第5話
『海鮮居酒屋 鮮眛』は落ち着いた雰囲気のこじんまりとした店だった。
4階建ての古い雑居ビルの1階で、ビルの敷地自体も大して広くない。30席ほどある席は大半うまっているが、客の年齢層は高めだ。
コースが飲み放題付きで4500円からという比較的高めの値段設定からしても、学生や若者をターゲットにした店でないことは伺える。今いる客層も会社員らしい人たちがほとんどだった。
一度、下見に来ていた桜木隼也の予想通り、一行は半個室になった小上がりの方へ通された。
6人分の箸とグラスがすでに並べられている。
先週、隼也が彼女の小坂未生と来た時はテーブル席の方で、もう少し空いていた。
いつものように、唐突に須藤から幹事を頼まれた隼也は断るつもりだった。しかし、
「うん、だからさ、こういう機会に調べれば街中のことにも詳しくなるじゃない。彼女に聞いてみてもいいんだし」
須藤は他の誰かに振る気はないらしかった。
「あんまりいい店じゃ無くても、文句言わないでくださいよ」
仕方なく、最後にそんな捨て台詞はして引き受けたのだ。
未生に相談すると、あちこち店を提案してくれた末に、一緒に住んでいるルームメイトも週末は居酒屋でバイトしてる、と言い出した。
「へぇ、そこの店はどうなの?」
未生はキョトンと首を傾げた。
「行ったことないからわかんない」
「え、ルームメイトのバイト先なのに、行ったことないの?」
隼也にそう言われても、未生は当然といった調子で、
「だって、お客さん、おじさんばっかりの地味なお店だって言うし。行って、気を使わせるのも悪いし」
気を使わせる、うんぬんについては、あまり気にしていない口調に聞こえた。
実際、試しに2人で行ってみようと誘うと、すぐそのルームメイトに連絡してくれたし、その子の方も店に未生が来ることを嫌がりはしなかったという。
行ってみれば、落ち着いていて雰囲気もいいし、何より、料理がうまかった。その場で次の週の歓迎会の予約を入れてもらい、隼也は幹事としての仕事をコンプリートした気分になっていた。
「アイちゃん、主役なんだから真ん中に」
あかりに促がされて、須藤とワタナベの間に座った歓迎会の主役は、落ち着かない様子だった。この部署のトップといつも仏頂面のワタナベに挟まれては仕方ない。
隼也は気乗りしなかったが、"アイちゃん"の向かいに座ることになった。
あかりはさっさと須藤の向かい側に座ってしまったし、アベも何故かワタナベの向かい側に腰をおろしている。
なんだかんだ言って、ワタナベはアベを気に入っているのか、仕事の時もよくパートナーに指名するし、アベも文句を言いながらもワタナベを頼りにしているようだ。
こんな人目のある場所で仕事の話もできるわけもなく、飲み物がくるまで何を話したらいいのかと考えていたが、須藤が当たり障りない話題をふってくれた。
ここら辺はなかなか出来た上司だと思う。
小柄な女の子がおしぼりとお通しを運んできた。
「ああ、凪ちゃん、この間はお世話様」
隼也が愛想よく声をかける。
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
小さく頭を下げるこの子が隼也の彼女の友達だと、アベはすぐ察したらしい。わかりやすく、残念そうな表情が浮かんだ。
水沢凪は、別に見ていられないような顔立ちの子ではない。むしろ、色白でぱっちりした目元の、可愛らしい女の子だった。
眉毛の上で真っ直ぐに切り揃えた前髪のせいで、その大きな目は余計に印象的だ。
化粧をしてなくても、この肌の白さとはっきりした目元だ。女性なら羨ましがられるだろう、と隼也でさえ思った。
ただ、未生と同じ、20歳というにはあどけなさが残り、少女、という表現の方が似合う。小柄な体格もあって、中学生といっても通用しそうだった。
アベが期待していたであろう、正統派美人、とは確かに言い難い。
それでもー
(妙に印象的な子なんだよな…)
隼也は凪に会うたびにそう感じた。
小柄な体格の割に低めの落ち着いた声。よく語尾が曖昧になる喋り方をする。第一印象は地味でおとなしい、ちょっと子供っぽい子、だった。
誰が見ても美人で、明るく、自然とその場の主役になってしまう未生とは対照的だ。
あまり表情を変えず、淡々と喋るところもそうだ。だが、ふっと頬を緩め、大きな目が笑うと、ついつられて笑ってしまう。
そうだ、この間も。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2人で鮮昧を訪れ、楽しく飲んだ隼也と未生だが、久しぶりのデートではしゃいだのか、未生は飲み過ぎてしまった。
「眠い〜」
今にも眠り込みそうな未生に弱り、マンションまで送って行こうとしたが、凪は遅番でまだ帰れないという。
凪が帰るまでマンションで待たせてもらおうかと思ったが
「すいません、未生ちゃんのお父さんから男の人は部屋に入れないように約束させられてて…」
申し訳なさそうに凪は言った。それは未生からも聞いている。
未生の実家は隣県にあって、大学まで2時間以上かかる。通って通えなくはないが、やはり遠い。それに未生は一人暮らしに憧れもあったらしい。
「でも、絵州市って最近、ウィンガーが増えてるってウワサになっているでしょ。パパが心配だから一人暮らしはダメって。それで、同じ大学に行くことになったナッピに声かけてみたの。受験の時、一緒にお昼食べたりして、いい子だなぁって思ってたから」
ナッピ、こと凪と未生は同じ高校の出身。だが、高校時代はお互いに名前を知っている程度で、特に言葉を交わしたこともなかったという。
「あたしも助かったんです。絵州市内って家賃結構高いし、うちの親も一人暮らしさせる気なんかなくて…でも、未生ちゃんが一緒ならいいよってOK出たんです」
そう言う凪は、未生との同居に満足しているようだった。
未生の方も全く自分とタイプの違う相手なので、むしろうまくいっているのだと言う。
凪のバイトが終わるまで待っているわけにもいかず、どうしようか隼也が考えていると、
「桜木さんのところに今日、未生ちゃん、泊めてもらえませんか?」
と、凪が言う。
「え?」
それは隼也としては避けたい選択肢だった。
彼女とはいえ、プライベートの空間、1人趣味に没頭する時間を削られたくはない。
今まで付き合った女性も極力、部屋には上げないようにしてきた。それが原因でケンカになり、結局別れたこともあった。
だが、凪の大きな目が隼也を覗き込むように見つめてくる。
「ね、お願いします」
隼也も酔いが回っていたのか、ふっと頭が軽くなるような感覚に見舞われた。いつもなら、なんだかんだ断る言い訳を考えるか、ホテルに泊まろうかと考えるところだ。ところがこの時は、自宅に未生を連れて帰ってもいいじゃないかと思ってしまった。
タクシーの中で眠り込んでしまった未生を抱き抱えて部屋へ入り、ベッドに寝せてから、なぜ、あっさり部屋に連れてきてしまったのだろうと自問した。
これを機に頻繁に遊びに来られても困る。後悔の念もあったが、ここまで連れてきてしまってはどうしようもなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ほんとに、この間は助かりました」
苦笑いをもらしながら、凪はもう一度頭を下げた。
「いやいや、今度は俺も飲ませすぎないように気をつけるから」
ここは、包容力のある男を見せておくべきだろう、と考えながら、隼也は愛想よく笑う。
向かい側に座った新人が、冷めた目つきで見ているのが視界に入ったが、無視した。(部屋に男性を入れるのはダメでも外泊はOKって、おかしいだろ)
そう言いたいのも山々だったが、こんな場所で口にすることでもない。
仕事中の凪は、よく動く小動物のようだった。決してせかせかしているわけではないが、常に何か仕事を見つけて動いている。
バイトとはいえ、頼りにされているようだ。
「水沢ちゃん、会計お願い!」
店長に言われた凪は、奥のテーブルの片付けを中断して入り口近くのテーブル席の方へ向かった。
常連なのか、テーブルの客は凪に愛想よく声をかけながら財布を出している。
ふと、隼也は向かい側から張り詰めた視線を感じた気がして、取り分けられた豚の角煮から目を上げた。
視線が合ったか、と思いきや、相手は自分のグラスに視線をずらした。
こういうところがなんだか、可愛げがなくて、若い女の子だといっても隼也が愛想よく付き合えない理由だった。
須藤や教育係のあかりには親しげに話しかけたりするくせに、苦手な相手には態度がまるで違う。高校を卒業したばかりの今どきの子だから、と言われればそれまでなのだが…
「あの、」
結構唐突に、話しかけられて隼也は一瞬、眉をひそめてしまった。
「桜木さんの彼女って、どこの大学なんですか?」
しかも、あまり答えたくない質問だ。
「ああ、それ!T大だよ。すごいよなー」
なぜかアベが割り込んで答えてしまう。
T大は、言わずと知れた国立大学。特に工学部や医学部からは世界的に有名な研究者も輩出している。
学歴の話題になると、隼也は口が重くなった。
ー桜木さんはどこの大学出身ですか?
なんて質問が次に来るのは見えている。ところが、
「じゃあ、あのお友達も、ですか?」
あまり予想しなかった方向の質問がきた。
「え…ああ、あの子こそすごいよ。薬学部だってよ」
T大薬学部といえば、偏差値70近い難関だ。聞いた時は隼也も意外な感じがしたが。
「ええ!?」
ここでも食いついて来たのはアベだった。
「いや〜無理無理!ムリっす。そんな頭のいい子、オレ、相手にしてもらえませんって」
さっきまでの様子を見ると、凪には興味を失ったのかと思いきや…
(アプローチしてみる気だったのかよ…)
呆れて隼也はツッコミも入れられなかった。
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