禁断症状
目が覚めると、冷や汗でだだっ広い染みが出来上がっていた。
手が震えている。喉がカラカラに渇いて今にもひび割れそうだ。やっとの思いで立ち上がるも、今度は立ちくらみが襲ってきた。まさか知識不足のせいでこんなことになるとは。
あれを摂取しないと。私は手近なコートを掴んで外へ飛び出した。
夜明け前の街の灯りが眩しい。吐き気が酷く、頭がチェーンソーに刻まれる感覚に襲われる。
中華屋の看板を見てもなんの足しにもならず、むしろ私の欲望を煽るばかりであった。
私はより一層速く燦々と輝く街中を走り抜けた。途中何度も電柱にぶつかりそうになったが擦り傷にかまけている場合ではなかった。手の震えはもはや止まる気配を見せず、痛みすら感じるほどだ。一刻も早くあれを。
膝が抜けてガクンと倒れた。止まった途端に胃から腸から耐えがたい苦痛が押し寄せてきた。しかしいくら嘔吐いても虚しく涎が垂れるだけだった。逃げ場のない苦しみに一層の絶望が積み重なる。私は声にならない悲痛を地面にぶちまけた。
何度立ち止まり、どれだけの被虐の限りを尽くしたのだろう。やっと店の目の前にたどり着いた。自動ドアが開く一瞬さえ惜しい。隙間に身体をねじ込んで店内に侵入した。
視界は常に点滅を繰り返し星空のようだ。棚にある一つ一つが光り輝いてみえる。私はその中から目に付いた一個を抜き取った。しかしそいつには忌まわしくもビニールの包装が施されていた。クソが。投げ捨てたくなるのをぐっと堪えて棚に仕舞った。
財布をまさぐる。六百円と牛丼屋の百円引きのクーポン、それからいつ買ったか分からないアイスコーヒーのレシート。
六百円? 六百円!! 嗚呼六百円!!!!
今の私にとってその五百円玉と百円玉は世界中のどの金貨よりも美しく高価に見えた。私は硬貨を握りしめレジに叩きつけた。店員は私に異形のものを見るかのような視線をぶつけてきたが構いやしない。私は店を出た。自動ドアが焦れったい。
ビニールを破る。多少荒っぽくたって良い。今はそんなことよりも。
バッと開くと紙の匂いが一気に広がった。古書好きやデジタル派のやつにこの気持ちよさは理解できないのだろう。可哀想に。
そんなことではない。私は大急ぎでページを繰った。
《 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、――……》
脳に直接流れる音色は私に耽美な衝撃を与えた。あまりの恍惚のせいでシナプスが弾ける。
どれだけ惚けていたのだろう。太陽は天高く登り、私のことを散々苦しめた街灯はなりを潜めている。ページはあとがきにまで進んでしまっていた。私はキリをつけて本を閉じた。これで大丈夫。暫くはあの禁断症状に襲われることはないだろう。
なんて難儀なことだろうか。この体質は。そしてなんという矛盾なのだろうか。こんな仕打ちを受けても尚、活字を愛してしまうのは。
私は坂道を降り始めた。
嗚呼。なんとも。恥の多い生涯だ。
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