第73話 歌手デビュー生歌配信-For dear life-

 もしかしたら人生を変えるかもしれない配信。

 でも人生なんていつ変わるかわからない。

 知らないうちにネットのネタとして消化されている世の中だ。

 良くも悪くも未来は見えない。

 だから目の前の今に全力を尽くす。自分も周りも全てを巻き込んで精一杯楽しむ。

 たぶんそれが一番後悔が少ないはずだから。


「やる気充電完了。お仕事モード起動。皆さまおはようございます。本日は歌唱型駄メイドロボ真宵アリスです。えーと……いつもと環境が違うので不安です。声が大きすぎたり、ハウリングしていたりしてないでしょうか?」


:大丈夫

:ちゃんと聞こえる

:いつもよりもクリアかも

:今日の配信って部屋じゃないのか

:予告通りのお歌配信だけどスタジオ借りたのか

:サムネイル凄いよかった


「大丈夫そうですね。はい! 今日は音楽スタジオから生配信しています。さすがに家の部屋で全力で歌うと防音室でも音は漏れる。ご近所迷惑になってしまいます」


 今日はいつもと違って部屋からの配信ではない。

 スタジオから配信するのは公式配信で経験をしている。

 でもスタジオに一人で入るのは初めてだ。

 足音や衣擦れの音さえ聞こえてくる完全防音。黙っていると怖いくらいの静寂。

 持ち込んだパソコンの駆動音が大きく聞こえるのは自分の部屋と似ていて落ち着いた。

 雑多な方が苦手だ。


「今日はなんとお歌配信です! それもただのお歌配信ではありません。新曲発表の生披露です。つまり私は歌手デビューしちゃうわけです」


:え?

:冒頭からいきなりアリス劇場が始まってる?

:新曲発表で歌手デビューって……え!?

:そんな話出てたか!?

:今日はいつもと違う感じしてたけど

:サプライズすぎる


「私も青天の霹靂でした! 詳しいことはよく知りません。ある日ボイストレーニングの先生から『これを歌って』と知らない曲を渡されて、歌詞の意味などを指導。そのあと必死で練習して合格。先生の知り合いらしきバックバンドメンバーを紹介されて、いつの間にかレコーディング開始です。状況を理解しないうちに全部流されるまま終わってました」


:アリスもサプライズだったのか

:軽いw

:全部流されるままって

:それで歌手デビューする奴初めて見た

:でもバックバンドとか本格的

:事務所の宣伝も力が入っているしマジな話か


「この配信のあとにミュージックビデオも公開されます。完全版の曲を聞きたい方はぜひそちらもご視聴願いします。サイバーな世界観の誰もいない渋谷のスクランブル交差点みたいなところで私が一人歌っているアニメーション付きですよ。……実は私は渋谷のスクランブル交差点を渡ったことないんですけどね。引きこもりなので」


:完全版?

:絶対見る

:なんかエモい感じか

:本人が渡ったことないのに歌っているのワロタw


「ちなみ今回歌うのは伴奏無しの独唱です。失敗しても許してください」


:伴奏無しの独唱ってヤバい

:アカペラってこと?

:いやアカペラなら何人歌ってもいいから本当にアリスの生歌だけ

:……新曲発表でそれって鬼畜なのでは

:アリス歌うまいのは知っているけどさすがにキツくね


 そう。

 このスタジオには誰もいない。

 他の音はない。

 サムネイルでは巨大なヘッドホンをしているが現実ではしていない。

 私が一人でマイクに向かって歌うだけの配信だ。


 本当は生音源も流す予定だったが私が断った。

 歌手としてのデビューを望まれている。

 ならば最初の配信は誤魔化しの利かない生の歌声を流したい。

 それで酷評されるならばそれまで。

 月海先生も『本人が希望するなら』と了承してくれた。

 同時に『君の集中力と歌唱力なら伴奏の有無とか関係ないだろうし』とも呆れられたけど。


「生歌のみの披露は私の希望です。実は最近尊敬できるボイストレーニングの先生に師事してまして。その筋ではかなり有名な方です。本人からは『配信で名前を出すな』と厳命されているので出しません」


 ただのボイストレーニングではない。

 声の出し方、歌い方、喉のケア、トレーニング法。

 そういう基礎から舞台に立ったときに会場全てに届く発声法や二階席などに狙って声を届ける方法など実践的なことまで。

 なにより歌への姿勢は影響を受けている。


「先生はヒット曲も出した歌手でした。でも人気絶頂期に無理して歌い続け……そして喉を壊しました。手術は成功したものの歌声は元には戻りません。そんな壮絶な過去の反省からボイストレーナーになった人です。今は後進が喉を潰さないためのレッスンを行っています。その先生に云われた言葉があります」


『Every time you pick up your guitar to play, play as if it’s the last time』


「昔のロックスターの言葉『これが人生最期の演奏だ。ギターを弾くときはいつもそう思って演奏している』という意味です。残念ながら私はギターの演奏はできません。でもそういう問題ではないですよね。これは一度喉を潰した先生だからこそ言える重い言葉です」


 後悔も未練もあるだろう。

 過去の失敗を完全に乗り越えて前に進んでいる……なんて人は存在しない。

 誰もが折り合いをつけて無理やり自分を納得させただけ。

 先生には自分の歌に悔いがある。


「人はいつ死ぬかわからない。そこまでの話でなくても喉は消耗品です。無理をすれば簡単に潰れます。酷使し続ければいずれ壊れます。だから『これは私の人生最期の歌だ。歌うときはいつもそう思いなさい』と教えられました。決して悔いの残さないために」


 それでも前に進んでいるのだから尊敬できる。

 絶対に自分と同じ失敗をさせたくない。

 本気の言葉だから届くのだ。


「そしてこの言葉にはもう一つ意味があります。『あなたが私の歌は選んでくれるのは今回たった一度きりかもしれない』。歌には聞いてくれる相手がいます。その相手からすれば当たり前ですね。アーティストは数多いる。わざわざ私の歌を聞くために機会を設けてくれる人は少ないはずです。そのたった一回の機会にやる気のない歌を披露すれば二度と選んでもらえません。これは古くから伝わる日本人の精神『一期一会』にも通じます。この出会いに感謝を込めて。誠心誠意全力で。誤魔化しの利かない生の歌声を届けます」


 最初にこの曲を聞いたときは恥ずかしくなった。

 作詞作曲したのは月海先生の元バンドメンバー。

 解散後はボカロプロデューサーとしても活躍している氷下天使先生。

 名前はバンド名をそのまま流用しているらしい。

 人気はあるのに誰にも楽曲提供はしていない。


『私の曲は月海灯以外が歌うように作ってない』


 カッコつけた言葉ではない。別に月海先生に操を立てているわけでもない。

 言葉通り歌手として全盛期の月海灯しか歌うことのできない難曲ばかりなだけ。

 月海先生曰く『偏屈な天才をそのまま体現したような奴』とのこと。

 ネット上にも『氷下天使に挑んでみた』というタグが並ぶ。

 そして幾人もの歌い手の心を折っている。

 そんな氷下天使先生が月海先生に頼まれて『真宵アリスをイメージして作った』と渡してきたのがこの曲だ。


『私を見ろ』『私の歌を聞け』『絶対に魅せてやるから』


 そんな想いが息継ぎを許すことのなく早いリズムで刻まれていく。

 出だしからスター気取りの自信満々な歌詞。

 なのにサビは悲痛な叫びだった。


『だから私を一人にしないで』


 見透かされていた。

 真宵アリスではなく結家詠を見透かされていた。

 氷下天使先生のことが苦手だ。

 目立ちたがり屋で他人によく思われたい寂しがり屋の引きこもり。

 自分は特別な存在でいたい。

 完治したはずの中二病さえ掘り起こして白日の下に晒してくる。

 ……もっと正直に言えば苦手どころか嫌いな人だ。

 でもこれ以上の私のデビュー曲はないと確信できた。


 息を長く吐いて呼吸を調える。余計なことは考えない。

 ルーティーンに従い、頭の中で音楽用語を唱える。今回はアパッシオナート。本来の意味は『熱情的に激情的に』。でも今回は『感情のままに全てを曝け出して』という意味で。

 これも私のルーティーンを知った氷下天使先生のご指名だった。

 うん大嫌いだ。

 でもカチリとスイッチが切り替わる。


 自分の息遣いも心音も不要な音は全て消える。

 頭の中でレコーディングのときの生演奏が流れ出す。

 歌の世界に自分を落とし込む。歌詞の世界に自分を重ねる。

 余計なものを全て排除して。

 ただ世界を表現する。

 配信のことも気にならなくなる。

 でもさすがに曲名は紹介しないと。


「曲名は『For dear life』聞いてください」


 そんな自分の声もとても遠くに聞こえた。


--------------------------------------------------


「それではお仕事モード終了。一曲だけの披露ですが本日の配信は以上です。本日はお付き合いただきありがとうございました。このあと配信されるミュージックビデオもぜひ見てください。ちゃんと生演奏収録で凄いですから。こっちの拙い生歌と比べたりしないでくださいね。歌唱型駄メイドロボ真宵アリスでした」


 酸素不足でボーとする頭。

 辛うじて終わりの挨拶をして生配信を閉じる。

 歌の世界に入り込み過ぎた。

 一曲歌ってこれでは歌手は名乗れない。

 月海先生に教えてもらって体力作らないと。

 でも一曲終わったらちゃんと休めとの教えなので今は甘えさせてもらおう。

 ……エゴサは絶対しない。


:疾走感パない

:アリスが歌上手いの知っていた……知っていたはずだったのに予想の遥か上空を飛翔された

:制限なくして本気で歌ったらこうなるのかよこの暴走型

:本日は歌唱型だって言っているのに暴走型扱いワロタ……わかるけど

:いやマジどうやって歌ってんのこれ? ブレスは? 息してるの? あんな高音出せるか普通? 一気に高音まで駆け上がったのにまだ高音域で伸びるし配信越しでも声の圧が凄いし

:俺には絶対無理……キー下げてどれだけ歌い込んでも歌えない

:ボカロ曲の系統っぽいけど新曲なんだよな

:真宵アリスはアンドロイドではなくボーカロイドだった?

:元よりアンドロイドではなくメイドロボだし身体あるぞ

:違う意味で中の人などいない説ワロタ

:激しい曲だから最初似合わないかなと思ったのに聞き終わると歌詞も曲名も全て真宵アリスのことだと理解させられた

:最近いい子過ぎてデビューの名乗りが「世界に叛逆を目論む暴走型駄メイドロボ真宵アリスです」だったの忘れてた

:曲名『For dear life』だから『大切な人生のために』か?

:直訳w

:この慣用句は学校英語や試験英語だとマイナーだから

:『For dear life』は動詞のあとにつける慣用句で意味は『死ぬ気でやる』『Run for dear life』で『生き残るために必死で駆け抜けろ』

:まさに命がけの曲か……もう一回聞こ


 ・

 ・

 ・

 ・


:普段投げ銭しないけどこれ無料は駄目だろと思って銭投げてた

:俺もオンラインライブだと思えば安いというか再生の度もっと投げればと後悔

:何周してんだよ……俺もだが

:ミュージックビデオ見てきたが色々ヤバい

:生歌よりも凄いの?

:それは好みだけど今回の歌手デビューの背景が見えてきて……これ売れるわ

:俺も見てきたけどこれクリオネじゃん!

:クリオネ?

:少し前流行ったガールズバンド

:次世代歌姫とか氷下天使とか調べれば出てくるぞ

:似た旋律聞いたことあると思ったら作詞作曲氷下天使じゃねーか

:あいつの曲人間が歌えるの?

:アリスが完璧に歌いこなしているだろ……しかも伴奏無しの生歌で

:アリスやべー

:みんな知っているの? クリオネや氷下天使ってそんなに有名?

:音楽界隈じゃかなり有名だし氷下天使様は現役ボカロプロデューサー

:誰にも楽曲提供しないって話だったのになぜ急に

:そりゃあプロデューサーが元相方の月海灯だしバックバンドも元メンバーだし、こっちには流れてないけどミュージックビデオの方はもう大荒れだよ

:大荒れ?

:マジの音楽界隈が『クリオネの後継者』とか『二代目』とか騒いで普段Vを見ない連中まで流れてきてバズってる

:誰得かわからないけど月海灯との比較とかさ

:想い出補正あるけど歌唱力では月海灯の方が上。でも表現力なら真宵アリスの上かな

:湧いたw

:俺は現在真宵アリスファンで元クリオネファンなだけだ

:ミュージックビデオはアンチが暴れているとか

:いやアンチは少なくて肯定的な人の方が多いぞ

:氷下天使の曲を歌いこなしている時点で真宵アリス凄すぎるって評価だからな

:むしろ真宵アリスって誰? どういう歌手? って質問で荒れてる

:そっちか! さっきからVに興味ないうちの姉から凄い勢いでメッセージ来てんのよ『真宵アリスについて教えて』って

:うわマジでバズってる……ミュージックビデオの再生数の伸びがエグい

:もうこっちにも流れてきてるぞ

:アリスのボイトレの先生は月海灯だろうし色んな意味で荒れそう

:月海ファンからすると歌聞く前のアリスの語りで泣けるからな(俺)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る