第33話
ガチャリとドアが閉まると同時に、生暖かい夏の匂いがする。
放課後、窓際のいつもの席。
「ん? どーしたの翔くん?」
対面に座るコト姉は小首を傾げた。
「あ、いやなんでもない」
そう返して、アイスコーヒーを流し込む。
今日のコーヒーはシティーローストブレンド。やや深燻り特有の焦げた香りが鼻から抜けた。
「なんか、コト姉とここに来るの久しぶりだな」
「あー、なんかそんな感じがするかも」
コト姉もカップに口をつける。
「てか、今日はいつものダークなんとかフラペチーノじゃないんだ」
「うん、なんか最近甘いもの受け付けないんだぁ〜」
「っていう建前は置いといて?」
「実は最近、お腹の脂肪が……ってこら!」
テーブルに身を乗り出して、俺の頭にチョップを入れる。
ん〜、と頬を膨らまして「女性に失礼だよ」とカップに口をつける。やっぱりそんなコト姉も可愛いなって思った。
ちょっと静かになって、カフェ店内のBGMに耳を傾ける。気持ち少し早い気がしたけど、ピアノ調にアレンジされたサザンの『真夏の果実』のサビの部分が、窓の外の日差しに相まって、一層夏という気分を引き出した。
「ところでさ」
コト姉の横顔に声をかける。
「ん?」とこちらに向けた顔に続けた。
「聞いて良いのか分からないけどさ、その……あの後、あの人とはどうなったの?」
すると、あー。とカップに視線を落として、憂いを帯びた笑みを浮かべる。
「陸くんとは、あのまま。特に連絡もない、かな」
ため息を吐くようにそう口にすると、顔を上げて、頭上のシーリングファンへ視線を向ける。
白色のブレードがゆっくりと回り続けていた。
「昔はすごく良い人で、なんて言うか似たもの同士だったのかな? それで、お互いに大学に進学して、いつの間にか陸くんは変わってた」
「変わってた?」
「うん。元々パソコンが得意で、詳しくは分からないけどそれ関係で起業して、上手く行ったみたい。お金がドッと入ってきた陸くんは、髪の色も、性格も別人になったみたいだった」
確かに、制服でのツーショットの写真は黒髪で、なんて言うかどちらかというと陰湿な感じがしていたけど、この前カフェで見た時には髪の色も雰囲気も全然違ってた。
多額のお金で人が変わってしまう人もいるらしい。きっと陸さんもそのうちの一人だったのだろう。
でも。
「たぶん、コト姉が優しかったんだよ、それ」
「え?」
視線を俺に戻す。驚いたような表情のコト姉に俺は続ける。
「確かにその陸さん、昔は優しかったかもしれないけど、本当にコト姉のことが好きなら浮気もしないし、それに専用のスマホなんて絶対に渡さない。少なくとも俺ならそんなことは絶対にしない」
「そっか……優しいね」
そうやって向けた笑顔に違和感を感じた。今まで交際経験があるわけでも、彼女がいた事もないけど、きっと、コト姉の中で『優しい』に対する認識がバグってしまったのだろう。
だから、そんなコト姉が、これが普通って思えるような、そんなふうにしてあげたい。
少なくとも、俺といる時ぐらいはそう思ってくれたら嬉しいなって思った。
「でもさ、ほんとに私でいいの?」
カップに両手を添えて、視線を落とす。小さな水滴がコト姉の白い手の中に入っていく。
「……ほら、私翔くんと5つ歳離れてるし、それに、もう私……初めて、じゃないよ?」
……。
一拍開けてため息を吐き出す。
「コト姉、俺のこと舐めすぎ」
「え?」
素っ頓狂声をあげて、顔を向ける。そんなコト姉に俺は続けた。
「コト姉がいなくなった5年間、ずっとコト姉のことばかり考えてた。それで、やっとこと姉に会えて、こうして二人で過ごせてる。今更それぐらいでコト姉のことを嫌いになれるほど、5年間コト姉に片想いしてない」
それに。
「それを踏まえても、俺からしたらコト姉は魅力的な女性だよ」
そう言い切る。ちょっとの恥ずかしさと、胸の高鳴り。改まって好きな人に告白するのって、難しいなって思う。
するとコト姉は、そっか。って息を吐いて、テーブルの上の俺の手に触れる。
そして、白い手が重なると、
「ありがとう。嬉しい」
そう、やんわりとした柔らかい笑みを向けた。
あぁ、可愛いな。
そう思っていたら、急に頬に熱を帯びて、コト姉から思わず視線を逸らしてしまった。
っていうか、目を合わせ続けてられなかった。あのまま見つめ合っていると思わずニヤけてしまいそうで。
「翔くんどーしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
ふーん、と鼻を鳴らして、コト姉はカップに口をつける。
白いカップと、赤いルージュ。
その唇の端が心地よく持ち上がる。
「翔くん、好き」
そう言って、恥ずかしそうに笑った。
第33話
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