第145話 終劇フィナーレライブ-Bannkett!始動-

 ついに紅カレン先輩がライブステージ中央に立った。

 いつの間にか一期生の先輩方はステージを降りている。

 登場のポーズと一升瓶の存在が強烈過ぎて気づけなかった。

 

 ――ドシンッ!

 

 一升瓶の底がライブステージと衝突する。

 紅カレンはその場で胡坐をかき、静かに吠えた。


「おれはまだ一滴も呑んでない」


 声量は大きくない。それなのに圧が凄い。

 再び一升瓶の底がライブステージに叩きつけられる。


 ――ドシンッッ!


 衝撃音が巨大な怪物の鼓動のように響く。

 すでに配信が紅カレン先輩という怪物に支配されているのだ。


「おれはまだ一滴も呑んでないっ!」


 二度目は感情があふれ出る。

 このままでは危険だ。誰かが紅カレン先輩を止めなければ。

 止めなければこの場で一升瓶のラッパ飲みが始まってしまう。

 そんな配信事故さえ想起させる。

 

 ――ドシンッッッ!

 

 そんな強く叩きつけたら、瓶が割れるのではないか。危惧を抱くが割れない。むしろ『呑め!』という吹き出しがルビーレッドに妖しく輝いているようにも見える。

 衝動を抑えきれなくなった紅カレン先輩が跳びあがり、絶叫した。


 ――ドシンッッッッ!!!


「おれはまだぁっ! 一滴も呑んでいないぞ! じ〇じょぉーーーーっ!!」


 なぜジョ〇ョ。元ネタが分からなければ通じない。紅カレン先輩はすでに人間をやめてしまったのだ。仮面も血も必要ない。ただ一日お酒を断つだけで、人間をやめたのだ。

 隣でリズ姉が床に笑い転げている。

 ミサキさんは遠くを見ている。

 セツにゃんはぽかーんしたままだ。そういえば酔っ払い系は詳しくないと以前言っていた。耐性が低いのだろう。

 私は酔っ払いに慣れているので耐性があった。


 一期生による感動のフィナーレ。

 涙色だった配信画面も今や大草原に様変わりしていた。砂漠化が深刻な地域も救われただろう。


 紅カレン先輩はステージ中央で叫んでいる間に、ライブステージにはバンドでお馴染みの楽器がセットされていた。

 ドラムセットに座る翠仙キツネ先輩。

 キーボードの前に立つ碧衣リン先輩。

 ベースを持つ黄楓ヴァニラ先輩。

 そしてギターを手渡される紅カレン先輩。

 すぐに演奏するわけではない。四人で音の確認を始める。


「もう始まるのね」


「あっ! 月海先生おはようございます」


「アリスおはよう。最後の歌もよかった。表現の幅が広がったんじゃないの」


「ありがとうございます。始まるってどう見てもバンドですよね。まさか月海先生監修ですか?」


「まさか。うちの元バンドメンバーが楽器の指導はしているけど自発的なモノよ。だから曲も歌詞も呆れるくらい自由奔放。あと三期生のリズ姉とミサキチも楽器の練習を始めているから。アリスと同じステージに立つのに歌では邪魔になる。そんな可能性を考えて」


「リズ姉とミサキさんまで」


「そこで呆けているセツナは歌でビシバシ指導するけど」


「お手柔らかにお願いします?」


「アリスと共に歌でステージに立たせるのよ。優しくして後悔させるくらいなら、厳しくするに決まっているでしょ。ただセツナは配信の言動の割にストイックなのよ。アリスと同じく練習量の管理の方が大変かもしれない」


 月海先生と話しているうちに準備は完了したようだ。

 紅カレン先輩が今度は一升瓶ではなく、ちゃんとマイクでパフォーマンスを始めた。


「画面の向こうのお前らぁ! お酒を呑んでいるよな? もちろん呑んでいるよな! アニバーサリー祭後半の部はもう終了だ。始まってからどれくらい時間が経った? 空瓶は転がっているか? 何本だ? もう酔ってるか? 酔ってるよな! 二日酔いにひよっている奴いねーよなぁ! なあお前ら!」


 絡んでいる。画面の向こう側を見透かすようにリスナーに絡んでいる。絡み方の臨場感が凄い。

 そんなカレン先輩に気圧されるように『おう!』『呑んでる』『チビチビやってます』『まだゼロ本です!』などのコメントが流れる。


「大変よろしいっ! でもおれはまだ一滴も呑んでない! 故におれはアニバーサリー祭後半の部の終わりと、飲酒有の後夜祭開催をここに宣言したい!」


 ――ジャラァァン。


 かき鳴らされるギターの音。

 私とセツにゃんの未成年組が参加しない後夜祭。もちろん飲酒有。アニバーサリー祭は元々三部構成だ。プログラムにも後夜祭は記載されている。

 後夜祭の開催宣言ではサプライズにならない。


 今はリスナーが気にしているのは楽器の扱いだ。

 いつもの二期生ならば、演奏せずにコントを始める。

 ここまでしても絶対にボケる。

 そんな予想がコメント欄に広がっている。九割がエアーバンド予想。つまり演奏しない。曲が流れてサビのいいところで、タライが降ってきて唐突に終わる。タライオチだ。そんなコントを信じて疑わない訓練されたリスナーが大勢いる。


「だがその前に重大発表がある! 見ての通りバンドだ! 今宵のアニバーサリー祭後半の部のフィナーレライブ。そのトリを務めさせていただくのはおれらだ!」


 紅カレン先輩が後ろを振り返り、他の二期生の先輩方と頷き合う。

 ここまでしてもコメント欄はタライ待ちだった。『マジ?』など疑うのコメントの方が少ない。


「虹色ボイス二期生によるバンドユニット『Bannkett!』の創設ライブじゃあぁぁぁーーっ! 聴いてくれ。おれ達のデビュー曲『バッカス−禁酒宣言−』」


 奏でられるロックのリズム。

 翠仙キツネ先輩のドラム。碧衣リン先輩のキーボード。黄楓ヴァニラ先輩のベース。

 上手い。もちろん本物のプロの音には劣るが、生演奏で様になっていた。

 コメント欄は困惑一色だ。『タライじゃない……だと!?』なんて書き込みもある。どれだけタライに信頼を寄せていたのだろう。

 生演奏によるイントロ。紅カレン先輩の語りが始まった。


「ある日、酒の神バッカスはおれに言った。『アルコール度数の一桁台は切り捨てだよな』。おれはもちろんこう答えた。『そだね』と。そのときわかったんだ。ビールも缶チューハイも酒じゃない。全てがノンアルコールだったんだよ!」


 渾身の語り。ここでようやくリスナーはコンセプトを理解する。

 このバンドユニット創設は本物だ。こいつら演奏しながら歌でボケるんだ。コメント欄が一気に加速した。


『ちげーよ』『そうじゃない』『禁酒してない』『今日の俺はまだ酒を呑んでいなかった?』『やはり天才だったか』『あれ? 普通に上手くね?』『狂気の発想』『本当に酒の神とオラクルできていそうで怖い』『すでに腹痛い』『誰かタライを降らせて終わらせろ』『歌が無駄に上手いのがなぜか腹立つ』『こいつらwww』


 結局タライは降ってこない。

 演奏はまずまず。ちゃんとロックバンドになっている。歌詞の内容さえ無視すれば、紅カレン先輩の歌は無駄に上手い。

 起床してすぐ缶ビールを開ける歌でなければ。

 アルコール度数一桁台切り捨ての世界で、名ばかりの禁酒を謳歌していなければ。

 アルコール度数九パーセントの水割りの作り方を歌っていなければ。

 ゆるゆるの禁酒宣言なのに、結局アルコール度数二桁のワインや焼酎に隠れて呑んで叱られる呑んだくれ讃歌でなければ……。

 素直に称賛を得られたかもしれない。


 楽器は必死に練習したのだろう。

 演奏も必死に覚えたのだろう。

 ここまでしたのに普通の称賛など要らない。ただおれの生き様を見てくれ。そう言わんばかりの呑んだくれバンドだった。

 狂気と混沌とアルコールが配信を支配する。

 コールはなぜか『アルハラ』と統一された。『健康診断から逃げるな』などの罵倒も飛んだ。すでに完成されたカルトなファンの姿がそこにあった。リスナーの対応力がハンパない。

 だが一曲目はまだ序曲。カオスの本番はこれからだ。

 一曲目が終わりキーボードの碧衣リン先輩にボーカルマイクが移る。


「二曲目『女子会カタストロフィ。朝焼けだと思ったら夕焼けだったあの日のことをボクはよく覚えていない。だってそのまま二次会に突入したから。フィーチャリング黄楓ヴァニラ』聴いてください」


 タイトルからしてすでに残念だった。

 歌詞はもちろん残念だ。

 歌唱力に定評がある碧衣リン先輩が歌うので、疾走感があって無駄に綺麗な歌声だ。

 シチュエーションを理解してないと、女性同士の友情を歌っているように聞こえるから始末が悪い。そこに黄楓ヴァニラ先輩の歌声も重なり、油断していると切なさで涙が零れてしまいそうになる。でも冷静に聞くと残念極まりない。

 残念さは加速する。どんどんどんどん加速する。

 朝焼けと勘違いしたのは徹夜で呑んでいたから。夕焼けだったのは寝落ちして爆睡したから。つまり二日間呑み続けて、二次会に突入する歌だ。ねこ姉とマネージャーでもここまで酷くない。

 カタストロフィしているのは私生活と女子力だった。


 白詰ミワ先輩が頭を抱えて床に倒れ込んだ。

 いつの間にかこちらに来ていたのだろう。これで倒れたのは三人目だ。月海先生はとっくに笑い転げている。他の一期生の先輩方もあまりの酷さにぽかーんしていた。二期生がどんな演奏するか、一期生の先輩方も知らなかったようだ。

 歌のクオリティは本当に高い。

 そして三曲目がラスト。マイクはやっぱり紅カレン先輩に渡った。


「次で最後の曲だ。たった三曲しかないことを許してほしい。曲名は『オール・エンド・オールナッシング』」


 曲名だけ聞くと少しまともに聞こえる。

 もちろんまともじゃないわけで。


「これはおれの実体験。徹夜で呑んで酔い潰れたあの日。路上で起きたおれは財布とスマホと自宅のカギを失っていた。そのときの絶望を聴いてくれ」


 どこか哀愁さえ感じさせるバラードな始まり。

 呑み屋の汚くてちょっと臭いトイレでゲロを吐くか、吐かないか。人間としての尊厳を守るためにせめぎ合う。

 果たして人間の尊厳とはなにか。深く考えさせられる迷曲だ。もしかするとこれがロックかもしれない。

 そんな勘違いしかけていた私の肩を花薄雪レナ先輩がガシッと掴んだ。


「ど……どうかしましたか?」


「見習っちゃダメ。あの連中のようになったらダメ」


「えっ……えーと。二期生の先輩方は立派な方だと思いますよ? あの曲の演奏の許可は出ているんですよね」


「あいつらやりやがった。曲は同じ。でもリハだとタイトルも歌詞も別物だった。『バッカス』はノリのいい普通のロックバンド曲だったし、『女子会カタストロフィ』も女の友情を歌っただけの疾走感ある曲だった。『オール・エンド・オールナッシング』に関してはあんな曲知らない。三曲目なんかなかった。リハではちゃんとしてたし、普通に上手かったの。それなのに本番で歌詞を全部入れ替えたのあいつら。あれはただの呑んだくれ集団。典型的なダメ人間。だからダメ。見習ってはダメ。アリスちゃんは健全に育って。あいつらは私達一期生が責任を持って締めるから」


 花薄雪レナ先輩の目がマジだった。

 普段おふざけ担当の花薄雪レナ先輩が本気で使命感に燃えている。

 内容はともかく歌も演奏も上手いし、リスナーの評判も大草原。コメント数の伸びも凄まじく混沌だ。

 配信としては成功だろう。

 だがしかし! 許されないことはあるらしい。

 横を見ればセツにゃんも私と同じ指導と注意を受けていた。竜胆スズカ先輩と胡蝶ユイ先輩も必死だ。本当に一期生の先輩方は知らされていなかったようだ。月海先生は多分知っていたので、一部のスタッフだけが知っていたに違いない。


 この曲のあと、一期生がライブステージに乗り込んで二期生を捕縛した。

 アニバーサリー祭後半の部は無事にグランドフィナーレ。

 最後の十二人全員が揃ったシーンでは、二期生全員が正座させられていた。

 私とセツにゃん未成年組のアニバーサリー祭は、そんな異例のスタイルで終わりを迎える。

 なお成年組はこのあと、より混沌渦巻く後夜祭に移行する。


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