第8話

 早くも3連休が終わってしまった。


 朝6時の火曜の朝は、なんだかちょっと憂鬱で、もう一度寝て起きたら土曜日に戻らないかなぁ、なんてため息を吐き出した。


 でもちょっと嬉しかったのは、スマホ無しで起きられたことだ。昨日はうっかりリビングに置き忘れてしまった。


「さてと…朝飯…ん?」


 目起きのぼーっとした感覚の中で、まず初めに嗅覚がその異常に気がついた。


 明らかに何かが燃えているような匂い。てか、現在進行形で燃え続けているのだろう、匂いはさらに濃く…。


 と、次の瞬間、「あぁー!やばすぎっ!」なんて悲鳴みたいなものが聞こえて来て、頭が一気に覚醒する。


 何かが燃えているような匂い…麻耶の悲鳴。


 これはもしかしなくとも…。


 階段を一気に駆け下りリビングのドアを開ける。


「麻耶!だいじょ…」


 我ながら、目の前の情景に思わず声がフェードアウトしていく。


「お、お兄ちゃん!やばい燃えてる!!」


 そう、泣き目になりながら水の入ったバケツを構えてこちらに顔を向ける麻耶。


 それと対峙するようにして、火柱をあげるフライパン。


 燃えているものはホットケーキだろう。うん…感じるよ、焦げ臭さの中にほんのりと甘いバターの香り。


 そもそも『IHキッチン』なのに、なんで着火するとか、どう言う原理でホットケーキに火がつくのかとか。


 つーか、バケツに並々水くんで、それぶちまけたら掃除が大変だろ。とか。


 とにかくもう、情報量が多すぎて頭がフリーズしていた。


 …いやいやいやいや!!


「麻耶!ストーップ!」


「消火かいしーっ!!」


 麻耶が盛大にバケツを振りかぶる。


 宙に浮く大量の水と、燃え盛るフライパン。そしてその向こう側の黒いスマホ。


 全てがスローモーションになった世界で、火が消える瞬間の音よりも、俺のスマホが洗い流されて、テーブルから落ちる音の方が耳に残った。





「あはははっ!麻耶ちゃんも変わらないね!」


「笑い事じゃねーよ…」


 昼休み屋上。


 いつも通り屋上に昼飯を食べに来ると、コト姉が先にいて、一緒に昼食を取ることに。


 その過程で今日の朝にあったことを話すと、どツボにハマって抜け出せなくなっていた。


 ポケットからスマホを取り出して、電源を入れてみるもやはり反応はない。


「くそ。死んだな」


 諦めるようにしてため息を吐き出すと、スマホをしまって焼きそばパンに噛み付いた。


「あははは…ふぅー、ふぅー…でも私もあったなぁーホットケーキ燃やしたこと」


「え、あるの?ってか、あれってそんなに燃えるもんなの?」


「うん、意外とね燃えるんだよあれ。んーなんでかな、有機物だからかな?」


 いや、有機物だからかな?なんて言われても納得できねーよ普通。


 すると、コト姉のスマホが鳴って、画面に顔を向ける。


「あ…」

 

 そんな声が口から漏れると、明らかに表情を曇らせる。


「どうしたのコト姉?」


「…ううん何でもないよ。ちょっと席外すね」


 ぎこちなく笑って、屋上の端の方まで歩いていく。


 何だろう?そう、その背中を見つめていると、耳にスマホを当てて、何かを喋り出す。


 ただ、その様子は普通の電話というわけではなく、何か訳ありの様子に思えた。


 その証拠に、いつも明るい表情をしているコト姉の顔が、明らかに雲ていた。


 すると、屋上のドアがガチャリと開く。


 そちらに顔を向けると、綺麗な青い瞳と視線がぶつかった。


 あ、お兄さん。そう声を漏らし、やんわりとはにかむ。


「こんにちわ♪」


「おう、お疲れ葵」


「ふふっ。お兄さんもお昼ごはん?」


 そう言われて、半分ほど食べた焼きそばパンに一瞬視線を向けて、葵を見る。


「まあな、いつもここで食ってんだけど、今日は先客がいたから」

  

 そう歯切れ悪く、コト姉の方へと顔を向けると、葵もそちらを向く。


「あ、琴音先生…」


「ん、知ってんの?」


「うん、だって一年生の数学担当だもん」


 へぇー、っと焼きそばパンを齧ると、俺の横に座って弁当箱を開ける。


 葵の作る弁当は、なんていうか女子って感じがした。


「逆にお兄さんは琴音先生のこと知ってるの?」


「うん。歳はちょっと離れてるけど、幼馴染でさ」


「え、幼馴染なんだ…」


 その様子は驚いたような、どこかその事実が残念だったような、そんな感じがした。


「でも…付き合ったりとかは…」


 そんな言葉を聞いた瞬間、思いっきりむせた。


 大丈夫?と俺の背中を優しくさすった。


「付き合うって…向こうは先生だし、無理かな」


 そう、自分で言って気がついた。


 そっか、どれだけ頑張ってもコト姉とは付き合えないんだ。


 向こうは先生で、俺はまだ生徒で。


 それ以前にコト姉は大人で、俺はまだ子供。


 先週の、まだ子供だなぁ〜、なんてコト姉のセリフが、今更心に刺さった。


「…お兄さん?」


「あ、わるいボーとしてた」


「…」


 一瞬、表情を曇らせて、弁当箱の蓋を閉じる。


 小さめの水筒に口をつけると。ねえ、お兄さん。と静かに葵が口を開く。


 その深い青色の瞳は、どこまでも俺を捕らえて離さない。


 柔らかそうな、桃色の唇が動いた。



「好きなの?」



 そんなセリフが、頭の中にツーンと響く。


 いや、ないない…俺なんて相手にされないって。


 …。


 脳内ではしっかりと言えていたはずなのに、なぜかその瞳の前では、言葉にならない。


 そうして、しばらく固まっていると、葵がコト姉の方をチラリと見る。


 それに釣られて視線をずらす。


 まだコト姉は電話をしていた。


「お兄さん…こっち」


 そう俺の手を引いて、階段を降りる。


 その時の表情はよく見えなかったけど、何となく悲しそうな、悔しそうな顔をしてたと思う。


 『音楽準備室』そう書かれたドアを開けて入ると、やっと葵の手が離れた。


「葵?」


 そう、彼女を呼ぶと、視線の先で制服のリボンが床に落ちる。


 そして、こちらを振り返った葵は。


「ねぇ、お兄さん…」


 艶やかな声を漏らし、ボタンを外したシャツからは、育ちのいい胸と水色の下着が見えていた。


 心臓がどくどくとなって、額に汗が浮かぶ。


「いや、何やって…」


 セリフを言い切る前に、柔らかい体の感覚と、甘い香水の香り。それと…。


「んっ…」


 しっとりとした唇が重なる。


 しばらくして、小さな水音と、喘ぎのような吐息を漏らして、葵の唇が離れていく。


 綺麗な青い瞳が、小さく微笑んだ。


「琴音先生のこと好きなんだ…」


「いや、そんなこと」


「…お兄さん、嘘着くの下手だね」


 だから…。


 そう息を吐いて、するすると葵の手が俺の太ももを這う。

 

 そして…。


「私が、そんなこと忘れさせてあげる」


 ほら…力抜いて。


 そう甘く、耳元で囁いた。




第8話  私のものだよ。

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