赤いモヤが見えると

 最初の体験は数ヶ月前、幹線道路に面した歩道を歩いていた時だった。すれ違った車の一台に真っ赤なモヤがかかっていた。なんだ、と振り向いた十秒後、――鼓膜を破らんとする轟音、鉄をも溶かす爆炎、フルフリルアルデヒドの臭い。炎の中にいた車の片割れはさっき見た、赤いモヤのかかっていた車だった。最もモヤが濃かった前面は拉げて全長が半分ほどになっていた。例のモヤは消え失せていた。

 以来、他の車や包丁、果てはペンなど、様々な物からもモヤが発生していることに気づいた。全ての物からモヤが発生している訳ではなく、よく分からない基準でモヤは発生していた。モヤの色は赤。色の濃度は一定ではなく、桃色のモヤが発生している物もあった。

 初めこそ強烈な存在感を放っていたモヤだが、時が経つにつれて日常風景に溶け込んでいった。しかし依然として、どんな理由でモヤが発生しているかの明確な答えは解明できないままであった。しばらく経った今でもモヤに触れたことはない。手を伸ばそうとしたことはあった。しかし、何となくいやーな感じがしてきて、身体中の産毛がぞわぞわと主張してくる。結局その時は触ることなく試みをやめてしまった。

 ひとつ、仮説として思いついたのは怪我をしそうな物にモヤが発生しているのかもしれないということ。とはいえ、ペンで怪我をするとは考えにくいし、例外も多々存在しそうな仮説だった。余った時間にモヤの真相を考えるのは良い暇つぶしだったのだ。

 人が敷き詰められている仕事帰りの駅構内。十数メートル先に赤いモヤが発生しているのを発見した。いや、黒いモヤの方が適当かもしれない。そんな赤だった。

 背伸びをしてもそこには何も無い。無論、人はいるのだが違和感というのはなかった。

 人間の波に乗って歩いていると、モヤが近づいてくる。手のひらがじわ、じわ、と湿るのを感じた。なんだ、どうして、こんな日常風景に戦慄している。

 もうすぐ触れる、というくらいに近い。今までで一番だ。モヤの周囲にいる人々の顔面をじろりと見るが異常ない。その事実を以て自らを鎮めようとするが叶わなかった。モヤに当たらないようにと、勝手に身体をよじらせてしまう。

 モヤが肩に当たった。と、同時に男とぶつかった。刹那、考えうる、ありとあらゆる仮説が脳神経を駆け抜けた。

 この男がモヤの発生源なのか、モヤに触れるとどうなってしまうのか。

 ふたつの問いの答えは自分で導き出す前に世界から提示された。


 どっ


 ぶ

  す


 温い。赤い。目の前も、腹も、赤い。

 そうかこのモヤの答えは。

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