第18話

「…お兄ちゃんのタマで玉入れ大会ぃ…」


「ふふっ、凄い寝言」


 ゴールデンタイムよりは静かなトーンのテレビと、氷が溶けて薄くなった麦茶のコップ。


 麻耶ちゃんは、私の太ももの上で、すやすやと華奢な寝息を立てていた。


 ふぁ…とあくびをして、時計に目を向ける。


 深夜11時23分。


 あれだけ激しく降っていた雨も、さすがに止んでいた。


「もうさすがに帰れないかな」


 今から帰宅しようとしても、終電には間に合いそうになさそう。


 …。


 まぁ、明日は祝日だし…。


「今日は泊めてもらおうかな」


 ね、麻耶ちゃん。そう綺麗な横顔をそっと撫でる。「んー…」って声をもらすのが、なんか微笑ましかった。


「…私も眠くなってきた」


 テレビを消すと、沈み込むように力が入らなくなってきて、瞼が自然と下がってくる。


「お休み…麻耶ちゃん」


 …。


 ガチャ。


 …。


「…寝てるか」


 そう声が聞こえて、ドアが閉まる。


 数分が経った後、もう一度ドアが開くと、


「とりあえず、これでいいか」


 囁くような声と、肩に感じるふわりとした温かさ。毛布をかけてくれたのだろう、薄く残る、お兄さんと同じ柔軟剤の匂いがして、ドキドキした。


「風邪引くなよ」


 優しく呟く。


 脱衣場の時みたいな、感じじゃなくて。暖かくて…優しい感じで。


 昔の図書室を思い出した。


 あの時もこうして、ブランケットをかけてくれたっけ…。


「おやすみ」


 そう電気を消す。


 きっとこのまま、狸寝入りをしていた方がお兄さんのメンツも立つし、麻耶ちゃんを起こさなくて済むのだろう。


 だけど。


「…ありがと、お兄さん」


 そう、自然と口から息が出る。


 すごく嬉しくて我慢ができなかった。


「わるい、起こしちゃったか?」


「ううん、そんなことないよ」


 麻耶ちゃんの頭を優しく撫でると、そっと持ち上げて、ソファーに寝かせる。


 毛布をゆっくりとかけて、ふふっと微笑んだ。


「ねぇ、お兄さん」


「…なんだ?」


「お腹減ったでしょ」


 図星だったのだろう、なんで分かった?そんな顔をしながら「まぁ。何も食ってなかったら…」と、冷蔵庫の方へと視線を逸らす。


「そっか、簡単なものだけど何か作るからさ」


 テーブルの上に置いたエプロンを取ると首と腰の帯をう。


「だから、ちょっと待っててよ」


 ね、お兄さん。


 そうやんわりと微笑んで冷蔵庫を開ける。


 ひんやりとした空気がそっと頬を掠めていった。



 


「ご馳走様」


「美味しかった?」


 テーブルを挟んだ向こう側で葵がはにかむ。


 余り物で作った鰹出汁のシンプルなうどん。だけど、人参と大根はしっかり柔らかくて、スープの中に生姜を入れてくれたのだろう、体が温まるような優しさを感じた。


「美味しかった、ありがとな」


 洗い物は俺がやるから。そう食器をシンクへ持っていき、使った調理器具と食器を洗う。


 ありがと。葵はそう呟いて、小さくあくびをする。


 深夜12時5分。


 薄い灯りのリビングはローファイな空気に包まれていた。


「ごめんな、眠いだろ」


「ううん、大丈夫だよ」


「そうか?無理すんなよ、眠い時は麻耶のベッド使っていいから」


「うん、ありがと」


 会話と会話の小さい間。外を走り抜ける原付の排気音。


「…お兄さんはさ」


 時計の針の音すらもよく聞こえるような静寂を切ったのは、葵の静かで華奢な声だった。



「その…やっぱり先生のこと好きなの?」



 とろりとしていた瞼が、はっきりと意識を持って開かれる。


 青くて綺麗な瞳は、しっかりと俺を捉えて瞬きをする。


 その表情はまさに、真剣という言葉が似合っているように思えた。


 葵の表情に、胸がキュッと締め付けられる。


 今まで葵は真剣に俺に向き合っていた。だけどそれを曖昧にしてきたのはいつも俺で、傷つけないようになんて言って、極力触れないようにしていた。


 正直、怖かったんだ。


 葵に迫られて、それを断れる自信がなくて。


 それでセックスをした後に『葵を傷つけないために』なんて、理由を後付けして悩んでいるのが、怖くて、情けなかったんだ。


 …だから。


「…好きだ」


 そう言葉を吐いて葵の瞳に視線をぶつける。


 うるりと揺れる青い瞳、キュッと結んだ桃色の唇。


 葵の表情に、いつしか覚えた感情が湧き上がる。


 きっと今から葵を傷つけるかもしれない、俺が最低な奴に成り下がるかもしれない。


 それでも。



「ずっと昔、俺が小学生の頃からコト姉のことが好きだ」



 …それでも俺はここで、葵と向き合わなくちゃいけないんだ。



 

  


 


 第18話    …やっぱり、そうなんだね。


 

 


 


 




 


 







 


 

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