迷い子の 手を引くように

 好きな人の引退試合がある。背が高くて、顔が小さくて、目鼻立ちがシュッとしている。かっこよくて優しい先輩。すれ違った先輩に惹かれて、体育館で汗だくになっている先輩に感動して、気づけばバスケ部のマネージャーになっていた。


 バスケ部のエースでキャプテンだった彼、いちマネージャーだった私なんて恋愛対象じゃなかったと思う。けど私はそれでも十分だった。これ以上近くに来られたら解けちゃいそうでこわかった。

 毎日先輩を陰ながら支えて、時々、「ありがとうね」ってクシャッとした顔を見せてくれるのが幸せだった。

 私にとって、完全無欠のヒーローみたいな人だった。みんなが辛そうな時に、なんてことないみたいな顔して。飄々とした態度で助けてくれるヒーロー。勝ったら誰よりも喜んで、負けてもキャプテンらしくみんなを励ましてくれる先輩がやっぱり、好きだったんだと思う。そんなこと誰にも言わなかったけど。

 ほかのマネージャーの子達は早々に選手の人と付き合っていた。どこかでカップルが増える度に、好きな人いないの? って聞かれて、その度にううん、って返してた。私には不釣り合いにすごい人だったし、私があの人のことを邪魔したくなかったから。


 そんな風に過ごしていて、一年が経った。そう、今日が引退試合。だった。もう終わっちゃったんだ。

 結果は準決勝敗退。悪くない。二回も勝ったんだから。みんな口々に言っていた。私もそう思った。

 そう、悪くない。呪文のように唱えていた。泣きながら。いつの間にか丸く集まっていた体育館の端っこで、みんな、水たまりができそうなくらいに泣いていた。

「二年生、これからはお前らが頑張るんだぞ」

 先輩は泣いていなかった。むしろいつもよりも静かで、一人だけ地に足をつけていたように見えた。

 同級生の選手は震え声で「はい!」と返事をした。先輩はそれを見て満足そうにうなづいていた。

 学校に戻るらしい。そんな連絡を聞いた時、観客席に水筒を忘れたことに気がついた。私は顧問の先生にすみませんと断って観客席へと走った。

 水筒はぽつんと一人佇んでいた。なんとなくごめんね、と言ってから水筒をトートバッグにしまって観客席を後にした。

 学校が近いのもあってか、みんなは先に出ていた。早く戻らなくちゃなと思ってバッグを肩にかけ直した。

「あ、」

 その声に振り向くと先輩がいた。腰を下ろしているせいか大柄な体格が今は随分小さく見える。

「来たね。」

 先輩は右手をついて止まった。立てないや、ってカラカラ笑った。私もつられて口角が上がる。

 先輩の右目。切れ長な目尻の端から顎にかけて川の流れた跡があった。

「先輩、」

 私の視線に気づいた先輩は慌ててタオルで頬を擦った。

「ごめん」

 そう言ったのを合図に先輩の両目からボロボロ涙が溢れ出した。先輩は自分を見る眼から逃げるように顔を隠した。

「やっぱり、悔しかったんだよな」

 タオルの奥で声が揺れた。

 私は気がついた。彼が人間だってことに。

 嗚咽が喉から飛び出してきた。それは止まることなく私から吐き出された。次から次へと、感情がこぼれてくる。私も思わず膝をついて先輩のそばに寄った。

 同じ部活でついさっきまで関わりのなかったくせに。まるで兄妹みたいに二人してわんわん泣いた。会場のみんなは決勝戦に夢中。だけどそんなこと気にしてなんていられなかった。

「だめ、だよな。後輩にこんなとこ」

「いいですよ。今日ぐらい」

 私にはそうしかいえなかった。そうとしか思えなかった。

 私は膝に手を当て立ち上がった。

「立てます?」

 冗談ぽく手を差し出すと、先輩は今まで見たことない子供っぽい顔して渋々右手を伸ばした。

「生意気な」

「今まで猫かぶっててすみませんね」

 涙の染み込んだ私と先輩の手が重なった。

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