12話

 …。


 なんか嫌な夢を見た。


 真っ白な空間で俺が居て。すぐそこにコト姉が蹲るように泣いていて。さらにその向こうに誰なのか分からないけど、背の高い男性が歩いて行く。


 そんな、あまりにもシンプルすぎる夢。


 あの男性は誰だろう。そんな思考を抱きつつも、やっぱりコト姉のことが心配になって。


「コト姉、大丈夫?」


 そう、足を前に出そうとすると、


「行かないで」


 そう、葵が背中を掴む。


 その声は悲しげで、悲痛で。


 それなのに、


「お兄さん、シよ?」


 作って貼り付けたような笑みの葵と、キスをした瞬間…。





「…なんだよ」


「お兄ちゃんうなされてたから、やらしい夢でも見てんのかなぁ〜て、だから観察してた」


 サラリと垂れる亜麻色。シャンプーの香り。


「おはよ」約15センチ先、にへらと妹は笑った。


「おう、おはよ…一つ聞くんだが、なんでそんなに近いんだ?」


「起きた時に、お兄ちゃんときめくかなって。どう? きゅんてした?」 


「新手の悪夢かなってゾッとしてる、現在進行形で」


「わぁーうれーしー! とりあえず肋骨3本ぐらい持ってくね♪」


「そんな可愛い顔して、えげつねえ事言うなよ」


 と、麻耶の顔を手で退けるとゆっくり起き上がる。


 テーブルの上に置いてあった、空き缶がなくなっている事に気がついて、「コト姉は?」と麻耶に聞く。


「帰ったよ」と返した後、クリームたっぷりの菓子パンを咥えて続けた。


「あんかねぇ、はへるくふにわるひこほひはぁあ〜へ」


「何言ってんのか分かんねぇし、せめて食うか喋るかどっちかにしろ。あと、栄養あるもの作ってやるから、ちょっと待ってろ」


「へ?いいお?やはぁ〜!!」


 と、パンを口に咥えたまま腕を振り上げた瞬間、んぐっ…!てパンを喉に詰まらせる。


 金魚みたいに口をパクパクしながらもがく妹の姿は、不謹慎にもめちゃくちゃ面白かった。





 休日。それは学生と言えどやっぱり嬉しいもので、


 そして…。


 — その人を大切にしてあげてね。


「…そう言う意味だよな」


 はぁ、と息を吐き出して、ベッドに倒れ込む。


 こうやって、昨日の言葉の意味をしみじみ考えてしまう時間が、嫌いだった。


 コト姉はやっぱり美人で、優しくて面白い。


 人前で見せるようなしおらしい仕草じゃなくて、子供みたいに笑う顔とか、疲れ果てた後の寝顔とか。


 全部完璧そうで、でもそう言うところは抜けていて、それが愛らしくて。


 それが好きで。


 …でも。


「すっげー遠回しにフラれたんだな、俺」


 ずっと思いを寄せてきた人物が、「その人を大切にして」って言った。


 それは詰まるところ、コト姉以外の女性を大切にしろって、そう言うことなのだろう。


「はぁ…」


 失恋した気だるさに、寝返りを打って枕の下に手を突っ込む。


 ん?


 指先に何か硬いものが当たった。


 それを引っ張り出す。


「スマホ?」


 それは白いスマホだった。


 型は2年前ぐらいのスマホで、そういえば最近、あえて型落ちのスマホを安く買うというのをテレビで見た気がする。


 …でも コト姉が使ってるの、このスマホだっけ?


 電源を入れる。


 なんの変哲もないどこかの海の写真が映し出された。


「まぁ、でも多分コト姉のだよな」


 昨日ここのベッドを使っていたのはコト姉しかいない。そうなると必然的にこの持ち主はコト姉になるだろう。


 でも普通、スマホなんて忘れて帰るか?


 と、次の瞬間。



 『琴音、駅前で待ってるよ』



 スマホが鳴って、そんなメッセージが表示された。


 続けて。


 『昨日飲んでたって話だから、慌てなくていいよ』


 そんな優しいメッセージ。


 そのアイコンの写真は、この前浅草に行った時に見てしまった、ツーショットの相手だった。


 思考が止まる。


 もうコト姉には相手がいて、俺はフラれて。


 なんていうか、うまく言えないけど、今この瞬間それが確定してしまったような、そんな感覚に襲われた。


 スマホの画面を伏せると、「はは…」って乾いた笑いが溢れる。


「なんだよ、最初から無理だったのかよ…」


 とりあえず、イタズラのメッセージを入れておこう。


『スマホ忘れんな悪用すんぞ』


 送信。


 …。


 ん?


 それはほんのちょっとの違和感だった。


「あれ、送信できてないのか?」


 もう一度、スタンプを送信してみるも、やっぱり通知が来ない。


 通知をオフにしていても、メッセージが届いたという知らせは絶対に来るはず。


 だけど。それが来てないってことは…。


 その瞬間。


「ごめん翔くん…て、あ…」


 ドアが開いて、昨日とは違う服装のコト姉と目があった。


 ばっちりと大人っぽいメイクで、格好も綺麗。


 そんなコト姉が白いスマホを見るなり、小さく声をあげる。


「これ、コト姉の?」


「うん、昨日さ、忘れちゃってさ〜、あはは、私ったらドジっ子〜!」


 そうおちゃらけながら、俺の手からスマホを抜き取る。


「あ〜よかった!ありがとね翔くん!」


 そうニコニコしながら、ドアノブに手を掛ける様子は、どこか逃げ出すように思えて。


 だから。


「なんでスマホ、2台持ってるの?」


 ココア色の髪の毛が揺れる背中にそう訊いた。


 ぴたりと動きを止めると、そのまま「なんで?」と振り返ることなく、訊き返される。


「俺、メッセージ送ったんだけど通知なかった」


「あ〜、通知オフだからかな」


「それでも、メッセージが来ました的なものは来るよ」


「…送信不良じゃないかな?」


「そんなわけない、しっかり送れてるし、それに…」


 そう問い詰めた瞬間、いきなり振り返ったコト姉に、ベッドへと押し倒された。


 一瞬何が起きたのか理解できなかったけど、見上る無表情のコト姉に、「コト姉?」そう口を開くと。



「大人には大人の事情があるんだよ、翔くん」



 白い肌、顔に垂れる髪の毛。その奥の冷たい緑色の瞳。


 いつもよりもワントーン低い声で言い放つ。


「だから、あまり関わらないで」


 そして、ゆっくり立ち上がると、「ごめんね」と呟いて部屋から出て行いった。


 訪れる静寂と、鼻に物がぶつかった時のような、ツーンとした感覚。


 コト姉の、初めて見る表情。


 …。


「…あぁ、くそ」


 また、子供扱いかよ。


 その日は、時差でやってきた悔しさに、ただベッドを叩くことしかできなかった。


 


第12話  かくしごと

 


 


 


 



 

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