第2話

「正直、親御さんのまた学校に行って欲しいというお気持ちも分かりますよ。私も娘がいるのでね。でも、対策室の室長としては高野さんの能力を得られるのは…大変ありがたい」

 未登録翼保有者対策室の室長、向田は柔和な笑顔を浮かべそう言った。


 16歳の少女相手にも、穏やかで丁寧な話し方をする。ちょっと貧弱で頼りなさそうな中年男にも見られがちだが、幅広い人脈を持ち、政府の重鎮にも名前を知られる、一角の人物だ。もちろん、目の前の少女はそんなこと知る由もなく、ただ、思ったより優しそうな室長の人柄にホッとしていた。


『未登録翼保有者対策室』が絵州市に設置されたのは4年前のことだ。

 絵州市ではその少し前から、ウィンガーの保護件数が右肩上がりだった。大半は外国人労働者。母国で翼が発現したにもかかわらず、それを隠して日本に出稼ぎに来ているケースがほとんどだった。

 絵州市が、積極的に外国人留学生や労働者を受け入れていることが要因の一つと考えられたが、それは公表されていない。しかし、ネット上では早くから日本国内で保護されたウィンガーの大半が絵州市で見つかっている、と噂されている。


「ご存知の通り、絵州市でのウィンガー保護件数は年々増加しています。重大な傷害事件などに至ったケースは僅かですが」

 大きな騒ぎになりそうな事件は可能な限り揉み消されていることを、もちろん向田が言うはずはない。


 事件の当事者を即刻本国へ送り返すことができれば、うやむやに出来ることも多いし、大抵の国は諸手を挙げてウィンガーの送還を受け入れる。

 稀少な能力者であり、世界中の研究者の興味を惹きつけるウィンガーを抱えていることは、それだけでステータスになるし、なにより金になるのだ。


「今までのケースですと、保護したウィンガーのほとんどが、ごく普通に職業についている方とか、学生さんですね。家族や友人も知っていて庇っているとなると…なかなか分からないものですよ。なので、いわゆる潜入調査、というのが多くなります。表向きは警備会社の職員を名乗ってもらうのもそのためです」


 愛凪がこれから使う名詞の

『株式会社 エル・プロテクト 斎藤愛』

 という印字面を見た両親、特に母親はあからさまに不審そうな顔をした。

「もちろん、高野さんには潜入調査などさせません。そこはご安心ください。高野さんにお願いするのは、ウィンガーではないかと情報提供があった際に、その人物が本当にウィンガーかどうか、確認してもらうことです。障害物がなければ30メートルほど離れていても確認出来るとのことですので」

 向田は確認するように愛凪の方へ顔を向けた。愛凪も大きく頷く。


「安全な距離を確保して、ウィンガーを確認出来ます。もちろん、必ず他の職員も付き添います」

「それでも、偽名が必要なんですか?」

 母親の声にはいささかトゲがある。それでも向田は変わらぬ調子で続けた。

「高野さんの場合は必要ないかもしれません。ただ、一緒のチームで潜入調査も担当するスタッフは安全面からも、仕事上の呼名を決めていますし、彼女もそれに合わせてもらったほうがいいと思いました。愛凪さんの方から、お兄さんがウィンガーであることは出来るだけ伏せておきたい、との要望があったこともありましてね」


 両親がハッとしたように、珍しくそろった動きを見せ、顔を愛凪へむける。

 向田は両親の方へ向き直り、ちょっと背筋を伸ばした。

「ご両親にも娘さんの仕事については表向き警備会社勤務、ということで対応をお願いいたします。シーカーの能力についても引き続き、他言されないよう、ご注意ください」


 それはお願いというより、命令だった。穏やかながら、向田の口調には有無を言わせない響きがあり、両親は黙って頷いた。


「絵州市というのはご存知の通り、同じクラスの小学生が同時にウィンガーになったことで有名になりました。幸か不幸か、世界中に名前が知られたんです」

 不意に、向田はそう切り出した。


 愛凪は少しドキリとし、両親も体を強張らせたのが分かった。ここでその話が出てくるとは思わなかったのだ。


「その後も海人さんを含めて同じクラスだったお子さんや、そのご兄弟がウィンガーとして保護されていることを、少々誇張して書いた記事が出回っています。なかには絵州市をウィンガーの聖地などと触れ回っているものもありましてね。アイロウでも頭を悩ませているそうです」

「もう…9年も前のことなのに」

 母親が呟いた。


 向田はため息をついて、同意の意を示す。

「こういう言い方はなんですが…時間が経って落ち着いたかな〜というところでまたウィンガーが現れてしまうという…忘れ去られるタイミングがないんですよ。近年、保護されているウィンガーはほとんどが外国人なのですがね。彼らを呼び寄せているのはそういう都市伝説というか…絵州市イコール、ウィンガーという思い込みだと私は思っています。これが悪循環を生んで、未登録のウィンガーを呼び寄せているんじゃないかとね」

 向田はにっこりと微笑んで愛凪を見た。


「この悪循環を断つためには迅速な対応が必要です。アイロウではあなたを国際空港に配属して見回りをさせたかったようだけど、今の絵州市にこそ、高野さんの能力は必要だと思いましてね。年齢が若いので、まずは親御さんのもとで生活しながら様子を見た方がいいと、少々無理強いして対策室へ配属してもらいました。不本意だったかもしれませんが…」

 愛凪は急いで首を振った。

「私も…実家から通えるって、よかったです」

 ホッとした表情を見せているのは母親も同じだ。父親はどこか部外者のような顔でそれを見ていた。


「まずは半年ほどをめどに、その後の勤務先を検討することにはなっています。私としてはその後も継続して対策室にいていただきたいのですがね。便宜上、18歳ということで働いてもらいますが、上の人間にはもちろんそこら辺の事情を周知していますので、無理な勤務をさせることはありません。そこはご安心ください」

「よろしくお願い致します」

 母親が諦めた様子で頭を下げるのに合わせて父親も頭を下げる。

「お願いします」

 この面談の場で父親が口に出した言葉はその一言だけだった。



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