第22話 ディスプレイの外の決意表明

 収益化記念生配信から一週間が経った。


 迫りくる通知のラッシュ。何度スマートフォンを投げ捨てただろう。身バレである。後悔はない。でもさすがに過去を語り過ぎた。

 小中高全ての同級生にVTuberを始めたことがバレたのだ。ほとんどが「見たよ」「お腹抱えて笑った」などの嬉しい報告。

 そのときは私も笑顔を浮かべて感謝の言葉を返すのだが。


「……私は貝になりたい」


「わかる。知り合いに自分の配信を見られて恥ずかしいのは、とてもよくわかるよ。私もイラストはいいよ。でも好きなアニメのマイナーキャラコスプレして『ガチじゃん』と言われたときは恥ずかしかった」


 ねこ姉が頭を撫でてくれた。

 三角座りしたまま、とりあえず頭をすり寄せる。

 ネット上に本名がばら撒かれたとかはない。不思議なほどネットは穏やかだ。未成年でネット冤罪被害者という経歴がセンシティブだからだろうか。

 ただ普段あまり鳴らないスマホが鳴き喚いた。しつこいくらい鳴いた。この子こんなに元気だったんだ。遠い目をしても現実は変わらない。

 一年の引きこもりの日々で忘れていた。人付き合い自体がかなり苦手なのだ。


「……気分は夜泣きに悩まされるママさん」


「それは違うからね。どういう思考の迷路の果てにその言葉にたどり着いたの? ねこ姉は皆目見当もつかないけど、本当に苦労している全国のママさんに謝った方がいいよ」


「とてもご苦労されている全国のママさん申し訳ありません。調子に乗ってしまいました。虹色ボイス事務所と戦うために負の感情を充電中とはいえ、あってはならない失言でした。撤回します」


「謝れてえらい。そして衝撃の暴露だよ。真宵アリスのやる気充電中の裏設定。まさか負の感情がエネルギー源だったの?」


「真宵アリスは負の感情エネルギーをポジティブ転換させて運用して動いております。これぞ究極のエコエネルギーシステム」


「なにその超技術。今すぐ全世界に公開すべきだよ」


「ただし制御不能の暴走型」


「……全世界が滅ぶから秘匿技術だね」


 くだらない話をしていると気分が落ち着いてきた。

 実のところVTuberバレして連絡がきた件は心の折り合いがついている。どうせ引きこもりだ。会うこともないから大丈夫。タカをくくって今朝から蕎麦打ちに挑戦していたぐらいだ。

 ついさっきまで平穏だった。

 虹色ボイス事務所から理不尽な命令が届くまでは。


『ネット冤罪も晴れて、収益化の取り消しは回避された。真宵アリスは名実ともに、虹色ボイス事務所の看板を背負ったVTuberになったわけよね。いい加減事務所に来てスタッフと顔合わせしなさい。三期生の仲間とも直接会いたいでしょ。オフコラボなんてどう?』


 私に外出しろと?

 引きこもりになにを言っているのだろう。ちょっとなに言っているかわからない。

 そのうえオフコラボとかありえない。この一年会って話したのはねこ姉とマネージャーの二人だけ。三期生仲間とは電話やチャットで話せているとはいえ、直接会えば黙り込む自信がある。

 オフコラボなどすれば配信事故だ。どうせコラボ相手のワンマンライブになるに決まっている。コラボできず迷惑をかけるぐらいなら、家に引きこもっているべきだ。


 このような理不尽な命令が許されていいわけがない。

 それに不退転の不外出の決意もある。本当にメイド服しか持っていないのだ。マネージャーも知っているだろうに。

 これは虹色ボイス事務所からのハラスメントだ。メイド服での外出を強要するメイドハラスメントに違いない。秋葉原などで公然と行われているメイハラである。

 断固拒否して戦わなくてはいけない。


「とりあえず蕎麦を茹でよう。腹が減っては戦はできぬ。今日の配信で事務所に叛逆する。負の感情だけでなく、栄養もちゃんと摂取しないと」


「本気で事務所に叛逆するつもりなんだ……。アイアイがまた頭抱えそう」


 アイアイはマネージャーの愛称だ。本名が相田愛。

 私も以前はあい姉と呼んでいた。今は配信で漏らさないためにマネージャーと呼ぶようにしている。

 ちなみにお歌でお馴染み南の島のおサルさんアイアイ。マダガスカル島では悪魔の化身として扱われている。今の私からするとピッタリの愛称だ。心の中だけマネージャーのことをアイアイと呼ぼう。

 打倒アイアイだ。


「今更だけどなぜ今朝から蕎麦打ち? 初めてだよね」


「収益化取り消しは回避されたので心機一転頑張ろうと。これから忙しくなるので今朝から気合い入れていたら、準備していた蕎麦打ち挑戦計画を思い出したの。忙しくなる前に打とうかと」


「自家製ラーメン、手作りスパイスカレー、無駄に高度のあるパフェ、握り寿司に続く、うたちゃん挑戦企画第五弾が蕎麦打ち。一体なにを目指しているのかたまに不安になるよ。村とか島とか入江とか開拓しないよね?」


 一体なにを目指しているのか。

 いつもなら困る質問だ。けれど今の私には迷いはない。

 虹色ボイス事務所から突き付けられ理不尽な命令。

 自分の目指すところ。アイデンティティ。恩人に逆らってでも守らなくてはいけない矜持。再認識するにはいい機会だったのかもしれない。

 私は右手を突き上げ断言する。


「プロの引きこもりだよ!」


「……うたちゃんの引きこもり像は一体。プロの引きこもりとはなんだろ」


 ねこ姉が頭を抱えてしまった。

 どうやら引きこもりにかける私の熱い想いは理解されないらしい。やはり一般人と引きこもりの間にある壁は厚い。


「そんなことより蕎麦だよ。天ぷらも揚げる。ねこ姉はあったかいのと冷たいのどっち? あと最近流行りのつけ麺風のラーメンスープベースもありだよ」


「すでにラーメン作りの経験が活かされているだと! でも天ぷらを揚げるなら天ざるでお願い」


「了解。ねこ姉は蕎麦にうずらの卵は許せる人?」


「西の蕎麦文化らしいね。挑戦してみようかな」


「なら蕎麦つゆは少し濃いめ甘めだね」


 台所に移動し、天ぷらの準備をする。

 粉打ちして手打ち蕎麦は乾燥しないようにラップに包まれている。手打ち蕎麦の茹で時間は短いので天ぷらが先だ。

 揚げるのはエビ、玉ねぎ多めの野菜かき揚げ、シイタケ、サツマイモなどオーソドックスものばかり。具材もカットし水気を切って事前に準備している。衣を作って、鍋に油を投入すればさほど時間はかからないだろう。


 ふと切られていないサツマイモが目に入った。

 発育が悪く避けたものだ。表面からお髭がぼうぼうに伸びて痩せている。

 普段は通販購入。けれど足りない食材などはねこ姉に買い出しに行ってもらっている。ねこ姉の審美眼はデザインが映えそう基準。たまに外れ野菜を買ってきてしまう。このお髭の生えたサツマイモもその一つだ。

 お髭の生えたサツマイモは筋が硬く、食べても口の中に残るので美味しくない。でも食材としてはともかく、見た目には味があった。なにか活かせないものか?


「そうだねこ姉。イモ判作ろ。イモ判子。今日の配信で使うから」


「イモ判子ってまた懐かしい」


 今日の配信の内容は決まっている。

 収益化取り消し回避の報告とこの一週間の連絡。そこにイモ判子を加える意味は特にない。ネット冤罪が晴らされてから初めての生配信。思い悩むこともないので、面白そうなことに挑戦する自由な配信をする予定だった。

 その予定だったが虹ボ事務所への叛逆でまた荒れそうである。


『引きこもりを止めて外に出なさい』


 私は果たして勝てるだろうか。あまりに常識的なこの正論に。

 まだ勝機を見出だせていない。

 けれど叛逆以外の選択肢は存在しない。理不尽な現実に対して、抗うことさえ諦めてしまえば心が死んでいくだけ。

 一年間の引きこもり生活で私はそう学んだ。

 

 ノー引きこもりノーライフ。

 引きこもらないと生きていけない。

 すみっこぐらしな小動物の生存域確保は切実だ。……本当に切実なのだ。

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