第2話
香澄公園のベンチに座っている。向こうのアーチ型シーソーに小さな男の子と女の子が乗っていて、まるで弥次郎兵衛のように揺れている。
僕と同い年にしか見えないお母さんが二人、その後ろのベンチで話している。ママチャリが二台、少し離れた駐輪場にある。3回目のタイムリープの時、その一台を盗んで現場に向ったのだ。
今までやってみたことは全部失敗だった。もう手詰まりだ。
あらためて公園を見渡す。何度も見る同じ場面。なにも変わったことは起きていない。しかし、このくり返すタイムリープはミウが起こしているはずだ。僕にそんな能力はない。
ミウが交通事故を回避するために、何度もタイムリープを繰り返し、様々な手段を試しているのだろう。それに僕が巻き込まれているのだ。そう考えれば辻褄が合う。ならば、僕も可能な限り回避手段を考えよう、ミウを助けるために。そう思ってきた。
でも、これはミウが話してくれた原則と矛盾している。『起きてしまったことは変えられない』それが原則なのだ。目の前の光景が渦を巻きはじめる。もう戻る時間だ。
読経が続いている。何もしないまま戻ってきてしまった。
ミウは自分の事故を予知できなかった。予知できていたら、タイムリープで避けることができたはずだ。でも、事故は起きてしまった。起きてしまったことは変えられない。だから本当はタイムリープなんかできないはずなのだ。これがミウの話す『原則』だ。
それなのに、今回は、タイムリープすることができている。どうしてだ。その疑問を解決すれば、次のステップに進むことができるかも知れない。
ミウは、事故はもう回避できないことを知りながら、それでも何とかしようと懸命にタイムリープをくり返している。そう考えてきたこと自体が間違っているのではないか。なにか別の目的でタイムリープしているのではないか。なぜ、葬儀の場面から戻るのだろう。ミウにとっては、救急車で運ばれていく時点から戻ればいいはずなのに。もう自分がいなくなった未来から戻すなんて、どうしてなんだ。
いや、余計なことを考えてはいけない。ミウを救う以外に、このタイムリープにどんな意味があるというのだ。自問自答をくり返す。
ミウの能力に気がついたのは、5月最初の日曜日だった。僕たちはエルシネマで映画を見た後、お気に入りのパスタの店に向っていた。
映画は『異世界ではフニャフニャが最強』という十三話のアニメの劇場版だった。僕は、「異世界なんて題名がついているけれど、15年前のアニメ『ゆらめく悪魔』のリメイクなんだ。異世界もののバリエーションは出尽くしている感があるからね」などと、準備したうんちくを披露した。でもミウはそれに反応せず、ミリエルのたったひとりの最後の戦闘シーンが、いかに泣けたかを目を潤ませるようにして話す。すれ違う人が非難がましい目で僕を見る。ワンピースを着ていて、昨日切ったというショートヘアのミウは中学生くらいにしか見えない。
これはまずいなー、そう思ったとき、「あっ」と言ってミウが立ち止まった。
その瞬間、目の前の光景が渦を巻きだした。あれ、めまいかな、と思う間もなく、意識が遠のいた。
気がつくと、二人で映画館を出るところだった。ミウは、「鬼辛ラーメンが食べたい。いいでしょ、オイ君」と言って、急ぎ足で前を行く。いったいどうしたのだ。これはさっきと同じ光景だ。僕らの前でくっついている高校生の男女もあの時と同じだ。頭がおかしくなったのか、それともこれがあのデジャブ現象と言うやつか。
でも違うところがある、パスタ屋じゃなくて鬼辛ラーメンとミウが言い出したことだ。鬼辛ラーメンは、ミウの祖母の家の近くなので、一度行ったことがある。でもさっきはそんな話、出なかったはずだ。
それにミウは映画の話をまったくしない。ときどき振り向いて「ごめんね、わがまま言って」とか「映画、面白かったね」などと声を掛けてくる。僕は返事ができなかった。今の状況をどう解釈するかで頭がいっぱいだった。
大きな通りから外れ、路地に入る。この道の先がおばあちゃんの家だ。途中の踏切の手前で、ミウは向こうに誰かを見つけたようだった。この踏切は、自転車やバイク、歩行者しか通れない。人通りも少なく、遮断機もない。あるのは警報器だけだ。
「おばあちゃーん」
ミウは駆け出した。ミウの祖母が踏切の向こうから自転車で向ってくるところだった。僕も後を追う。おばあちゃんも気づいて自転車を止めた。
「おばあちゃん、この自転車、チェーンが外れたりしない」
駆け寄ったミウが、唐突に言った。おばあちゃんは「うんそうなの、昨日、家を出ようとしたとき外れたわね。隣の息子さんに直してもらったよ」と不思議そうな顔をした。「危ないから、直しに行きましょう」ミウがそう言ったとき、踏切の警報器が鳴り出した。
自転車屋でおばあちゃんと別れ、僕らはまた一緒に歩き出した。
「ちょうど会うなんてね。ラーメン屋さんに行く途中に」
ホッとしたような顔で僕を見た。僕もやっと話すことができた。
「パスタ屋さんの途中まで行ったはずなのに、突然映画館に戻った気がするんだ。まさかだよね」
「どうしたのいったい」
ミウは笑ったけれど、ちょっといつもと違う顔だ。
「錯覚かな。でもミウがミリエルの話を泣きそうになって話したの、ちゃんと覚えているんだけど」
その瞬間、ミウは大きな目を見開いて僕を見た。
「覚えているの! さっきのこと!」
ミウには二つの不思議な力があった。未来予知とタイムリープだ。未来予知は、身近で大切な人に関わることだけらしい。小さなことまで含めると、今まで十数回あったと言った。
僕らは鬼辛ラーメンをやめて、帰り道にあるレストランに入った。そこで、不思議な力のことを聞いた。
おばあちゃんの時は、踏切でチェーンが外れ、転倒するシーンが見えたという。そのとき警報器が鳴り出した。『未来は、このままいくとこうなる、という仮定みたい。まだ起きていないことだから、タイムリープで変えられる。でも、未来予知は自分からはできない。勝手に浮かんでくるだけ。タイムリープはやろうと思えばできる。未来予知の後にだけね』そんなことを、いつもの顔で話した。
僕が不良に絡まれているのも突然見えたという。そのときは、自分がオイ君の近くにいたので、交番に駆け込んだと言った。『オイ君を大切な人と意識したのは、そのシーンが見えたからだよ、ちょっと順番が逆だけど』そう言った時のミウは少し顔が赤らんだ。
おばあちゃんのときは、そこから駆けつけても間に合わない。だからオイ君もいたけどタイムリープした。ごめんね、と済まなさそうに言った。
『見えるのは私の大切に思う人だけ。だからどこかの国の大統領を助けるとか、素敵な王子様を助けるとかはできないんだ。それに、いつも行きたい過去に行けるわけじゃないし。変えられない過去があると、その手前までしか戻れないんだ。これじゃヒロインになれない』ミウは笑った。
あまりに不思議な話に、店を出たとき、何を食べたか覚えていなかった。
少し歩いて、小さな神社に行った。人気の無い境内で、古ぼけたベンチに並んで座る。こんな不思議な話をするのに、これほど合う場所はないような気がした。
「タイムリープはね、たとえやって見せたとしても、誰も気づかない。その繰り返しを知っているのは私だけだよ。みんなにとってはそれが最初なんだ」
僕はうなずく。
「だから、とってもさみしかった。たったひとりだけなんだもん。こればっかりは『能力がある』って考えても助けにならない。かえって……怖くなるだけ」そう言って僕の顔を見た。こんなポジティブ状態から離れたミウを見るのは初めてだった。
「オイ君は私と同じ記憶を持つ。タイムリープしても記憶がリセットされないんだもん。ふたりになったのが、こんなにうれしいなんて」ミウは僕の肩に頭を乗せた。
ミウの遺影の前に立った。また行くよ、ミウの生きていた世界へ。8回目のタイムリープだ。
公園のベンチに座っている。頭を切り換える。もし僕のタイムリープにも意味があるのなら、なぜ、この場に、しかも2分間だけなのか。きっと、ここでその2分間に何かが起きる、ということだ。それを変えることで未来も変わり、ミウが助かるのだ。きっとそうだ。
公園を見回す。遊んでいる子ども達、おしゃべりするお母さん。これは僕がここにタイムリープする前から始まっているし、僕が二分後に戻っても、変わらず続いているだろう。だから、これではない。二分間に限定されたイベントのはずだ。シーソーと子どもたちが渦を巻き始める。もう二分経過したのだ。
読経が続く席に意識が戻った。また何もできなかった。ごめんミウ。本当に何かできるのだろか。ミウとの会話を思い出す。
『私のこの能力は、本当に気まぐれ。大地震を予知することもできなかった。世の中の何の手助けにもならない』
『おっと、ミウ。君の言葉で言えば、「世の中の手助けをしなくて済む能力」だよ。世界人類を救えなくても、たったひとりを救えれば、それだけですごいことだ。そのために世界人類が被害を被るわけでもないし』
ミウは『そうだね』と少し笑顔に戻った。
僕は考えている。まだ見ていないところを見るんだ。そこではその二分間に何かが起き、そして終わる。そうだ、例えば、誰かが来て、そして立ち去る。きっとそんなことだ。あそこは、僕がその何かと出会う接点なんだ。それがあそこにタイムリープする意味だ。
焼香の順番がきた。僕はまた、時空を越えて香澄公園に向う。
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