第39話

「それでは、体育祭はこの方針でいきましょう」


 3年の委員長が総括し、委員会がお開きになる。


 7月の半ば。ひんやりとした会議室。


 体育祭実行委員長が終わりの挨拶をすると、ピリピリとしていた空気が一気に解けた。


「ん〜!! 疲れたぁ〜!」


 隣の席に座る美咲がだらしない声をあげながら、手をぐぅーっと伸ばす。ポニーテールが小さく揺れた。


「まぁ、なんつーか、肩は凝るなこの集まり」


 そう言って、手元の『体育祭実行委員会』と書かれた資料に目を向ける。


 もう、あと2週間もすれば夏休みがやってくるのだが、その前に学校には一大イベント、体育祭があった。


 夏休みが7月28日から始まるのに対して、体育祭は26日。学校は最後に体育祭の後片付けをして夏休みに入るのだが……。


「結局、重要な事は何にも決まらなかったな」


「あー、そだね」

 

 体育祭まで残り2週間。まだ決めなくちゃいけないことばかりなのに、やっと方針が決まったばかりだった。


 その理由は、実行委員長と、副委員長の意見の不一致が一番の原因と言えるだろう。委員長が北を向いているのなら、副委員長は南を向いている。そんな状況だった。


「ちなみにさ、翔はこの後どーする?」


「どーするって、普通に帰るけど」


「そっか、じゃあさこの後」


 その瞬間、委員長から肩を叩かれる。


「海野くん、ちょっといい?」


「あ、はい、なんでしょうか?」


「この書類なんだけど、任せてもいいかい?」


 と、手元を見ると、資料が束になっている。あぁ、これを俺が処理しろと。そういうことなんだな……。


「あー、全部ですか?」


「いや、これの半分ほどお願いしたいんだけど」


 まぁ、半分なら、と思ってしまったのが間違いだったのだろう。


 それを受け取り、嬉しそうな委員長の顔を見た後。こっそりため息を吐き出す。


「まぁ、この通りやることができたから、帰れんわ」


「あー、もしよかったら私も手伝おうか?」


「嬉しいけど、わざわざ美咲の時間削るのは悪いからな、今回は大丈夫だ」


「本当? ……分かった。それじゃ先帰るね」


 そう、腑に落ちないような顔をして、鞄を肩にかける。


 みんなが教室を出ていく中、俺と委員長だけが会議室に残った。


 しばらくして、委員長も急用で帰ると会議室にはとうとう、俺だけになってしまう。


 時刻は18時。いつもは家にいる時間なのに、そう思うと、先ほど資料を受け取ってしまった事を後悔している。


 でも、一度受け取ってしまったものだし、今更無理ですっていうのは、なんだか、俺の生き方に反していて嫌だ。


 19時までには帰るぞ。


 そう息を吐いて、作業に戻ろうとしたその時だった。


 ドアが開いて、ココア色の髪の毛がヒョイっと顔を出す。


「お疲れ様、翔くん」

 

 そうやんわり微笑むと、会議室へ入ってくる。ドアを閉めると、こちらへ近づいてきた。


「うわ、仕事量すご」


 そう、横からそっと顔を出す。サラリと揺れた髪の毛からはシャンプーのいい香りがした。


「大丈夫? 私も手伝おうか?」


「いや、自分で受けちゃった仕事だし、やり退けるよ」


「そう……じゃあ、終わるまで待ってるね」


 ふふっと鼻を鳴らし、隣の席に腰掛ける。


「いや、コト姉も仕事で疲れてるだろうし、俺のことは気にしなくていいから」


「そうやって、私を邪魔者扱いするんだぁ、へぇ〜」


 そう悪戯に笑うと、椅子から立ち上がる。次の瞬間、「そりゃ!」と声を出しながら、俺の背中に飛びついてきた。


 背中に柔らかい圧力と、香水のいい香りを感じる。


「うわ! いきなりなんだよ!」


「えへへ〜♪ 私を邪魔者した罰だよ〜」


「いいから離れろって、バレたらどーすんだよ」


「それなら大丈夫だよ、もう残ってるの私と翔くんだけだし」


 すると、耳に息を吹きかけ、そっと俺の胸に手を這わす。


 サワサワと、動く手に思わず体がピクリと跳ねた。


「どーしたの翔くん、感じてるの?」


「コト姉……仕事進まないから……」


「あはは、可愛い♪」


 そう笑うと、背中から重みが消える。


 もう一度、隣に座ると頬杖をつき、こちらに顔を向けた。


 悪戯に微笑む。


「終わったら、ウチでご飯食べよっか」


 そう、魔性的に言葉を紡いだ。




 あれから1時間後、やっと作業が終わり、達成感から「終わったぁー!」腕を伸ばした。


「終わったの?」


「なんとか、な」


 そう書いた書類をまとめると、提出用の封筒に入れる。


 委員長は帰ってしまったし、渡すのは明日になるだろう。


 首を鳴らし、カバンに封筒を入れると立ち上がった。


「うん、よく頑張ったね、偉いえらい〜」


 コト姉も立ち上がると、俺の頭に手を乗せて、ゆっくりと撫でる。


「ん。どーしたの翔くん?」


 キョトンとした表情を見せるコト姉。


 次の瞬間、コト姉の手を取ると、グイッと引きつけてキスをする。


「——っ。……んっ」


 艶やかな息を漏らし、俺の背中に手を回す。唇から、コト姉の舌がぬるりと入ってきて、口の中で舌を絡め合う。しばらくすると、そっと口を離した。


「……コト姉だって感じてんじゃん」


「……いじわる」


 2人の唇から引いた糸が、床に垂れる。


 頬を赤く染めたコト姉が、そっと顔を近づけてきたその時だった。


「翔まだ……え?」


 ガラリとドアが開いて、2人でそちらに顔を向ける。


「み、美咲……」


 ぽかんと口を開けて佇む美咲と目が合った。


「美咲……、これは」


「——っ! ごめんっ!」


 ハッとした美咲が、ドアをバタンと勢いよく閉める。


 バタバタと走る音に混じる、キュッと上履きの底を廊下に擦り立てた音。


 シーンと静まり返った教室。


「……ごめん、翔くん」


 そんなコト姉の声でハッとする。


 みられた、見られた……。


 と、がキスをしているところを。


 ドッと、嫌な汗が噴き出てきて、コト姉と目が合う。


「俺の方こそごめん……」


 それから、ゆっくりと体を離して、物を持って会議室を出る。


 お互いに一言も喋らない昇降口。ガラスの向こうの光で浮き上がった、白い手形。


「……とりあえずさ」


 静かな昇降口で、コト姉が口を開く。いつものように明るく振る舞おうとしているようだが、その声はどこか震えていた。


「当分、私たち会わない方がいいかも」


 きっと、その当分というのは学校だけではなくプライベートも含めての話なのだろう。


「……だな」


 そう小さく息を吐く。


 その後、別々に分かれて、1人家に帰宅した。


 






 


 


 

 

 



 

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