夜空-数学は難しい-

 僕は高校入学時に、あまり怒らない性格だということを自覚した。

入学した年の夏頃に仲良くなった友達と、帰りに寄り道をしていた時だった。どんな話題でふざけていたか忘れたのだが、友達が僕を少し強めに突き飛ばしたのだった。気を抜いていた僕は、そのまま足を滑らせ川に落ちてしまった。友達は慌てて僕を川から引き上げ、すごく謝っていた。ただ僕は、なぜ謝られているのか分からなかったのだ。今の流れだと僕を押した方が面白かったのだしそれでいいのでは?などと考えていたような気がする。そんな訳で、謝ることないよ、もう少し力が弱かったら安全だったけどね、なんて言ってその場は治った。その時友人に言われたのだ。君は本当に怒らないんだなと。

 そんな僕だが、高校時代に一度だけ激怒した記憶がある。僕は当時水泳部に入っていたのだが、部活のメンバーに対して激怒していたのだ。しかも地方大会出場時に宿泊していたホテルで。折角県を乗り越えて地方まで来れたのにそこで激怒するのかと思うかもしれないが、僕だってそう思っている。なぜあの時怒ったのだろうかと。

僕が怒ったのは、部内でも(というか学年で見ても)問題視されている同級生だった。とりあえずX君としようか。彼はあまりにも協調性がなく、非常に自分勝手な振る舞いをする生徒だった。それでいて精神的に脆いところがあり、塞ぎ込んでしまうことも偶にある、そんな男の子だった。こうして書き起こすと、随分付き合いが難しく思うが、僕は案外上手くやっていた。一応彼が傷つきそうな話題を避けるなどの気は使っていたが。

 そんな気難しい彼も思春期の男の子だ。恋の一つもする。当時僕たちは3年生だったのだが、彼は一年生の女の子に恋をしていた。幼少期に通っていたスイミングスクールからの友人で、所謂幼馴染というやつだ。彼自身好きだと明言したことはなかったが、誰の目から見ても彼がその後輩を想っているのは明らかだった。

この後輩をYちゃんとしよう。実はYちゃんは、同じ水泳部の1年生であるZ君の事が好きだったのだ。なんだか数学のようになってきてしまったがこのまま続けていこう。このZ君、なんとX君と泳ぎ方、他のスポーツでいうとポジションになるのだろうか。それが被っているのだ。しかもX君より上手で、顔も性格もいいと来ている。まぁ、X君が性格で勝てる相手など数えるほどもいないと思うが。ともかく、漫画のようなライバルが現れたのだ。

 こんな答えのわかりきった恋の方程式。X君もすでに内心わかっていたのだろうが、彼は諦めずYちゃんへのアタックを続けていた。そんな彼は、地方大会出場に伴う遠征での3泊4日の旅で想いを伝えようとしていたのだ。あろうことか初日に。僕は偶然この話を聞いてしまっただけなのだが、なんで初日やねんと一頻り心の中でツッコミを入れていた。

そして初日の夜。僕とX君は、夜空の下で手を繋ぎながらお互いを励まし合うYちゃんとZ君を見てしまったのだ。僕は恐る恐るX君の方を見ると、彼は能面のような顔になっていた。僕は初めて見る人間の表情にビビってしまい、そそくさとその場を後にしてしまった。

 この時僕は、X君をフォローしておくべきだったのかも知れない。翌日以降、荒んだX君はなんと後輩に八つ当たりをするようになっていたのだった。初めこそ、今日荒れとんなぐらいにしか思っていなかったが、明らかに態度がおかしかった。そして2日目の午後、2年生の部員から相談があったのだ。X先輩に蹴られたと。

当時僕は実力ではなく、部内のバランサーとしての役目を買われて副部長を務めていた。なので、大会に行っているのも部員間の調整役として同行していたのだった。僕はみんなと喋れるこのポジションが結構好きだったので、嬉々としてついて行っていただったが、ついに仕事が回ってきたのだ。

話を戻しましょう。まずはなぜ蹴られたのかを後輩たちから聞くと、カバンが乱雑に置かれているといった理由だった。この時僕は、少しカチンと来ていた。そんな理由で蹴る必要がどこにあるのかと。ただ、後輩たちが蹴られた腹いせに必要以上に大袈裟に言っている可能性もあると思った僕は、X君にも事情を聞きに言った。あまり問い詰めるようにならないように、こんな話ちょっと耳に挟んだんやけど、蹴ったの?ぐらいのニュアンスで質問をした。するとX君は自信満々に、そうや、蹴ってやった。と答えたのだった。詳しく話を聞くと後輩たちとの証言にほぼ相違はなく、片付けろと言いながら蹴ったのだという。片付けなくて蹴ったのなら百歩譲って多めに見るが、行動に移す前に蹴るのはどうなのかと。

この時僕は、少し強めの口調で注意したような記憶がある。ただ大会の真っ只中なので、あまり競技に影響が出ないようになんて気を使っていた気もする。

しかしX君の横暴は留まるところを知らず、2日目の夜、ホテルに帰ってからも後輩たちにあたりちらし、3日目の朝も機嫌が悪かった。3日目に会場に着いた際に部長から怒られていたが、逆ギレをしていた始末だった。僕は、折角の記念すべき大きな大会で、嫌な思いをする後輩たちが可哀想で、また余計な気を使う部長にも申し訳なくて、なんとも言えない気持ちになっていた。当然彼は、僕の注意など聞きもしていなかった。

 そして3日目の夜。みんなで夕食を食べていた時。すでにこれまでの横暴もあって、テーブルの空気は最悪だった。事前に僕と部長で相談し、面白い話を仕込んでいったのだが、それすらX君に遮られていたのだった。そんな空気の中、X君は食事中にそれなりのボリュームで、ご飯がまずいと言ったのだ。その時。なぜか僕は激怒してしまった。席を立ちX君に掴みかかり、お前人が折角作ってくれた物にまずいとか言うなやボケ!と、今までの人生で出したことのない剣幕で詰め寄っていたのだ。なぜ今怒ったのか。もっと他にタイミングはあっただろうに。いつか僕が爆発すると思っていた後輩たちは、まさかのご飯への悪口が引き金だったことが面白かったらしく、笑いを堪えていたそうだ。結果的に彼らの気持ちが軽くなったから良かったものの、最後の晩餐は最悪の空気だった。

 僕の激怒以降X君はすっかり大人しくなり、最終日は何事もなく終わった。

僕が人に怒りを示したのは人生でも数えるほどしかなく、この件は非常に印象に残っている。

今でも、あの夜X君をフォローする気遣いができていれば、もう少し楽しい大会だったのかな、なんて思ったりもする。

XYZの方程式は1人でに解けたが、僕はXの解だけは見つけられないままだった。


公伏涼亮

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鏡の心-公伏涼亮と不可思議な人々- @bareteruhimitsu

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