えちゃってください。シャワー浴びた後も制服着てるつもりですか?」


「葵ちゃん……ありがと」


 やんわりと笑う。


 可愛いなぁ、なんて思いながらも、その場でいきなり服を脱ぎ出したのは少しだけ、びっくりしてしまった。




「それで、なんで泣いてたんですか?」


 麦茶で喉を潤す。少し冷えすぎたせいか、体の芯からひやっとした。


「……」


 核心を突く話題を振ったせいか、表情から何かがさっと抜け落ちて、視線を下げる。


 しばらく、そのまま固まってしまった、美咲先輩。


「……もし、話したくないのであれば、無理には聞かないです」


 私もそう言うと、コップに口をつけた。


「……絶対にさ、誰にも言わない?」


 突然口を開く美咲先輩。その、悲しそうに揺れる瞳に、思わず胸が苦しくなる。


 こくりと頷く。


 そして、美咲先輩はゆっくり口を開くと。


「見ちゃったんだ、翔と琴音先生が会議室でキス……てるとこ」


「……え」


 口からこぼれ出す息。遠のく意識。


 その後も、美咲先輩の話は続いたけど、まるで熱中症の時のように、意識がぼんやりとりていて。


 なんか上手く言えないけど。頭の中がぐしゃぐしゃになりそうだった。



第41話   『スクランブルエッグ』



 

 




 



 

 


 

 

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