第29話

「お兄ちゃんお〜そ〜い〜って、え? コト姉!? それにお兄ちゃんビショビショじゃん!」


「ただいま、まぁなんだ。とりあえずバスタオルと着替え貸してくれ」


 この状況に、さすがの麻耶も何かヤバイものを感じたのだろう。うん分かった。と素直に頷くと、奥へと走っていく。


「大丈夫? 寒くない?」


「うん」


「とりあえず、先に風呂入って温まってよ、俺はその後でいいから」


「うん、ありがと」


「お兄ちゃんタオル! ってうわ!」


 ドテッと派手に音を立てて転ぶ麻耶、肘を押さえながらジタバタと足を動かす。


「肘ぃぃ〜! 肘がぁー!」


「何もねぇ所でこけんなよ……、とりあえずコト姉は風呂入って」


「……うん、ごめんね麻耶ちゃん。ありがと」


「くぅぅぅー! いてぇー! マヤは大丈夫だから、温まってきて……うわ、赤くなってるし」


「なにしてんだよ、ちょっと見せてみ……って、ヤバ、とりあえず冷やせ」


「うん」


 そんなやり取りをすると、コト姉に視線を戻す。


「俺ので良かったら着替え、貸すから」


「……うん、ありがと」


 やんわりと唇の端を持ち上げて、にこりとする。そんな表情に胸がキュッと締め付けられた。



 

 コト姉が風呂を出て、その次に俺が入って。久々に3人で食卓を囲んだ。


 だけどこの前みたいにワイワイした空気はなくて。ただただ、重い空気と一緒にご飯を飲み込む。


 気まずそうにしている麻耶の横で、意識がどこか遠くにあるコト姉が、痛ましく目に映った。


「ご馳走様でした……ありがとね2人とも」


「うん。せっかくだからさ、ゆっくりしてってよ、洗い物はお兄ちゃんがやっておくからさ」


「お前も手伝うんだよ」


「いひっひぃ〜!」


「おい、逃げんな! ……ホントあいつは……てか笑い方キモすぎんだろ」


「本当に仲良いんだね、2人は」


 2人っきりになったリビングで、コト姉が口を開く。


「まぁ、麻耶があのテンションなだけなような気がするけどな……とりあえず、洗い物は俺がやっとくからさ、なんて言うか気持ちが落ち着くまでゆっくりしてってよ」


「ありがとう」


 そうって、やんわりと笑うと、ソファーに座り直す。テレビではちょうど恋愛ドラマが始まった。


 それからは、静かな時間が流れた。聞こえるのは食器を洗う音と、テレビの俳優さんのセリフ。


 時々コト姉の綺麗な髪が揺れる。


 そんな重い空気に俺は、らしくもなく緊張していた。一体何を話せばいいのだろう。そもそも、なんでコト姉はあの場所で泣いていたのだろう。


 でも何か、悲しいことがあったのは間違いない。それしか分からなかった。


 すると突然、「ねえ、翔くん」と沈黙を破り、ゆっくりとこちらへ振り向く。


「聞かないの?」


 無論、コト姉があの場所にいた理由だろう。もちろん聞きたいし、気になってる。自分の好きな女性が傘もささずに泣いているのだ。心配にならない方がおかしい。


 だけど。


「コト姉が言いたくないなら、聞かないつもり」


 そんな言葉に、一瞬安堵の表情を浮かべる。


「優しいんだね」


「そんなことないよ、たぶん」


 ふふっと小さく鼻を鳴らす。


 するとその瞬間、テレビに情熱的なキスシーンが映し出され、コト姉もそちらへと顔を向けた。


 その時ふと、コト姉があの男の人とこうやって絡み合っていたと考えると、何だか嫌な気持ちになった。


「何でさ」テレビに視線を向けたまま、口を開くコト姉。冷たい声で続ける。


「何でそんなに、優しくしてくれるの?」


「何でって、それは……」


 そこまで言って、心臓がキュッと縮む。


 本当に好きな人に、好きって伝えるのって、こんなに緊張するんだなって、思った。


「コト姉のこと、好きだから……」


 早くなる心臓。少しだけ動いたコト姉の肩。


 コト姉が傷ついているタイミングで告白をすることに、少し卑怯な気持ちになった。


「そっか」


 息を吐くと、そっと立ち上がる。


 こちらに振り向くと、


「土曜日、私とデートしよっか」


 そう、やんわりと微笑む。だけど、綺麗に思っていたその瞳は、どこか悲しそうに濁っているような気がした。


 

 


第29話 好きだから


 




 

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