第15話

「…」


 手を振ってドアを閉める。


 病院特有の静けさと、若干の不気味さ。


「大人…かぁ…」


 そう、息を吐いてポケットから取り出したのは、白いスマホ。


 電源をつけて、LINEを開く。


 『佐藤陸』その名前だけしかない画面に、新しい通知がない事を確認すると、小さく息を吐いてポケットにしまう。私はゆっくりと歩き出した。


『なんか、大人になったな』


 …。


 たぶん私、翔くんが思ってる程大人じゃない。


 真っ暗な背景の窓に映った私と、目が合う。


 昔と比べてちょっと身体が伸びた。


 化粧も上手くなったし、綺麗な服を着て先生をやってる私に、昔の制服はもう似合わないと思う。


 シャンプーもボタニカルの良いものを使って。


 量販店で買うような安い香水じゃなくて、しっかりとした高いブランドの香水も買えるようになって…。


 高く着飾って、お高くとまって。


 でもね、


『疲れた時はいつでも来てよ』


 そんな言葉に。優しい表情に、時折自分のしてる事が正しいのか、間違っているのか、分からなくなってしまう私は、翔くんの思っている程大人じゃない。


 それにきっと。さっき抱きしめ返してくれなかった翔くんの方が、私なんかよりもずっと大人だよ。


 駐車場について、車のドアを開ける。


 窓に張り付いた桜の花びらと、ゆったりとしたJpop。


「…ラーメンでも食べて帰ろうかな」


 もうすぐ、初夏がやってくる。


 『飛び出し注意!』と書かれた寂れた看板を横目に、私はゆっくりとアクセルを踏むと、窓の花びらがひらりと飛ばされていった。





「お兄さん大丈夫だった!?」


 俺が登校したのは、みんなよりもだいぶ遅れた昼休みのこと。


 廊下でバッタリと出くわした葵は心配そうに駆け寄ってきた。


「おいばか、学校では先輩って呼べって」

 

 あぁ、ほら、周りからの視線が痛いじゃねぇかよ。


「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!傷とか痛みは無い?」


 焦っているのか、敬語とタメ語がごちゃ混ぜだ。


「いいから落ち着けって」


 俺の体に大胆に触れる葵の頭をチョップで叩くと、「あいたっ」っと短い悲鳴を漏らす。


 そして、葵の腕を握ると、「ちょっと来い」って足速に集まる視線から逃げ出した。


 人気のない別館の方まで来て腕を離す。


「葵なぁ、人目を考えて…」


 と、振り帰った瞬間。


「良かった…」


 そんなセリフと共に、葵の腕が背中に回る。


 柔らかい女の子の感触と、葵の甘い匂い。


 黒い髪の毛が胸元でぐりぐりと揺れた。


 その瞬間、パッと頭に浮かんだのは麻耶の言葉だった。


『葵ちゃんを大切にしてあげて』


「…心配しすぎだっつーの」


 そう口にしながら、葵の腕を優しく掴むと、そっと外す。


 え? そんな声をもらした葵の表情は、ひどく疑問に満ちていた。


 胸がキュッと苦しくなる。


「でもまぁ、ありがと」


「あ、うん…本当に無事で良かったよ」


 えへへ、と後ろで手を組んでぎこちなく笑う。


 サラリと揺れる黒髪と、細くなる青い瞳。


「あ、もう昼休み終わっちゃう、またねお兄さん♪」


 そう手を振って、本館の方へと戻っていく。


「だから学校では…」


 先輩って呼べ。そう言おうと思ったけれど、その背中はすでに遠くなっていた。


 だから、その代わり。


「ごめんな、葵」


 そう小さくつぶやいた。


 こうする事が『葵を大切にする』と言うことの正解だと信じて。



 

 第15話  こうして、出会いの季節は終わっていく。


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