第6話
「駅からどうするんだ?結構遠いだろ」
地下鉄のホームに向かいながら、ワタナベが聞いてきた。
鮮昧を出た後、須藤はあかりと、隼也はアベと連れだって去っていった。
仕方なく、地下鉄で帰るというワタナベと一緒に駅まで歩いてきた愛凪だが、何を話していいかわからず、気づまりなこと、この上ない。
金曜日の夜。9時過ぎといえども、構内は結構人が多かった。ここまで来る道中、若い男性が思わせぶりなそぶりで愛凪に近づいてきたが、ワタナベに一瞥されるとあっという間に方向転換して去っていった。だが、愛凪はワタナベと話す話題を考えるのにいっぱいいっぱいで、そんなことにも気づいていない。
「いつもはチャリなんですけど、今日はタクシー使えって言われてきました」
ワタナベが自分の住所を知っているようなのが気になったが、愛凪は出来るだけ愛想よく答えた。
「ああ、その方がいいな」
また、会話が途切れそうになる。
「あ…の、ワタナベさんはおうち、どこなんですか?」
プライベートのことを聞かれるのは嫌がられるかとおもったが、
「大井町だ。JRの方が近いんだが、乗り換えが必要になるからな」
ぶっきらぼうな口調ながら、あっさりと教えてくれた。
大井町なら、愛凪の家とは反対方向だ。地下鉄まで一緒に乗らなくていいと分かって、正直ホッとした。
ありがたいことに、ワタナベの乗る地下鉄の方が先に来た。
「気をつけて帰れよ」
「はい、今日はありがとうございました」
愛凪の方を振り返ることもなく、ワタナベの背後で扉が閉まる。
ワタナベの乗った車両が暗闇に消えていくのと同時に、反対方向の車両が入ってきた。
だが、愛凪は地下鉄に乗る気はなかった。
もし、愛凪の乗る方が先に来ても、一駅先から引き返すつもりだった。
空いたベンチに腰を下ろし、パスケースから少しよれた、水色の付箋紙を取り出す。
昨日から何度も見て、書いてある名前は頭に入っていたけれども。
『水沢凪』
それは確かに一番上に書かれた名前だった。
その下には『本郷』と書かれ、2つの名前は丸で括られている。丸の傍には『T大』の文字。
「凪ちゃん」、「水沢ちゃん」
あの居酒屋のアルバイトの女性の名前を聞いた時、ハッとした。
水沢凪、昨日から何度も見ていた名前。
先輩の桜木隼也の彼女は確か20歳だと言っていた。なら、その友達だという水沢凪も同じ歳の可能性が高い。
そして、海人も同じ歳。
メモを見た母は、多分同級生ではないかと言った。
本人に確かめるのが一番早いが、あの場所では職場の人たちにも兄のことを聞かれてしまう。
T大学に通っていると聞いて、ますます可能性がある、とは思ったが、とりあえずは周りに悟られないように振る舞った。
時計を見ると、まだ9時10分。
水沢凪のバイトが終わるのが10時。
隼也が何気なくバイトの終わる時間を凪に聞いていたのを、小耳に挟んでいてよかった。
少し時間はあるが、繁華街を1人でウロウロするのは勇気がいる。
高校の同級生が夜の店でバイトしていたり、中学生時代も、深夜に遊び歩く友達はいたけれど、愛凪はそういうことには無縁だった。
そんなこと許される家ではなかったし、愛凪自身も、そういう悪目立ちしそうな行動は避けていた。
はっきりと思っていたわけではないけれど、海人のことが頭のどこかにあったのは間違いない。自分が何かしでかしたら、「あの、ウィンガーの子の妹が…」と言われることは目に見えていたから。
結局、そのまま地下鉄ホームのベンチでスマホを見ながら時間を潰すことにした。
次第に風が強くなってきて、愛凪は自然にポケットの中の手を握り締めていた。
さっき、時間を確認した時は10時15分。それからもう5分はたっただろうか。
鮮昧の入っているビルの横手の細い通りに入ると、そこに従業員の通用口らしきドアがあった。
通りは10メートルほど先で行き止まりになっており、人通りはほとんどない。
ドアのすぐ隣に非常階段があったので、そこで立っていればあまり目立たずにいられるかと思ったが、たまに上の階のテナントの店員らしき人たちが行き来する。結局、店の前の通りとこの横道を行ったり来たりしながら、挙動不審に思われないかとドキドキしながら時間を過ごしていた。
そうやって、もう30分ほどウロウロしている。もしかして、もう帰ってしまったなんてこと…
愛凪が不安を感じ始めたその時、非常階段脇のドアが開いた。
スマホを見ながら、小柄な女性が出てくる。間違いなく、水沢凪だ。
愛凪は今まで心の中で繰り返していた言葉を思い出しながら、踏み出した。
「あのっ」
思ったよりも大きな声が出てしまい、愛凪もしまったと思ったが、相手のこともビクン!飛び上がらせてしまった。
「へっ?!」
見開いた大きな目が、愛凪を捕らえる。
「あっ、あのっ、すいません、驚かせてしまって」
そばに立つと、愛凪よりも10センチ近く背が低いのが分かった。一応、愛凪がヒールのあるパンプスを履いてるのに対し、凪がスニーカーのせいもあるだろうが。
上目遣いに、戸惑いの表情で愛凪を見る顔は、年上とは思えない、あどけなさを含んでいた。
「ちょっと、水沢さんに聞きたいことがあって…」
「桜木さんの会社の人…」
上擦った声で話し始めた愛凪に、凪が呟く。言われて、名乗りもせずに話しかけるのは、やっぱりまずかったかと思ったが、相手は気を悪くした様子はなかった。
「あ、はい、さっきご馳走になって…あの、お世話になりました!」
自分でも次にどう言ったらいいのか分からなくなってくる。とにかく、聞きたいことは…
凪は小首を傾げ、愛凪の言葉を待っている。
「ホントに、突然ですみません。あの、高野海人って、知ってますか?八川小で一緒だった…」
自然に早口になっているのも、両手を胸の前でギュッと組み合わせていることも、愛凪は気付いていなかった。
強くなってきた冷たい風が、首筋を撫でていくのも気にならない。
相手の反応だけを、必死に伺っていた。
凪は一瞬、ポカンとした表情を浮かべた後、先ほどにも増した戸惑い顔になった。大きな目が、困ったように、ゆっくり瞬きする。
「タカノーカイト…って、海に人って書く…?」
「そうです!そうです!」
興奮気味に何度も頷く愛凪とは対照的に、凪は申し訳なさそうに、視線を落とした。
「あの、えーと…確かに、小学校は一緒だったと思うけど…あたし、中学校入るときに引っ越してるから…卒業してから会ってもいないんですけど…?」
「え…そう…なんですか」
膨らんでいた期待が萎んでいく。
「あの、連絡きたりとか、そういうことも…?」
それでもせっかくの手がかりを失いたくなくて、愛凪は食い下がった。
だが、相手はあっさりと首を振る。
「そう…ですか…」
続ける言葉もなくて、愛凪は肩を落とした。
「高野くん、どうかしたんですか?」
愛凪の顔を伺うように覗き込みながら凪が聞いてくる。
どっちにしろ、聞かれると思っていた質問だ。どう答えるかは、考えていた。
「あの…ちょっと連絡取れなくて。心当たりのある人を探してて」
凪は首を傾げた。当然だ。いきなり知らない女の子が、小学校卒業以来、会ってもいない同級生のことを聞いてくるなんて、訳がわからないだろう。
必要ならば、部屋に残されてたメモの話はするつもりだった。
だが、凪は質問をしてくるわけではなく、
「大丈夫?」
じっと、愛凪を見つめた。
「ずっと、そのために待ってたの?」
その声に、本当に心配そうな響きを感じて、心が緩みそうになる。
「あ、でもずっとじゃないです。30分くらい…」
地下鉄を何台も見送りながら、ずっとベンチに座っているのも怪しまれるのでは、と考え始めると地下鉄のホームにもいづらくなって、結局9時半過ぎに駅を出た。
それで、風も強くなってくる中、鮮昧の周りをウロウロしながら時間を潰していたのだ。
「30分…寒かったでしょ」
凪の大きな瞳は優しかった。
なんだか、思い切り泣きたい気分になる。
「あなたは…高野くんとどういう関係?」
「妹です」
素直に答えてしまってから、愛凪はギクリとした。急に風の冷たさが、体の芯まで染み込んでくる。
(なに、言ってんだろ、私!身内だなんて言うつもりなかったのに!)
冷や汗が出て、声は出なくなった。
凪にそれを言ったら、彼女の知り合いの隼也にも愛凪の家族のことを知られてしまう。それを避けたかったから、高野海人の「友人」か、それでも疑われそうだったら「彼女です」と言うつもりだった。
なぜ、聞かれるままに正直に答えてしまったのか。自分のボンヤリを呪いたい気分だ。
愛凪のうろたえた様子を見てとったのか、心配そうに、凪が口を開く。
「大丈夫?なんか…余計なこと聞いた…?」
うまくごまかせなかったのは、相手のせいではない。
「いえ、ちょっと…いろいろあって…」
「高野くんが、ウィンガーだから?」
口籠る愛凪に、遠慮がちに、だがはっきりと凪が聞く。
愛凪は、真っ直ぐに凪を見返した。
ウィンガーだと判明した高校一年生の時、周りの友人や親戚に、海人は自分でカミングアウトした。どこからか、凪も話を聞いていたとしても不思議ではない。
ふと、海人がウィンガーであること、がいろいろな言い訳になりそうだと、愛凪は思った。
「ええ、まあ…そうです」
凪は自分のスマホの画面を確認してから、
「よかったら…どこかで少し話しませんか?あの、時間、あればだけど」
思わぬ申し出に、愛凪は一瞬戸惑った。だが、メモの話はしてみてもいいのではないかと考えた。
もしかしたら、他の同級生にも繋がるかもしれない。
「時間は、大丈夫です」
愛凪は大きく頷いた。
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