第28話

 窓の外は雨だった。


 昼休み頃に降り出した雨は一向に止むことはなく、むしろ強さを増していた。


 委員会が終わって、昇降口を出る。


「よっ。 お疲れさま」


 にひひ、と調子の良い声が肩を叩く。


 振り返って美咲の顔を見ると、雨だと言うのに今日もポニーテールが、るんと揺れていた。


「ん、お疲れ。よくかぶるな俺たち」


「まーね、で、今帰りですかい?」


「何だよその喋り方……見ての通り今帰ろうとしてたとこ」


「へぇー、じゃあいいね」


 そう頷くと、スマホの画面をこちらに向けてニコリと笑う。


「彼女なんていないし、どうせ暇でしょ? ちょっと付き合ってよ」


「普通にディスってくんな、お前もいないだろ、彼氏」


 えへへ、と笑う美咲。なんで嬉しそうなんだろうコイツは、と思いつつ、2人で並んで歩いた。




「へぇー、写真で見た通り綺麗」


 うっとりとした声を横でこぼす。


 相変わらず鈍色の空と、着き始めた街灯。


 水溜まりには紫陽花の青が反射して、まるで紫陽花が足元にもあるかのように見えていた。


 ……。


 そっか、そう言えばここの公園だったな。


「ね、翔。一周歩いて帰ろうよ」


「一周だけな、麻耶がキッチン燃やすかもしれないから」


「ん? 麻耶ちゃんがキッチンを?」


「いや、忘れてくれ」


 そう、何気に忘れていたが、家には麻耶がいるのだ。あまりにも腹を空かせると何をされるか分かったものじゃない。


 2人で傘を並べて歩き出す。


 チャプチャプと足元で跳ねる水溜まり。ゆっくりと移りゆく青色。


 時々赤色の花を見つけては。


「ね、知ってる? 赤色の紫陽花の下には死体が埋まってるんだって」


「ふざけんな」


 そんな冗談を言ってクスリと笑う。


 いくらか湿気を帯び始めたポニーテール。跳ねる前髪。


 しばらくの沈黙に、横で額の汗を拭う。


「ねぇ、一つ聞いていい?」


 そして、半分程歩いたところで沈黙を切ったのは美咲だった。


「すごい突拍子もないんだけどさ」


「うん」


「翔、最近元気ないよね、どうしたの?」


 そんな質問に思わずドキリとする。どちらかと言えば、バレたくないものがバレてしまった、あの感覚に近い。


「何か嫌なことでもあった?」


「あ……いや、なんていうか」


 コト姉の彼氏見て落ち込んでる。


 ……なんて、馬鹿正直に言ってしまっていいのだろうか。


 きっと美咲のことだ。全てを正直に打ち明けたところで、馬鹿にしたり、みんなに言い振らす事はしないだろう。


 でも。


「……最近、妹の友達に顔が怖いって言われて、ショック受けてた」


「は? ぷふっあはは! たしかに怖いかも!」


 突然吐き出す。咄嗟についた嘘だったけど、なんか余計に心にダメージを負ったような気がする。


「それは落ち込むわ。あー、納得なっとく〜」


「お前、ディスりすぎ」


「まぁ、ディスっても許してくれるの翔ぐらいだしね」


 すると、美咲のスマホが鳴り画面を見る。


「え、マジ」


「どした?」


「いや〜、なんかお使い頼まれちゃって。私から誘っといてごめん、先帰る」


「気にすんな、気ぃ付けて」


「ん、ありがと。それとさ……」


 俺の肩をパンチして微笑む。


「変な嘘つくぐらいなら、正直に話せっつーの」


「……」


 バイバイ! と、手を振って走っていく。その間ポニーテールが背中で暴れるのを見送った。


「なんだよ、バレてんのかよ」


 ほんと、アイツには敵わないな。


 そう思いながら、ゆっくりと道を歩き出した。


 


「あの、すみません」


 途中、向かい側から歩いてきた小学生に話しかけられた。一つのビニール傘を男の子と女の子でシェアしている。


「ん? どうした?」


「ここら辺にコンビニってありますか?」


「コンビニ? あー、ごめんな。俺この辺、詳しくなくて」


「そうですか……どうしよう」


 困ってように顔を合わせる2人、何かあったのだろうか?


「何か困ってるのか?」


「はい。この傘大人の女性の人の譲ってもらって、それでその人、まだ公園の遊具のところにいるんです。だから」


 なるほどな。だからコンビニで傘を買って、その女性に届けようってことなのか。


「分かった。その人には俺が傘を届けるよ。だから、もう帰った方がいい。日も暮れてるしな」


「ありがとうございます。茶髪で綺麗な女性の方です。前世はカッパって言ってましたが多分嘘だと思います」


「ん? 前世がカッパ? まぁ、よく分からないけど、ありがとう」


「はい、それじゃあ、よろしくお願いします……帰ろっか美玖ちゃん」


「……うん」


 男の子は一礼をすると、再び歩き出す。


 そんな仲睦まじい2人の背中を見送ると、その公園へと向かった。


 今歩いている道の、一つ内側。木々に囲まれた公園。


 懐かしい。5年前のちょうどこの頃だった。


 ——翔くんはさ、好きな人とかいるのかな?


 高校の制服姿が似合っていたコト姉。ブランコに座りながら向けた視線。


 もし、あの言葉にハッキリと答えられていたのなら、こんな気持ちにならずに済んだのだろうか。


 あのカフェの席の向かい側に座っていたのは、俺だったのだろうか。


「……今更か」

 

 そんなことを考えているうちに、公園に着いた、寂しげなブランコや、変な形をした遊具。


 だけど、どこを探しても、そのカッパの女の人はいない。てか、前世がカッパとか、どういうセンスの嘘だよ。小学生にディスられてんぞ。


 一通り探した。でもまぁ、既に帰ってしまったと考えるのが普通だろう。別に傘がないからと言って、絶対に帰れないわけでもないし、ましては大人だ。頼めば傘を持ってきてくれる人物の1人や2人ぐらいはいるだろう。


「とりあえず、俺も帰るか」


 そう呟いて、もう一度ブランコに視線を向けると、歩き出す。


 時刻は18時。そろそろ帰らないと、また麻耶にキッチンを焼かれかねない。

 

 そうして再び、紫陽花を横目に歩き出す。


 今頃、コト姉は何をしているのだろうか。


 また、彼氏とどこかにいるのかな?


 ふと、そんな事を考えている時だった。


 視線の先に、女性が傘を持たずに、立ち尽くしているのが目に入った。


 こちらからでも分かるぐらいに、雨に濡れていて、白のブラウスは透けてしまっている。


 でも、なんだかその後ろ姿には見覚えがあって。


 少しずつ近づいていき、モヤモヤとしていた部分が、ハッキリとしていく。


 長いココア色の髪の毛と、スラッとした体つき。何よりもこの香水の匂い。


 間違いなくコト姉だ。


 ばちゃり、俺の足音に、コト姉はゆっくりとこちらに振り返る。


「あ……翔くん」


「コト……姉?」


 思わず言葉が詰まった。相変わらずの整った顔、綺麗な緑色の瞳。その目尻からは雨なのか涙なのか、どちらか分からないけど頬に筋を引いていた。


「あーぁ、見られちゃったかぁ」


 なんて、無理やり作った唇の形が苦しくて、思わずコト姉を抱きしめる。


「……翔くん?」


「コト姉、帰ろう」


「……うん」


 冷えたコト姉の手を握ると、ゆっくりと歩き出した。



 


 第28話   果てしなく青色


 


 

 

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