動機-深淵を覗け-

 さて、念願の一人旅。そのメインである2日目。観光したかった場所を巡り、1人で伸び伸び一日過ごし、その感想は「無」でした。もちろん神社は美しく、自然豊かでした。温泉は心地よく、良いリフレッシュとなりました。しかしそれらは、仕事帰りの夕日や毎日のお風呂と変わらないように感じられました。確かに無は言い過ぎでしたが、自分が思っていたような感動は何も得られなかったのです。

 一夜明け、最終日。とんでもない雨に見舞われ、新幹線の時間を早めお土産を買っていました。誰にどんな土産を買おうかな、などと考えながら買い物をしていたのですが、心の奥では昨日のことが引っかかっていたのです。ハードルを上げすぎていたのだろうか、実は言うほど行きたい場所でもなかったのか。そんなことを考えながら新幹線に乗り込みました。

 新幹線でぼーっと風景を眺めながら、もしかして1人で行ったから楽しくなかったのかな?と思いました。だとしたらとっても単純です。シンプルイズベスト。りんごの絵を描くのに赤を使うようなものです。しかし思い返しても、誰かいれば良かったなぁと思った瞬間はなかったのです。覚えている限りでは。というか引っかかっているのは、自他ともに認める感動屋の僕がほとんど全く心が動かなかったのが不思議なのです。

 普段は来週の週刊少年ジャンプのことぐらいしか考えていない僕ですが、珍しく自分の心を見つめていました。まるで深い水槽を覗くかのような、どこまでも続く大穴に石を投げ込んだかのような、なんとも言えない気味悪さがありました。自分の心のことなんも知らねぇじゃんと思っていました。

 無事怪我もなく家につき、予定より早めに帰れたということで、家の近い友人にお土産を渡しに行きました。当然旅行どうだった?という話になります。実は全然心が動かなくて…とは言えず、すごく楽しかったよ!と話をしました。本当はちょっと楽しかったぐらいですが。

しかし話を聞いた友人は、楽しめたみたいでよかった!なんか話聞いてたら俺も行きたくなったわ、などと言ってくれたのです。適当に話を合わせてくれたのかな、とも思ったのですが、それにしては楽しそうに言っていました。その様子を見ていると、なんだか僕も自分の旅が楽しかったことのように感じてきました。

 ここで思ったのです。もしかして僕は、誰かの感じている心を同じように感じて感動しているのでは?と。映画や漫画はもちろん登場人物に、現実では友人たちの心を自分の心に移して感動したり怒ったりしているのではと。僕は昔からよく笑う子だったらしいのですが、怒らないし泣かない子供だったそうです。もしかして、楽しい以外の感情がなくて、それらを他人や作品から補ってる?などと考えましたが、そんなはずはねぇよと僕は言いたい。そんな漫画みたいな人間がいるか。いや、中にはいるのでしょうが、まさか自分がそんなはずはないと。


 僕は自分の過去の出来事を思い出し、その時の心を分析することで、この説を否定しようと考えました。そして、エッセイを書こうと思ったのです。

もともと文章を書くのが好きで、書いてみたかったこと。そして、数多くの愉快で不可思議な日々を忘れないために。これらの理由も背中を押しました。

僕はこうしてエッセイを書こうと思ったのです。


 いつまで書き続けるのか、自分の心の裡は見えるのか、果たしてこの文章は誰かの目に触れるのか…

何も分かりませんが、行けるところまで行こうと思います。


公伏涼亮

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