ミウと僕の夏の公園

嘉太神 ウイ

第1話 

 だめだ。2分で何ができる。

 全力で走っても事故現場まで半分も届かない。ミウへの電話も繋がらなかった。


 今、星乃ほしのミウの葬儀が行われている。4日前の7月25日、ミウは事故で死んだ。学校の夏期講習に向う途中だった。学校への坂道が始まる北沢交差点が事故現場だ。横断歩道を渡っているとき、対向車の隙を縫って右折してきた車にはねられたのだ。

 最初、ミウは意識があった。病院に搬送される途中でも、救急隊員とわずかに言葉を交わしている。でも、病院に到着する直前に意識を失った。そのまま意識が戻らず、三時間後に亡くなったのだ。その事を僕は通夜の席で、ミウの両親から聞いた。

 

 読経が終わった。焼香が始まる。もうすぐ学校からの参列者の列になる。制服の僕たちは、焼香する人の列を無言で見ている。女子達は、みんな目にハンカチをあてている。


 僕は特進コースの三組、ミウは普通コースの三組だった。入学時からコースが分かれているので、三年生になるまで、僕はミウを知らなかった。いや、顔くらいは知っていた。少し可愛い顔をしていたから。でもそれは、明らかに偏っている僕の好みでそう思うのだ。

 遺影の写真はよく撮れている。髪はショートボブで外ハネ。髪を耳に掛けているので、星形のピアスが、小さな耳たぶにくっついているのが見える。それが、遺影の前に立つ人達に、僅かな虹色を届けているのがミウらしい。

 まだ髪を伸ばしていたとき、『星乃だからね』そう言って髪をかき上げて見せてくれた。ミウは僕をオイ君と呼ぶ。落影おちかげ羽衣ういを最短にした呼び名だ。オイ!と呼びかけるのが快感だと言っていた。


 僕らの列になった。喪章をつけた係の人の指示に従って、白い花で飾られた祭壇に進む。最前列にいる両親と弟に一礼をすると、僕は遺影の正面に立った。少しはにかんだようなミウの顔。大きな目にやや低めの小さな鼻、そしてまるで尖らせているような厚い唇。ここに立つのは、これで5回目だ。突然、周囲の光景が渦を巻くように見え始める。そこで意識が途切れた。


 気がつくと、香澄かすみ公園の白いベンチに座っていた。広場の向こうの、アーチ型シーソーで、小さな子どもが二人遊んでいる。

 右隣りに夏期講習のテキストが入った鞄がある。この公園から学校まであと15分。夏期講習に向う僕は、あの日も、この木陰のベンチで一休みしたのだ。

 急いでスマホを取出す。画面の表示は7月25日木曜日、8時41分。あと4分後に、ミウが車にはねられる。

 迷わず110番を押す。今回はこうすることに決めていた。

「はい、こちら110番。事件ですか、事故ですか」

「交通事故です。今、女子高生が車にはねられました」

「場所はどこですか」

槙田まきた市の槙田高校近くの北沢交差点です」

「怪我の程度はどうですか」

「路上に倒れたまま動きません。道路に血がたくさん流れています」

 路面の血の跡を思いだして言った。

「意識はあるようですか」

「いいえ、呼びかけに応じません」

「他にけが人はいますか」

「いいえ、ひとりです」

 担当者はてきぱきと質問してくる。

 この後、名前を聞かれ、事故を起こした車と運転手の様子も聞かれた。現場にいなかった僕は、適当に答えた。救急車の手配は、してくれるようだった。最後に、救急車が到着するまで、現場にとどまってほしいことと、被害者の安全を確保してほしい旨を伝えられた。「分かりました」と行った途端に、自分の声が急速に遠ざかり、目の前の光景が渦を巻く。2分が終わったのだ。ギリギリ電話を終えられてよかった。薄れゆく意識の中でそう思った。


 気がつくとミウの葬儀場だった。失敗だ。今回も助けられなかった。読経がもうすぐ終わる。失敗すると、僕の記憶は何も書き換えられないようだ。あの日と同じ記憶が続いている。警察も救急車も、事故前に駆けつけることはできなかったのだ。

 あの日僕は、何も知らず、香澄公園に立ち寄り、木陰のベンチで水を飲んだ。そしてゆっくり学校に向った。途中でサイレンの音を聞いたけれど、よくあることと思っただけだ。事故現場にさしかかったときは、もうミウは病院に運ばれた後だった。

 そこには生徒と先生が何人か残っていた。前面が破損し、フロントガラスが割れた白いバンが、不自然に斜めに停車していた。側面のドアに、クマガイ商事と書かれている。会社のトレードマークらしいかわいいクマの顔が、今は痛々しかった。警官が交通整理と現場検証をしていた。そこにいた友人からミウが病院に運ばれたと聞いた。

 公園で自転車を盗んで現場に向ったときも、タクシーを探して大通りに出たときも、2分たつと僕の意識はこの席に呼び戻された。今回も同じだ。記憶の中には、相変わらずベンチで水を飲み、ゆっくり学校に向う僕がいる。

 どうやら、ミウの救出に成功した場合だけが、新たな現実になるらしい。それ以外の出来事は、僕が公園に戻った二分間の記憶だけを残して、すべてなかったことにされるのだ。

 そっとポケットからスマホを取出す。現場の地図を出した。交差点にはコンビニがある。僕はタップして電話番号表示させ、それを頭に入れた。突然、腕をつつかれた。

「おい、こんなときにやめろ」

 隣の鈴木が僕に顔を寄せて言った。鈴木は僕と同じクラスだが、ミウがいる書道部の部長なのだ。確かに不謹慎だろう。でもかまわずコンビニの向かいの加藤文具店の番号も頭に入れた。

 いつの間にか焼香が始まっていて僕らの列になった。席を立つとき鈴木が僕を睨んだ。係の人の指示に従って、祭壇に進む。両親と弟に向って一礼をすると、僕は遺影の正面に立った。これで6回目だ。突然光景が渦を巻き、意識がなくなる。


 気がつくと香澄公園のベンチにいた。広場の向こうにシーソーで遊ぶ二人の小さな子。すぐにコンビニに電話する。

「もうすぐ、そこの北沢交差点を通る槙田高校の女子生徒を捕まえてほしいんです。お母さんが危篤で連絡したいのですが、スマホが通じないのでお願いします。髪はショートカットで、青い鞄を持っています。桜通りを北から歩いてくるはずです。お母さんが危篤、と言えば分かります。僕は落影と言います。その子の同級生です。よろしくお願いします」

 店員が、ときどき何か言ってきたけれど、一方的に話し、電話を切った。その後すぐに、加藤文具店に掛けた。呼び出し音が続く。残り時間あと10秒というとき、やっとおばさんが出た。同じことを早口で話す。ちょうどそこで目の前の光景が渦を巻きだした。2分は早すぎる。


 ミウの葬儀の席で我に返る。何も変わっていない。読経が終りにさしかかっている。また失敗だ。僕の電話は、いたずらだと思われたのだろうか。


 ミウと出会ったのは4月だった。

 見るからに腕力のなさそうな僕は、今まで3回不良に絡まれた。特に3回目はひどかった。二人組に、駅裏の路地に連れ込まれて金を巻き上げられそうになった。1回目に絡まれたとき、空手を習おうと思ったのに実行していなかったことをマジで後悔した。まずいことに、そのとき僕はお金をほとんど持っていなかった。前のようにお金を差し出すことができない。これは間違いなく痛めつけられる。そう思ったとき、警官がやってきた。

「おい、そこで何をしている」

「ヤバッ!」

 不良はものすごい勢いでダッシュした。警官はすぐさま後を追う。それを見送る僕。すると後ろから声をかけられた。

「大丈夫?」

 私服のミウを見るのは初めてだったので、一瞬誰か分からなかった。黒いオーバーサイズのスウェットに白い膝丈のスカート。

 逃げられたのか警官はすぐに戻ってきた。そして、ミウを差して、この人が知らせてくれた、と言った。

 その時のミウはまだ髪が肩まであり、心配そうな顔に前髪がかかっていた。かなりかっこわるい場面だった。怯える女の子を助けるのが、男の子の努めだ、なんて思い込んでいたから。後でそのことをミウに話したら『昭和の漫画の読み過ぎだ』と言われた。ミウは昭和の漫画なんて読んだことがあるのか?

 それから僕たちは二人で会うようになった。でも、このときはまだミウの能力に気がついていない。

 ひと月たった5月、ミウは初めて僕の家に来た。玄関を入ると、いつものようにレイが尻尾を振って出迎えた。それを見たミウは、頭を撫でながら、「これ、杉沢橋から連れてきた子犬でしょ。すごく大きくなったね」と言った。ミウに話した事はなかったはずなのに。

 部屋に入って椅子とベッドにそれぞれ座って話したとき、僕が土手下の段ボール箱から子犬を取り上げたところをミウが見ていたことを知った。

 あのときの苦しかった僕を思いだした。特進コースに入ったものの、成績はビリ。本当に最下位なのだ。いくら勉強しても、追いつかない。それどころか幼稚園児が中学生と走る方がまだ競争になる、と思うくらい引き離された。転校するかコースを移るか、考え始めた二年生の終に、僕は寒さで震えていた子犬を見つけた。なんとなく同じ境遇のような気がしたのだ。今思うと、とても恥ずかしい。顔が赤くなりそうだ。そこをミウが見ていたとは。まるで安っぽいドラマだ。

「心優しき少年に、乙女が恋をした瞬間!うわー古文か!」そう言うとクククと笑って僕の肩をたたいた。どこが乙女だ。それに、古文というのもおかしい。それを言うならラブコメのテンプレだろう。でも、その笑いで顔が赤くならずにすんだ。

 ミウは、めちゃくちゃポジティブだった。

『すべて「才能」に置き換えると面白いんだよ』といつも言う。何かの本で見たのかも知れない。僕も『特進コースでビリになる才能がある』ということだ。ばかばかしい。でも笑った。

 『ふてくされる才能がある』『状況を把握しない才能がある』『友だちをむやみに増やさない才能がある』僕たちは笑った。そして僕は本当にビリが気にならなくなった。自ら望んでそうしている気分にさえなった。僕は神経質なのにとんでもなくおっちょこちょいなんだ。話すうちに、国語は深読みし、数学と英語は早とちりする才能があることをミウに見抜かれた。


 もう焼香の時が来た。僕は遺影の前に立つ。僕はあそこで何をすればいい。何も思いつかないまま、7回目のタイムリープが始まった。





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