第9話
2年前。
「ねぇ、また一人だよ」
「えー、あんなに可愛いのに友達いないの?」
「そんなに可愛い?ワンチャンうちの方がイケてね?」
「いやいや!あんたよりは間違いなく恋瀬川の方が可愛いから!」
「えぇ〜、あははは!!」
…。
あぁ、うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさい…。
…。
図書室、昼休み。
古本の香りと、暑いと感じる程強い日光が、机の上に突っ伏した私の背中に降り注ぐ。
3人分の甲高い声に私は、ぎりりと歯を食いしばった。
アンタらに何がわかる…。
集団で、スマホで、コミュニティを作って。
それで、1人を複数人で囲って、非難して笑って。
そうやって、弱いものを公開処刑してしか自分たちの地位を確立することしかできないお前らに、私の何が分かるんだよ。
鮮明に残る数ヶ月前の記憶。
親友との別れ…。
蒸発したお母さんと、世界に1人だけの妹。
私に残ったのは、毎日酒漬けのお父さんと、新しい学校でのまるで荒野に放置されたような学校生活。
すでに構築されたコミュニティに馴染めなかった私は、案の定狩られる側になった。
私が何も言い返さないことを良い事に、好き勝手セリフが溢れ出す。
それを、わざと聞こえるようにして話しているのが、本当に胸糞が悪い。
「あはは!あれでしょ、前の学校で友達が自殺したんでしょー!」
うるさい…。
「あー知ってるー、そのあと母親にも捨てられてぇー」
黙れ…。
「えーかわいそぉー、あはは!!」
うるさい、うるさい…。黙れ黙れ黙れ黙れ。
と、次の瞬間だった。
「うるせえお前ら、ぶっ殺すぞ」
…え?
まるで、私の気持ちを代弁したかのようなセリフに驚いて、そちらに顔を向ける。
身長が高くて、ガタイが大きくて、正直顔が怖い。一つ上の先輩だった。
すると、それに驚いたのか、「すみません…」と、声を小さくして図書室を出て行った。
「っち、図書室ってこと分かってんのかあいつら…」
そう吐き捨てるように本棚の奥に帰っていく。
そして、その姿が見えなくなった時、ハッとして勢いよく立ち上がる。
「あ、あの名前わからないですけど!」
よく分からないけど、お礼…言わなくちゃ。
「ん?」
「あ。…え?」
本棚を曲がった先。
先輩は床に本を敷き詰めて、何か分厚い本を枕にしていた。
そんな様子を見て、私の頭に浮かんできたのは、さっきのセリフ。
『図書室ってことわかってんのかあいつら…』
私は、思わずふふっと鼻を鳴らす。
「…なんだよ」
「えーっと、ここ図書室ですよね?」
「…どうせ誰も読まない本だから、有効活用してんだよ」
そんな、先輩の不良みたいな言い訳に、「なにそれ」と、思い切り吹き出した。
馬鹿みたいに笑って、お腹を抱えて、久しぶりに笑ったせいか涙が出てきて。
そのあとは、全部吐き出すように泣いた。
困った顔しながら、「まぁ、まずは座れよ」と椅子を持ってきてくれて、泣き止むまでずっと待っていてくれた。
そして、私が泣き止む頃にはチャイムが鳴って。「やべ、美咲に殺される」と慌てふためく先輩にまた、笑った。
「先輩、面白い人ですね」
「いや、そんな自覚はないんだけどな」
「それに、優しい…」
「…おう、それじゃ、俺行くわ」
そう言って、本を棚に戻すと図書室を後にする先輩。
その日から、私は毎日図書室に通って、その度に先輩のお昼寝を邪魔した。
ふざけんなと口では言っていても、なんだかんだで話に付き合ってくれるし、私が机で寝ていると、どこから持ってきたのか分からないけど、ブランケットをかけてくれた。
春先、暖房の効いたこの部屋ではむしろ暑かったけど、それでも心地よくて、なんだかドキドキして。
気がついたら先輩のことが好きになってた。
それから、先輩の妹の麻耶ちゃんとも友達になって、「お兄ちゃん」と呼ぶ麻耶ちゃんに便乗して、私も『お兄さん』って呼ぶようになって。
距離が近づくたびに気持ちが大きくなって。
お兄さんが高校生になる頃には、お兄さんのことを考えるだけで体が熱くなって。少しの罪悪感と虚しさを感じながら、想像して、いやらしく自分の体を慰めていた。
もう、自分を止められなくなるのが分かった。だから、麻耶ちゃんと遊ぶ約束をして、お兄さんの家に行ったり、お泊まり会と称してずっと、お兄さんとそう言うことを期待してた。
でも、お兄さんは優しくて良い人だから、そう言う雰囲気になっても私の体には触れてくれなかった。
だから、中学生最後の日。
私はお兄さんを無理矢理押し倒して、お兄さんとセックスした。
だからさ…。
「好きなの?」
その質問には、速攻で否定をして欲しかった。
あれだけ激しくえっちなことしておいてさ。
…今更、もう無理だよ。
あの日、私を助けてくれて嬉しかった。
久しぶりに人の優しさに触れた。
初めて、恋を知った。
好きになったの、お兄さんのこと。
でもさ、私を勝手に救って、無責任に優しく接してさ、そうやって私を夢中にさせたのは、お兄さんなんだよ?
だからさ、責任とってよ。
私、お兄さんじゃなくちゃ嫌だよ…。
はぁ…はぁ…。
2人分の吐息と、ぐったりとするような疲労感。
鼻を燻る甘い香水の匂いと、全身に帯びた熱が冷め始めた頃、ちょうど学校のチャイムが鳴り響いた。
「鳴っちゃったねチャイム」
13時。
とろりとした表情のまま、そう呟く葵は、頬がほんのりと上気していて、握っている手は、しっとりとしていた。
「…ねえ、気持ち良かった?」
まだ整わない呼吸で、にへらと微笑む。
そんな葵に、なんて答えたらいいのか分からず、首を小さく縦に振ると、まるで安心したように鼻を鳴らした。
「そっか、よかった」
握っていた手がするりと抜けると、葵は立ち上がり白いシャツへと腕を通す。
窓際の揺れるカーテン。日光に透ける白いシャツ。
その刹那、逆光に映る彼女の横顔は、どこか虚しそうに見えたのは気のせいなのだろうか。
青い瞳と視線がぶつかる。
どこまでも深いマリンブルーが、白い頬に持ち上げられ、やんわりと微笑んだ。
「見過ぎだよ、えっちなお兄さん♪」
第9話 私だけのヒーロー。
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