第59話 相席できない公式生配信②-完全武装呑んだくれ-
都内某所。
その居酒屋は薄暗い住宅街にひっそりと佇んでいる。
外装は普通の一軒家と区別がつかない。
暖簾なし。
看板なし。
広告なし。
招待された客しか入ることの許されない幻の居酒屋。
『隠れ家居酒屋アリス』
至高の料理が織りなす饗宴の招待されたのはたった五人の客と一人の店員。
今宵も宴の夜が始まる。
コンピュータグラフィックで描かれた夜の住宅街を背景に六人のアバターが映し出されている。
場所を特定されないようにテンプレートな夜の住宅街だ。
ただし漏れ聞こえてくる環境音は本物。
店の外から収録が開始されているのがわかる。
集団の中心人物は虹色ボイス二期生の紅カレン。
他の五人は紅カレンを遠巻きに距離を置いている。
配信冒頭にも関わらず五人の表情はすでに疲れていた。
頭を抱えている。
関わりたくない。
でもこのままにしておけない。
そんな決意を固めた虹色ボイス二期生の翠仙キツネが紅カレンに歩み寄った。
とても頭が痛そうだ。
紅カレン:「ここがあの女のハウスね」
翠仙キツネ:「……ハウスはハウスでもハウススタジオな。アリスちゃんの家やないし、誰も住んでないからな」
紅カレン:「なんの変哲もない外装。けれど住宅街に紛れていても隠しきれない名店のオーラ。これなら全国から酒呑みが結集してもおかしくはない」
翠仙キツネ:「そんな気配感じ取れるんはバカレンだけや呑んだくれ」
紅カレン:「わからないの!? これほど濃厚な呑み屋の気配が! ちゃんと鍵かけないと絶対に誰かが呑み屋と確信して入ってくるよ! 私なんか地図を見ずに駅から一直線でここまで来れたんだから! なんなら駅も勘で降りたよ!」
翠仙キツネ:「……呑んだくれの本能はナビ要らずなんか。いやちょっと待て! 今駅から言うたか? まさかその恰好で電車に乗ったんちゃうやろな!?」
紅カレン:「ん? 乗ったよ?」
翠仙キツネ:「重くないんか?」
紅カレン:「……むちゃくちゃ重い」
翠仙キツネ:「注目浴びんかったか? 駅員に呼び止められんかったんか? 警察から職質は?」
紅カレン:「……職質とかはないけど電車内で凄く見られた。あんなに五度見されたのは泥酔してスマホなくして電車内で泣きじゃくったあの日以来」
翠仙キツネ:「五度見される経験なんて普通ないからな! 五度見した人の首関節への負担もちゃんと考えて行動せい! ヘルニアなるわ! 宅配とかあるやろ! なんでそんなことになっとるんや!?」
画面上部に虹色ボイス事務所から異例のメッセージが流れる。
『紅カレンのアバター特殊仕様は呑み会当日の装備を忠実に再現したものです。誇張などはございません。また当社がこの装備を演者に強要した事実などもございません。リアルの服装がこの装備にフォーマルワンピースでした。全貌はご想像にお任せします』
事務所側からの弁明が必要なほど紅カレンの姿は異様だった。
紅カレンのアバターは真紅のロリータドレス姿の高飛車お嬢様といったデザインだった。
本日はそこにありえない装備が追加されている。
完全武装呑んだくれ。
ほとんどアバターの新衣装お披露目に近い変貌が行われている。
両手に持たれた二重のエコバッグから見えるのは酒瓶。右手に一升瓶が三個。左手にワイン瓶が五個に角瓶が一個。
それだけでも十分に衝撃的だが背負われているモノが見るものを更なる混乱に突き落とす。
スポーツ観戦の球場でしか見ないアレ。
移動販売用ビールサーバーだ。
通称ビアショルダー。
リアルでは気合の入ったフォーマルワンピースにこの装備だったのだ。絶対に売り子やキャンペーンガールには見えない。
両手に大量の酒瓶を持っているだけでもヤバい奴認定されかねないのにビアショルダーまで背負っている。
それが電車に乗ってくる衝撃はいかほどだろうか。
誤ってビールの注文をする乗客が出なかったのが幸いである。
こんな装備の奴がハウススタジオ前で仁王立ち。
いくら同じ事務所の仲間でも逃げたくなる。
紅カレン:「ツネちゃんよくぞ聞いてくれた! 事務所が酷いんだよ! 呑み会のお酒を用意しなきゃいけないのに宅配不可! 車も使うなって! 私だってこんな重たい装備を持ちたくてしているわけじゃないんだから!」
翠仙キツネ:「……宅配不可車不可ってそんな無体な。うちの事務所はそんなに理不尽な命令せえへんやろ。ちゃんと経緯を説明してみ」
紅カレン:「私が隠れ家居酒屋アリスのお酒の手配を任されたのは知っているよね」
翠仙キツネ:「まあな。この企画の打ち合わせには参加しとったし。料理はアリスちゃんに任せるなら、酒はカレンに任せた方が面白くなるいう判断やな」
紅カレン:「うん。私はこの企画に命かけてるからね。絶対に面白くしてやろうと張り切った」
翠仙キツネ:「……命かけちゃったか。それで?」
紅カレン:「まず事務所に海外のワイナリー購入を持ち掛けた。いくつか優良な不動産調べて」
翠仙キツネ:「はいアウトやこのドアホ! 呑み会のアルコール類調達にワイナリー購入を仕掛けるアホがどこにおんねん! 世界長者番付上位の大富豪か!」
紅カレン:「もちろんワイナリーは冗談半分だよ? ワタシタチニホンジン。買うなら酒蔵だよね」
翠仙キツネ:「ちゃうねん! ワインか日本酒の問題やないねん! 規模! メーカー購入がありえへんねん!」
紅カレン:「……事務所にもそう言われた。私も夢の企画実現に舞い上がっていたのかもしれないと反省した。だからワイナリー購入は断念。自社生産するためにクラフトビール醸造設備の購入に妥協したの」
翠仙キツネ:「それで妥協なんかい。はぁ……聞きたない。聞きたないけど配信のためや。それおいくら?」
紅カレン:「設備だけなら二千万円ぐらい。うちの事務所の広報力なら五年もあれば十分に元は取れるとプレゼンしたんだけどダメだった」
翠仙キツネ:「……せやろな。事務所の担当者も企画の打ち合わせのはずが、なんで長期的な投資と販路拡大をプレゼンされてるんやろうな」
紅カレン:「あれもダメこれもダメのダメ続き。事務所との交渉もヒートアップ。絶対の自信があった樽酒購入もダメだったし」
翠仙キツネ:「樽酒ってあれか? 力士や当選した政治家が割っている奴」
紅カレン:「そうそれ!」
翠仙キツネ:「あれってどれくらいの量なんやろ? カレンが自信があったなら値段もそれほどではないんか?」
紅カレン:「容量は色々あるけど購入しようとしたのは十升樽だから。容量約十八リットル。お値段はだいたい十万円。せっかくの新企画! お祝い事だよ! 配信での話題性と盛り上がりとビジュアル考えたらコストパフォーマンスは悪くないんだよ!」
翠仙キツネ:「量多いわ! でも配信でのコストパフォーマンスの点は悪くはないのは認める。それで却下理由は?」
紅カレン:「……ツネちゃんが言ったように量が多い。呑みきれない。後処理が大変。ハウススタジオはレンタル。樽酒こぼしたら大変なのでお酒のパフォーマンス禁止。もちろんビールがけもダメ」
翠仙キツネ:「妥当やな」
紅カレン:「そのあとも色々話し合ったんだけど『費用はこちらで出します! 何十万円もする高級ワインとか以外なら出しますから! 常識の範囲内なら! お願いだからカレンさんは当日現地に自分一人で持ち運べる量以上のお酒は持ってこないでください! もちろん車で運べるだけ運ぶとかもダメです!』と言われてね。最終的にこうなった」
翠仙キツネ:「……十割カレンが悪い。(事務所の担当者が)大変やったな」
紅カレン:「うん(私が)大変だったよ」
翠仙キツネ:「一応念のために聞くけどそのビアショルダーは事務所の許可は下りているんやんな」
紅カレン:「当たり前だよ。自分で運べる量のビールを私物に入れただけだもん。文句は言わせない」
翠仙キツネ:「……その球場でしか見ないようなビアショルダーは私物なん?」
紅カレン:「そうだよ? 冷却機能付きのちゃんとしたの」
翠仙キツネ:「………………そっか……うん……そっか……はぁ……疑問も解けたしさっさと中入ろか。カレンも重いやろ。瓶ぐらい持つで」
紅カレン:「ダメ。条件は私一人で持ち運べる量だから。私が店内まで持って入る」
翠仙キツネ:「さよか。なら先導したるわ。扉は開けるし、段差には気いつけや」
紅カレン:「さすがツネちゃん。ありがとね」
その様子を離れたところから見ていた他のメンバーはというと。
碧衣リン:「キツネがツッコミを放棄した」
黄楓ヴァニラ:「リンちゃん。ツッコミは相手がボケたときにするものだよ。カレンちゃんは大真面目。だからキツネちゃんも無駄なことをしないの」
碧衣リン:「なるほど」
黄楓ヴァニラ:「リンちゃんの発言にあまりツッコミがないのも同じ理由だよ」
碧衣リン:「ん? 私はボケたことないからツッコミがない。そういうことでいいんだよね」
黄楓ヴァニラ:「さて私たちも中に入ろっか」
碧衣リン:「いいんだよね?」
白詰ミワ:「う……胃が……このメンバーで呑み会? 私が幹事役? 無理無理無理無理」
リズベット:「ミワ先輩大丈夫ですか?」
白詰ミワ:「……リズ姉ぇ。リズ姉だけが頼りだよ。リズ姉だけが癒しだよ。思えば三期生は暴走するし圧倒されるけど、まだ話が通じる相手だったんだね。アリスちゃんとか読み過ぎちゃうほど空気読むし、ちゃんと話せば凄く聞き分け良いし、真面目だし」
リズベット:「……大丈夫じゃなさそうですね。私も店員役で精一杯フォローしますのでお互い頑張りましょう! アリスちゃんの料理は美味しいですよ」
白詰ミワ:「頑張る。それだけを楽しみに今日を生き残るよ」
リズベット:「……死を意識してしまうほどに悲壮な覚悟が必要なのですか。私たちも中に入りましょう」
こうして『隠れ家居酒屋アリス』に五人の客と一人の店員が入店した。
それぞれの想いと覚悟とともに。
こうして長い長い夜が始まった。
―――――STOP―――――
桜色セツナ:「………………」
真宵アリス:「…………セツにゃん大丈夫? 机に突っ伏して」
桜色セツナ:「……あのアリスさん。まだ入店前ですよね。皆さんお酒入ってないんですよね」
真宵アリス:「うん。同じモノを見ていたからそうだと思うよ」
桜色セツナ:「呑み会って始まる前からこんなにネタてんこ盛りなんですか?」
真宵アリス:「極めて特殊事例だと信じたい」
桜色セツナ:「……ですね」
真宵アリス:「そういえば知ってる? 実はカレン先輩とキツネ先輩は学生時代に『紅狐』ってコンビ名で漫才していて学生チャンプだったんだって」
桜色セツナ:「え? えぇぇ!? あっ、でも納得です。息合ってますから。凄いですね二人とも」
真宵アリス:「最近ネットでそういうデマが流れている」
桜色セツナ:「デマなんですかっ!? 嘘ですよね? 学生チャンプにはなれなかったとか?」
真宵アリス:「ん……んー? ややこしいけど漫才コンビ組んでいたところから全てデマだよ。呑み会収録の時にちゃんと二人に確認したら否定していたから」
桜色セツナ:「……なぜかショックです。あの二人が漫才コンビを組んでなかったなんて」
真宵アリス:「否定されてリン先輩も同じようにショック受けてた。確認の場に同席していたから」
桜色セツナ:「同じ二期生のリン先輩も信じるほどの信憑性の高いデマ。でもなぜ急にその話を?」
真宵アリス:「公式チャンネルらしくネットに流れるメンバーのデマ話を否定しようと思って」
桜色セツナ:「なるほど」
:……冒頭からこれなのか
:悲報『紅カレンの新衣装がビアショルダー装備(私物)だった件』
:長い長い夜が始まったじゃないんだよwww
:こいつらまだ一滴も酒呑んでないんだぜ……信じられないだろ?
:そりゃあ収録時間四時間超えるわw
:……単純計算でカレンの奴三十キロほどの荷物持って移動しているんだけど
:特殊部隊の山岳行軍訓練かな?
:これがプロの呑んだくれ……ただのアル中とは格の違いを見せたな
:なにを思ってビアショルダーを手に入れたんだ
:ヴァニラ・リン二人の熟年夫婦っぷりはさすが
:あれ? 結局は婚姻届を出したんだっけ?
:真宵アリスに提出済み
:ミワちゃんには強く生きて欲しい
:頑張れリズ姉、頑張れ常識人
:配信の空気に合わせて家呑みしていたらすでに一缶空いたんだが配信はまだノンアルコールってマジ?
:配信に合わせて呑んでいたら紅カレンになるぞ
:未成年コンビが呆然としている
:へぇーあの二人って元は漫才コンビだったのか……ってデマかい!
:紅狐w
:本当にありそうなデマ
:紅狐の実在を七割の人が信じる説
:セツにゃん完全に信じてたな
:リンもデマを信じてたwww
:これ公式チャンネルだったな
:デマの否定は公式チャンネルのお仕事
:アリス真面目に仕事してるな
:大人たちが酷いから未成年コンビで落ち着く配信のバランス
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