第23話 配信の準備と二期生のあれこれ
実写。
VTuberにとって鬼門である。
リスナー層は千差万別。中の人などいない勢の存在など、リアルネタはとても燃えやすい。配信で演者の生活臭がすると盛り上がるのに、存在はバーチャルでいてほしいのがリスナーだ。
ほとんどの場合は、手のワンカットが映る程度。顔など晒す気はない。それでも炎上しやすいので許していない事務所が多い。
我らが虹色ボイス事務所はそんな風潮に真っ向から歯向かっている。
顔出しすら事前に許可を取ればいいだけ。一期生の先輩方が現役時代に声優として、顔を晒していたことが大きい。
その流れは二期生にも引き継がれている。
碧衣リン先輩、黄楓ヴァニラ先輩、翠仙キツネ先輩、紅カレン先輩。この四人が虹色ボイス二期生となる。
碧衣リン先輩と黄楓ヴァニラ先輩はロリコーン事件で活動を休止中だが、近々復帰予定だ。この二人が今後リアルを晒すかはわからない。
けれど翠仙キツネ先輩と紅カレン先輩は巧みに実写映像を使いこなしていた。つぶやき便に生活臭が溢れている。顔は晒してないが、週一でリアルの一部を晒すのだ。
訓練されたリスナーはそれを心待ちにしている。
『今週の積みゲー山脈』
翠仙キツネ先輩はダウンロード全盛期のこの時代にパッケージ買いしかしない。
ゲーマーの宿命か。欲しいゲームが出たらとりあえず買う。でも購入してもやる時間がない。購入後すぐにやらなければ、買ったのにやらない病が発症してしまうのが人間だ。積みゲーの山脈はそうして拡大していく。
そんな事態を打開するために、毎週画像をアップして公開することで自分を奮い立たせているらしい。
クリアしたゲームは細かくパラメーターシートで採点。「この作品はこのタイプのゲーマーにオススメ」「RTAできそう」など信頼性の高い批評がつけられる。そして積みゲー山脈から名作拝殿に祀られるのだ。
けれどゲームソフトの販売時期は重なることが多い。新作が出る時期が来る度に、積みゲー山脈の標高は高くなっていく。リスナーはそれを見て「雄大だな」「キツネ寝れるか?」など翠仙キツネ先輩の健康を心配するのだ。
ゲーマーらしいリアル企画である。
だが翠仙キツネ先輩もリアルを晒すことに関して、紅カレン先輩には負けている。
本気で私生活を心配されて、健康診断の結果を配信する羽目になったほどである。
『今週の戦果』
まさかの一週間で呑んだ空の酒瓶の画像をアップする企画である。
こちらも銘柄で点数をつけて「辛口党にオススメ」「炙ったイカに合う」など批評しており信頼性も高い。だがそんなことよりもお酒の異常な消費量にリスナーはドン引きである。
ちなみに今年の健康診断結果は、まさかの異常なし。これには捏造を疑う声が殺到した。リスナーの『医者にいくらで投げ銭しやがった!』ハッシュタグがトレンド入り。ネットニュースで『人気VTuberが健康診断で不正?』と載るほどの騒動に発展したのだ。
火消しのために謝罪会見風の生配信を行った。
けれど無罪主張も空しく、今も疑惑の視線を向けられ続けている。
そんな虹色ボイス事務所なので、許可さえ取れば配信で実写を用いても怒られない。
現在せっせと配信準備中だ。
黒い下敷の白い和紙。銀色の文鎮を乗せて、硯や筆は準備済み。墨汁は黒と朱が用意されており、その横には先ほど完成したイモ判が二個置かれている。
久しぶりの書道だが、試し書きも終わった。あとは身体が映らないようにカメラをセットするだけで準備完了である。
ディスプレイを見ると、配信前の期待で今日も輝いていた。
待機所はいつも通りのリスナーのかけあいで大盛況だ。
:タイトルが勝利報告生配信
:無事配信再開でよかった
:削除された動画はなし
:卑猥な意味で使ってないから大丈夫とは思っていたよチンコロ
:念のためにチンコロは書くなw
すでにタイトルで告知済み。待機所は安堵の空気に包まれている。荒れている様子はない。
本来なら今日の配信でも荒らす予定はなかった。配信前に余計なことを言ったマネージャーが全て悪い。
:そういえば画面変わったな
:どこが?
:左下にカウンターが二つできてる
:虹ボで首輪付き二人目は真宵アリスか
リスナーは今回から導入された首輪システムにもう気づいたようだ。
画面右側はコメント欄。画面左下に二つのカウンターが表示されている。
赤ベルマークが事務所からの直電で、黄色のバツマークが警告カウンターだ。収益化配信でマネージャーからの電話に気づかなかったのがダメだったらしい。
まさかこの機能が本日から利用されることになるとは、マネージャーも思っていないだろう。
:一人目は二期生碧衣リンだっけ?
:残念という概念の擬人化と称えられるクール系美少女に見せかけたなにか
:現在ソーシャルなアイドルリズムゲーで演歌を歌うラスボスとして全国ライブ中
:なにそれ?
:アイエモのラスボス雨女ゲリラって知ってるか?
:……あの攻略不可能の声優か
:今は事務所からの配信謹慎処分だったっけ?
:ロリコーン事件の責任を感じていたらしいからな
:配信中になに言うかわからないから休止
:頭冷やせと声優の仕事を回されてなぜか演歌歌い始めたんだよな
本当になぜ演歌にたどり着いたのだろうか?
大人気ソーシャルアイドルゲームの『アイドルエモーション』でパンクロック地下アイドル雨女ゲリラとして声優デビュー。
歌唱力の高さで注目が集まり、個別シナリオまで用意される。
そしてゲームのラスボスとして君臨することに。
配信された個別シナリオの難易度がぶっ飛んていたのだ。
雨女ゲリラは地下アイドル。屋外で歌うとゲリラ豪雨が起こる不思議キャラだった。
シナリオでは演歌歌手としてデビューしていた過去が明らかになる。けれど辻立ちの度にゲリラ豪雨が発生。災害を呼ぶとクレームが殺到し、演歌界から追放されたのだ。
冒頭からシリアスかコメディかわからない。
演歌への情熱を捨てきれない雨女ゲリラは再び演歌に挑むことになるのだが。
問題となるのはシナリオのラスト。
雨女ゲリラの屋外演歌ライブシーン。プレイヤーは難易度強制ナイトメアなリズムゲーに挑戦させられる。
ゲリラ豪雨の雑音。押すと減点の色違いトラップバー。ランダム落雷による音飛び。覚えゲーとしての根幹が粉砕される鬼畜仕様だ。
こんなありえない妨害環境の中で高得点取らなければ、シナリオ失敗となる。
成功すれば『陽の当たる場所で歌わせてくれてありがとう』と号泣モノの感動のエンディングが存在する。……存在するらしいのだが、多くのユーザーが挫折したため、幻のエンディングと呼ばれている。
ちなみにその台詞の間もゲリラ豪雨が降り続いているので、陽は当たっていない。
そんな色々な意味で理不尽なシナリオからラスボスと呼ばれるようになった。
製作期間を考えればあり得ない。でも最後のライブシーンはロリコーン事件時の碧衣リン先輩の心境をそのまま再現したのでは。
ファンの間ではそんな伝説にまでなっている。
碧衣リン先輩が配信活動休止になった理由もロリコーン事件にある。
仲のいい黄楓ヴァニラ先輩とオフコラボ。その際にツーショット写真をネットにアップした。もちろん虹ボ事務所との許可を取っている。責任はない。でも自分が原因でロリコーン事件は起こってしまった。
黄楓ヴァニラ先輩が長身の美人で声とギャップがあるというくだらない理由で。
当時の碧衣リン先輩の錯乱具合は酷かったらしい。このままでは配信でなにを言うかわからない。事務所の判断で配信禁止処分が下された。
そこからソシャゲの仕事で悲哀に満ちた演歌歌手になるのだから凄まじい。
ノリノリでパンクロックを歌っていたキャラのはずだったのに。
:碧衣リンも全国ライブツアーを終えたら復帰だろ
:そりゃあ保護者の黄楓ヴァニラが復帰宣言したからな
:『今は本当に体調崩していてまだ療養中です。でも近いうちに必ず復帰します。頑張っている妹分には負けられないので』
:よかった……マジでよかった
:二期生の常識と良心とツッコミを一人で担うヴァニラがいないとヤバいからな
:それは一人で担うものなのか?
黄楓ヴァニラ先輩はふわふわ甘々なパティシエロリっ子だ。背中にデフォルメ天使の翼が生えている二期生の天使枠。二期生唯一の常識人だ。それだけに復帰を望む声も多かった。
恐れ多いことに復帰宣言のきっかけが私の収益化記念配信だったらしい。黄楓ヴァニラ先輩ご本人がそう発信している。光栄に思うよりも気後れしてしまう。
:アリスの収益化記念配信から怒涛の一週間だったよな
:他の三期生の収益化記念配信も気合入りまくりだったし
:一気に虹ボが活性化した感じ
:デビューしたての新人とは思えないぐらいアリスの影響力大きいよな
リスナーから評価の高さがつらい。
この空気で虹ボ事務所に叛逆するとか正気だろうか。決めたのは誰だろう?
私だった……。自分が正気かどうかの判断はとても難しい。答えの出ない難題だ。こういうときは自分を信じるしかない。
拳をグッと握りしめる。
「人には譲れないものがある。大事なものを守るための戦いからは、絶対に逃げてはいけない。戦うべきは今このとき!」
「……それが絶対に今でないことは、ねこ姉でもわかるよ」
気合を入れていると後ろにねこ姉が立っていた。
「ねこ姉いたの?」
「いました。さすがに実写で事故ると大変だから手伝おうと思って。大丈夫?」
「たぶん大丈夫。事前に試し書き動画も一緒にチェックしたでしょ」
自信満々に宣言する。
けれど不安がぬぐい切れないのかねこ姉はじぃーーーと私の顔を見た。口でも言い始めた。
「じぃーーー」
「……なにかなねこ姉?」
「うたちゃんが悪い方に振り切ってもいない。それなのに今朝から無理やり暴走しようとしている気がする。迷ってる? 頑張って勢いづけないといけないくらい」
さすがねこ姉。図星だった。
私は迷っている。
収益化記念配信まではネット冤罪を晴らすという明確な目的があった。配信が楽しいから続けたいという衝動が生まれた。目的は果たされて衝動だけが残った状態だ。
私はなにを目指して配信をするのだろう?
大前提はリスナーを楽しませること。期待を裏切らないこと。自分も楽しむこと。それはわかっている。でも具体的にどのような配信をしていくのか迷っている。
たぶん配信者として本当のスタートラインに立ったのだ。
「今日は唐突な暴言も飛んでこない。うたちゃんの覚悟が振り切っていない。引きこもり暴走キャラを踏襲するために、事務所に叛逆とかしなくていいんだよ?」
「え? そこには一切の迷いはなくて戦意しかないけど」
「……お願いだから、そこで迷っていてほしかった」
やはり一緒に暮らしているねこ姉でも分かり合えないことはあるらしい。
けれど迷いがあることは見抜かれたのは確かだ。覚悟が振り切っていない。
調子はいい。
配信方針に迷いはあっても失敗するとは思っていない。たぶん短期的な話ではない。長期的な目標がないことで迷いが生まれているのだ。
それを指摘されるなんて情けない。
見えない未来ばかりを見ようとして、直近のことに集中できていない証拠だ。
配信を楽しみにしてくれるリスナーにとても失礼だ。今は配信に集中しなければ。
「さすがねこ姉。核心を突いてくる。ねこ姉がちゃんとしたお姉さんだと、改めて認識させられた」
「ふふん。ん……ちょっと待って? ちゃんとしたお姉さんだと改めて認識って。これまでどう認識してたのかな?」
「普段感じさせないけどやっぱり大人なんだね」
「明確に言った! 今言ったよね! 私は別に暴言吐かれたいわけじゃないからね!」
大事なのは今だ。
元々刹那的に生きてきた。未来のことばかりに気を取られるのはらしくない。
「ねこ姉。大事なことに気付かせてくれてありがとう。確かに迷いはある。でもやるべきことを疎かにしていいわけじゃない」
「聞いていないだと!? このタイミングで暴走モードに突入しないで。私は事務所への叛逆はやめにしようって説得に来たんだよ」
「それはムリ!」
ねこ姉の荒唐無稽なお願いは拒絶する。
頭の中で今日の配信予定を思い返す。
問題はない。問題はないが今朝決まった事務所への叛逆への流れが詰められていない。でも配信内容を組み立て直す時間はない。
虹ボ事務所への叛逆に関しては、最初からダメな気しかしない。迫りくる現実を倒せるほど私は強くはない。だが大切なのは意思表示だ。
「The Show Must Go On。ショーマストゴーオンだよ。ねこ姉」
「もしかして私がダメな方にスイッチ押しちゃった? ……アイアイになんて謝ろうかな」
すでに配信の時刻が迫っている。リスナーと向き合う楽しい時間だ。とにかく笑えればいい。目の前の今を精一杯生きる。
決意新たに気合を入れていると、ねこ姉は肩を落として部屋から出て行った。
「やる気充電完了」
書道をするためにメイド服の長袖を少しまくってズレないように止める。
背中を伸ばし、喉を調節し、卓上の鏡で笑顔を確認する。
(実写バレするつもりはない。けど万が一はある。次からはなにか対策取らないと……覆面?)
思考がいい感じに脇道を疾走した気がする。
さすがに覆面はない。すでに真宵アリスというバーチャルな仮面を被っている。
「キャラクター真宵アリスをインストール」
最近はすでにプリインストールされている気がしないでもない。
けれど惰性にしないためのルーティーンだ。
声に出して身を引き締める。
「お仕事モード起動」
さあショーの幕は上げよう。
余計なことは考えずに今を楽しむために。
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