第11話

「あ、おかえり翔くん、麻耶ちゃんありがとね」


「あぁ、そっちもありがと。悪いな料理も作ってもらったのに」


「ううん、気にしないで」


 そう言いながら、エプロンを外すと冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを引いた。


「もう10時だけどまだ飲むの?」


「うん。明日休みだからいいかなーって。あ、でも翔くんが帰って欲しいなら帰るよ」


「いや、そう言うわけじゃなくて…。まぁ、コト姉のことだから心配はいらないか…」


「ふふ、心配してくれるんだ」


 ちょっと嬉しい。そう恥ずかしそうに笑うと、テレビをつけてソファーに腰を落とす。


 タイツ越しの肉付きのいい足に思わずどきりとした。


「ね、翔くん」


「ん?」


「ちょっと話そうよ」


 翔くんの分のジュースもあるからさ。


 そう手招きをされて、コト姉の隣に腰掛ける。夕飯を食べているときはよく分からなかったけど、ほんのりと柑橘系の香りがしていた。


「香水、良い匂いでしょ」


「え…」


「なんか今、そんな顔してたから」


 そしてビールを一口煽ると、今度からこれ付けて来よ。と小さく呟く。


 ほんと、コト姉はエスパーなのだろうか。こうやって心内を当てられるとやりにくいんだよなぁ。


 まぁ、でも。


「正解。コト姉すげぇ良い匂いする」


「えっ…ちょっと…」


 驚いたような表情と、俺が少し顔を近づけると、目を逸らして恥ずかしそうに視線を伏せた。


「顔、真っ赤だけど大丈夫?酔ってきた?」


「もぉー!!翔くん!」


 あはは。ときどきこうやってやり返ししてやらないとな。


 それから2人でテレビを見ながら、たわいも無い話ばかりした。


 学校であった事で盛り上がって、麻耶の事で笑って。


 途中、恋愛ドラマを2人してまじまじと見つめて…、お互いになんか恥ずかしくなって。


 時折、缶ビールに口をつけては、そのたびに謎の笑い声を上げるコト姉を見て俺も笑った。


 ふと時計に目を向けると、そろそろ深夜の12時を超えるになっていた。


 隣のコト姉は…。


「えへへ〜♪おしゃけ〜♪」


 なんて言いながら、缶ビールを一気に煽ると、6本目を空ける。


 そしてそのまま手から缶がするりと抜けると、そのまま俺の膝に倒れ込んできた。


 勢いが良いせいで、太ももが思った以上に痛い。


「大丈夫? てか、飲み過ぎだよ」


「んー…」


「はぁ…とりあえず水持ってくるからちょっと待ってろ」


「…ん」


 ゆっくりと頭をソファーに下ろすと、コップに水を汲んでくる。


「コト姉、飲める?」


「…い」


「ん?」


 何かをボソリ呟いたのだが、よく聞こえない。


 なに?と、もう一度聞き返す。


 すると。


「きもち…わるい…」


 …。


「え、マジ?」


「う…」


 あぁ、もうすぐそこまで物が出掛かってるんだな…って嗚咽を漏らし、丸く蹲るコト姉。


 それを聞いた瞬間、ちょっと眠かった思考が一気に回り出した。


「うわっコト姉!トイレまで耐えろ!」


「うごけ…ない…うっぶ…」


「分かった動くな!俺が運ぶから!」


 そして、コト姉をお姫様抱っこで抱えると、トイレまでダッシュで運んだ。


 その後は…まぁ、とりあえず間に合いましたって事だけ、言っておこう。


 なんか一気に疲れた…。





「…ごめんね…翔くん」


「いいよ…まぁ、その気にすんな」


「…本当にごめん、でも引かないで…」


 俺のベッドで横になるコト姉。


 目元を腕で隠して、本当に申し訳なさそうな声でそう謝っていた。


 まぁ、とりあえず事なきを得た。


 ただ、着替えさせるためにコト姉の服を脱がせるのは本当にドキドキしたけど…。


 …でも、俺も気付くべきだったのかもしれない。


 元々コト姉がどれだけお酒を飲むのかは、分からないけど、たしかにあれを1人で飲む量ではないだろう。


 でも、とりあえず。


「なんとか無事で良かった…」


 …。


「いや、無事ではないのか」そう自分でつっこんだ。


「なにか欲しいものとかある? 水とか持ってこようか?」


「…大丈夫、ありがと。優しいね翔くんは」


 …優しい、か…。


 葵にも、同じこと言われたっけな。


「そんな事ないよ、まぁ取り敢えず今日はそこ使ってよ」


 うん、ありがと。消えいるような声でそう返して、コト姉は寝返りを打った。


 そして、部屋の電気を消し、部屋を出ようとした、その時。


「翔くん」


「ん?」


 振り返る。コト姉は寝返りを打ったままだった。


 …。


 小さな呼吸。その後に。



「翔くんには、特別な人はいるの?」



 …。


 酔った勢いからなのか、突拍子に出てきたそのセリフに息を呑む。


 フラッシュバックしたのは、数年前の記憶。



『翔くんはさ、好きな人とかいるのかな?』



 そんな言葉の後にした初キスの味と、高揚した気持ち。


 それを思い出して、それを心のどこかで期待して。


「…それって、どう言う意味?」


 なんて、聞いた。


 でも…。


「もしね…」


 やっぱりというか、分かっていたというか…。はっきりと俺の質問には答えてくれないらしい。


 いつもより少しだけ、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。


「翔くんにとって友達以上の感情を抱ける人がいるのなら、その人を大切にしてあげてね」


 …。


「なんだよそれ、酔った勢いで恥ずかしいこと言う前に早く寝たほうがいいぞ」


 おやすみ。とゆっくりドアを閉める。


 俺は逃げるようにリビングに向かうと、ソファーに倒れ込んだ。


 ボフッと身体が沈み込む。


「本当に、なんだよ…それ」


 

『その人を大切にしてあげてね』



 そんなの、まるで…。


 ッチ。思わず舌打ちをする。ボリボリと頭を掻いて、天井を見上げて呟いた。


「俺は相手にしてないです、ってことかよ」


 翔くんはまだ子供だね。ってそう言うことかよ…なぁ?


 そう思うと、夕食の時の麻耶を思い出して、なんだか悔しいような恥ずかしいような、そんな複雑な気持ちが込み上げてくる。


 コト姉からしたら、俺も麻耶も子供で…。


 自分は大人。


 そう思っていた俺が一番子供扱いだったわけだ。


 …。


 テーブルの上の空き缶に目を向ける。


『くぅ〜! このために生きてる!』


 そんな言葉を思い出して、不意に伸ばした手が、缶の冷たい感覚に触れて止まる。


「いや、やめよ…」


 なんか、今何をやってもその全ての行動が子供っぽく見えて、そしてそんな気持ちが、コト姉とは釣り合わないことを認めてしまう気がして、嫌だった。





第11話     近くて遠い。


 



 


 





 


 





 

 




  


 

 

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