愛情-命を賭けた鬼ごっこ-

 自分の心、感情に向き合う上でまず触れなければいけないことがあります。それは愛情です。僕は非常に愛情深い人間であるということは声を大にして言いたい。決して好感度を稼ごうとかそういうことではなく。いや、本当に。

あまりいうと嘘っぽく聞こえるので本題に移ります。僕は、というかうちの家族は犬を飼っています。この犬が本当に可愛くて、我が子のように溺愛しているのです。人のエゴで飼っている犬なんだから、せめて幸せになって欲しいの一心で育てていたのです。現在僕は就職し実家を離れているのですが、定期的に会いに帰っているのです。

 これは、僕がまだ実家に住んでいた頃。狂犬病の予防接種を毎年受けているのですが、うちは町の集会所で一斉に行われます。地元が田舎だからこういうスタイルなのか定かではありませんが、僕はこういうもんだと思っていたのでいつものように散歩がてら、大通りの向こう側の集会所に連れて行きました。ところでうちの犬は非常に臆病です。他の犬も家族以外の人間も怖がってしまいます。集会所に着くと、何匹かの知らない犬と、何人かの知らない人間に囲まれてしまいました。僕はあまり人見知りしないタイプですので平気なのですが、ウチの子はビビりまくりで僕の足の間で丸くなっていました。そんな姿も可愛いのですが、可哀想なので早く終わらせようなどと考えていました。

 5分ほど待つと、接種を行うおそらく獣医さんと市役所の方々が来ました。接種の順番を待つ間愛犬を抱っこしていたのですが、車から大勢の人間が降りてきたことにさらにビビったようで、少し震えていました。さぁ、順番が回ってきた時。注射の針か、獣医の顔か、何がきっかけかは分かりませんが、愛犬のストレスが限界に来てしまいました。接種台の上で大暴れです。僕がなんとかしようと体を押さえた時、ハーネスがすっぽ抜けてしまったのです。どんだけ暴れれば脱げるんだって話ですが、事実脱げたのです。僕の押さえ方が悪かったのもあるのでしょうが。

 ハーネスとリードという枷から解き放たれた愛犬は全力疾走を始めました。全身の強制ギプスを外したかのようなスピードで、僕は必死に追いかけましたが、追いつけません。この時僕は走っていくルートに恐怖を覚えました。集会所に向かう中渡った大通りに向かっているのです。大通りは交通量も非常に多く信号もありません。うちの犬が一旦停止、左右みて渡るなど出来るはずもないので、真っ直ぐ道を渡ります。僕はこんなところで愛犬が死ぬのがどうしても耐えられず、迷わず大通りに飛び出しました。追いつけていないので飛び出したところで守れるはずもないのですが、体が勝手に動いていました。幸い、奇跡的に車が一台も走っていなかったので2人とも無事でした。アドレナリンに任せて走り抜けた僕は、家の前で愛犬と再会しました。玄関の前でちょこんと座って、ちゃんと帰れたでしょう、偉い?というような顔で座っています。僕は疲労のあまり、しゃがみこんで動けなくなりました。

 僕はあまり物事に必死になるタイプではないのですが、この時は自分でも必死だったなと感じています。おそらく愛犬のことだからこそ、ここまで体が動いたのではと。

愛する相手が失われるのが怖かったというエゴイズムなのか、愛する相手のことを思ってのアルトゥルイズムなのかは分かりませんが、愛情を自分1人で実感できるというのは大きな発見なのではないでしょうか。


少なくとも、他者を愛せないというような冷血漢ではないようなので安心しました。


公伏涼亮

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