第20話
カップから口を離し、窓の外を見る。
「…やっぱり乗せてくればよかったかなぁ」
確実に勢いを増した雨が、風に流されて白く波打つ。
放課後、しっとりとしたジャズとカフェ。
カップを置くと、アイスカフェオレの氷がカランと鳴った。
「連絡してみようかな」
スマホを取り出して、『翔くん』の名前をタップする。
『大丈夫?無理しなくていいよ』
そうメッセージを打ち込み、送信しようとすると、画面が勝手に動く。
『すまん、傘行方不明のため帰宅します』
そんな短い一文に、くすりと鼻を鳴らしてから、『そっか、残念だなぁ〜』ってメッセージを送った。
「…なんか悪いことしちゃったね」
これは流石に、私が意固地になっていたせいだ。今度翔くんに何か奢ってあげないとね。
その後に既読がつかなかったから、きっと今この瞬間にも翔くんは走っているんだろうな。
テーブルの上にスマホを置く。
おもしろ半分、本当に残念という気持ちを流し込むようにして、アイスカフェオレを流し込んだ。
「それじゃ、私も帰ろうかな」
さっぱりとしたミルクの余韻に浸りながら、バッグに手を入れる。
「お財布、お財布…っと」
するとその瞬間に、スマホが震えた。
「…」
バッグから白いスマホを取り出して、画面を見る。
『仕事お疲れ、琴音』
続けてメッセージが流れる。
『今日、会いたいんだけど、時間ある?』
腕時計に目を向ける。時間を確認するとメッセージを打った。
…。
『いつも通り陸くんの家でいいの?』
『うん、それで頼む』
『分かった、とりあえず7時ぐらいには行くね』
『うん、雨だから気をつけてね。それじゃ、待ってる』
そんなメッセージを確認して、バッグの中にスマホをしまう。
時刻は5時20分、一度家に帰って化粧を直すぐらいの時間はあるかな。
荷物を持って、レジへと向かった。
お待たせ。
そうメッセージを入れると、『♫』マークのついたボタンを押す。
間伸びしたチャイムの後に、ガチャリとドアが開く。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって」
さ、入って。
そう、彼に手を引かれる。
やんわりとした目の輪郭と、高くも低くいとも取れない中性的な声色。
パーマのかかった茶色の髪の毛からは、嗅ぎ慣れたシャンプーのいい匂いがした。
私が陸くんと付き合い始めたのは、まだ私が高校生の頃。
当時私は。
「ねぇーコトネー、今週さ合コンあんだけど、予定空いてる?」
「あー…、今週はバイトが忙しいかなぁ」
えー、のりワル。と隣の席に座る友達の金髪が揺れる。
それを聴いていたように、「じゃあウチいくー!!」と身を乗り出してきた友達を横目に、私は視線を伏せた。
…。
疲れるなぁ、こういうの。
私は、いわゆる陽キャグループに属していたと思う。休み時間一緒にいる友達はイケイケだし、お昼ご飯を食べてれば、名前の知らない先輩に呼び出されて、交際を迫られたり。
そして何よりも、大学生を演じて、お酒の入る合コンに連れていかれることも、しばしばあった。
…。
でも本当はそういうのが苦手で、でも、それ以上に友達を失うのが怖くて、ずっと濁してきた。
『いや』なのに、一度も『いや』って言ったことがない。
それが、私。深緑琴音。
「お、沙希はくる感じ?じゃ、もう一人誰か誘うべ」
「んりょ! とりま、ヘパ3つ買っとくわ」
「りょー!…てか、次はコトネ来るんだかんね!」
「うん、りょーかーい!」
アハハ、笑ってみせると、そこの二人で、もう一人は誰にする?みたいな会話が始まって、私はそっと席を立つ。
なんていうか、いつも以上にそういう話を聞きたくなくて。
昼休みの和気藹々としている空気の中、逃げ回るように、自分の居場所を探し回った。
それで、最後に行き着いたのは、図書室。
そこに、陸くんはいた。
ガラリとドアを開けてすぐに彼と目があった。
佐藤陸。同じクラスではあるのだけど、まだほとんど話した事のない。
そんな彼と、バッタリあって、軽く会釈する。
向こうも、小さく首を動かすと、あえて彼と距離をとって座った。
だけど、しばらくすると。
「珍しいね、深緑さんが一人なんて」
そう、彼が声をかけてきた。
当時はパーマも茶髪でもなくて、普通の黒髪だった陸くんはなんとなく『お人好し』って印象だった。
「そう?陸くんはいつもここで食べてるの?」
「うん」
あたかも、それが当然であるかのように答える彼に、私は驚く。
「…なんていうか、一人って寂しくない?」
「んー、俺はそんな事ないかな」
そう、弁当箱に目を落としてから。
「なんていうかさ、疲れちゃうんだ。人に気使いすぎるの」
それに俺、断れないからさ。
こちらに向かって、やんわりと笑みを浮かべる。
人当たりの良さそうなその笑顔が、言葉が。どこか翔くんに似てる気がして。
思わず。
「…いっしょだね」
そう、私も笑っていた。
こうして、少しずつ陸くんと会う機会が増えていって。
私を理解してくれる陸くんに惹かれていった。
翔くん以外にも、こんな人いたんだ。って。
だから、翔くんにフラれちゃった私は、彼に恋をした。
「んっ…」
彼の手が、私の敏感な部分に触れて思わず声がもれる。
ボンと跳ねるベッドのスプリングと、薄暗い照明。
官能的なBGMに包まれた部屋で、彼の体温を全身で感じていた。
口の中に残る、慣れないワインの酸味。
陰部に伝わるじんわりとした暖かさで、頭がぼんやりとしてる中、痛くない?そんな優しい囁きに、「優しいね」って微笑んで、彼の背中に腕を回す。
腰に足を絡めて密着して、彼の匂いを嗅ぎながら、0.01㎜越しの硬くて暖かい快感に、声を漏らす。
…ほんと、数年前まではエッチも下手で、私が迫ってもずっと避けてきたのに。
「陸くん…上手だね」
どこで覚えたの?
私がそう聴いても、「好きだよ」そう笑い返して、誤魔化すようにキスをする。
柔らかくて甘酸っぱい、ヌルヌルとした舌が絡み合う。
「琴音、俺…もう」
「んっ…いいよ…一緒に…」
激しく突き上げられて、その度に声が出て。
そしてお互いに、背中に回した腕をギュッとしながら。
「んっ…! はぁ…はぁ…私…」
「俺も、気持ちよかった…」
優しく頭を撫でられ、キスをした後にゆっくりと、彼の体温が消えていく。
小さな水音と、彼のものが溜まったコンドーム。
ふと、充電器に刺さっている彼のスマホに、通知が来てるの見て、シーツをギュッと掴む。
ティッシュで私の陰部を拭う彼に、「陸くん、好きだよ」私がそう言うと、一瞬遅れて、「俺もだよ」そう返す。
感情のない常套句。
だけど、そんな味のしないセリフでも、嬉しくて。
「ねぇ、陸くん」
「ん?」
「もう一回しよ?」
…。
「あはは、今日は疲れちゃったから、また今度ね」
そう笑みを浮かべて、シャツに袖を通す。
彼はスマホを手に取ると、眉間に小さく皺を寄せる。
「ごめん琴音、ちょっと会社の先輩に呼び出されたから、行ってくるね」
今日はここにいていいから。
そう服を着ると、車の鍵を持って靴に足を通す。
今からそんなに着飾ってどこにいくの?そんな疑問もうまく飲み干して、彼の背中に体を当てがう。
「陸くん」
私は、服も着ないまま腕を絡ませた。
「ん?」
「好きだよ、ずっと」
「…ありがと」
そう呟くと、彼は私の腕を優しく解く。
「ごめんね、急で」
今度はしっかり時間作るから。そう微笑んで玄関を出ていく。
薄暗くて静かな廊下に、部屋から漏れたジャズが聞こえた。
ゆっくり力が抜けて、ペタンと膝をつく。
冷たいフローリング。絡みつくような眠気。
…虚しさ。
「…私、」
バカだ。
近づけば、近づくほど心が離れていく。
それでも、時折見せる優しさが忘れられなくて。
それが好きで。
私に専用のスマホを渡してまで、他の女性と関係を持っても、いつか振り向いてくれるかなって。
…。
きっと、こんな愛し方、間違ってる。
…それでもいいから。
第20話 嘘でも愛してるって…。
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